中山美穂&WANDSの名曲。
のちに酒井法子もこの曲をカバーしている。
堀辰雄ばりの詞世界にしばしうっとり。
秋の銀杏並木が金色に街を染める頃。
君のまなざしをそっと見つめる私。
その視点はあくまで温かい。
透明な秋の空気感がたまらない。
そんな作品に仕上がっている。
参考までに「風立ちぬ」のほうも一読をお勧めする。
そういう本歌取りも見られるから見事である。
普段
やっていないことに
挑戦する時
人は
能力的に
どれだけ
のびるものなのだろう。
それが
未知のものであればあるだけ
のびしろは
いたっておおきい
目標に向けて
一歩ずつ進む
その醍醐味を
味わい尽くす時
人の能力は
無限大に花開く
今はその言葉を
一途に信じて
次なる課題に
精進したい
好きだ
そういわれて
悪く思う人は
いないと思います
基本的には
まんざらではないでしょう
愛しています
そういわれて
反発する人は
心が貧しい
言葉を言葉通り
好意的に受け取ってくれる
そんなときに
人は幸せを
感じるのでしょう
好きです
ありがとう
この魔法の言葉
これからも大切にして
生きてゆきたいと
そう思っています
藤川千愛のデビューアルバム。
「夢なんかじゃ飯は食えないと誰かのせいにして」独特の修辞法。
この辺が彼女の魅力であると言えなくもない。
わたしはこう。あなたがどうであろうと関係ないのよ。
立て板に水とはまさしくこういう個性のことを指すのだろうか。
素顔の彼女は結構素っ気ないところもある、いかにも現代っ子である。
ただこの路線で売るとネタ切れの方も早いのではと心配になってくるのだけれど。
そういう心配を吹き飛ばす活躍を期待したい。
若い力の拡散状態。
何とも複雑で摩訶不思議な青春のいかんともしがたい情動を曲にしたためてあって、ウルフルズの数ある作品の中でも、僕が好きなものの一つである。
男が女を好きになることを独特の文脈の中でとらえた歌詞に、思春期独特の破壊的衝動をかんじる。
くわえてトータス松本のあの個性ある歌声にしびれる。
後に聖飢魔Ⅱの持ち歌にもなったこの曲だが、オリジナルの方が格段に魅力は上であると言わねばならないだろう。
Mを読んだ。
今や巨大な音楽グループとなったエイベックス。
その頂点に上り詰めるまでの彼女の軌跡。
それは決して平坦ではなかったろうが、かえってその目標や夢に対するひたむきさが、この自伝的小説からも伝わってくる。
彼女の才能は決して天性のものではない。
最近の彼女のライブ盤を聴いて驚いた。
歌声にえもいわれぬ磨きが掛かっている。
これを本人の努力と言わずして何になるだろう。
彼女に改めてその実力を見せられて、かえって僕は昔の不明を恥じ入ったのである。
あのあゆがかえってここまで自分をうりだすとは、そのときのぼくは思いもしなかったのだから、実にふしぎなめぐりあわせであったといわねばならない。
世界中
精神科
デイケア
作業所
自宅
支援センター
訪問看護
移動支援
僕の身の回り
なんと小さい
ひきこもってみると
これだけの
行動範囲
びっくり
巨人、中日、広島をセリーグ三強と言うこともある。
僕の家系を母系でつなぐと、祖母の血は広島にたどり着く。
いつもは関西で六甲おろしを聴き慣れている僕。
三強の動向次第で野球中継を聴く上での前提がまた違ってくるのは毎シーズンのことながら、今年の楽しみは鯉のぼり。
なんと広島カープの応援歌のコンテンツを見つけたのだ。
これも何かの縁だろう。
がんばれ僕らのカープ!!
普段は中日の肩入れをしている僕が、思い切り母祖の国へ思いを馳せた瞬間であった。
音楽を聴く時のうきうきした気持ち。
聴いたあとの爽快感。
AAAが歌うこの曲はアルバム「depArture」の中の一曲。
かれらはどのようにして音楽と出会い、表現する立場に立ったのだろう。
喜びに満ちあふれたアルバム内の楽曲群を聴いていると、そういうことがふと気に掛かって、彼らの主な作品すべてを聴いて回った。
さすがエイベックスグループ一番の稼ぎ頭である。
彼らに出会えて幸せだったと、こちらまで頬がゆるんでくるのをとどめようがなかった。
ホークスが好きだ。
ダイエー時代から応援しているだけで、ファンとしての日は浅い。
だが元は南海電鉄が所有していただけに関西との縁も深く、古くはあの野村克也氏が活躍していたことでも有名である。
AAAが歌う応援歌の2007年バージョンには僕なりの思い入れがある。
福岡に渡って間なしのホークスには応援団を組織する資金的余裕も人手も今ひとつ足らなかった。応援歌をCDで吹き込んでもらって球場で流した。
店じまいを手伝った当時からこう言う裏事情が気になっていたのだけれど、祖母の時代から続くのれんがなくなってしまうのが忍びなく、密かにグループ存続を願った青春時代が今となっては懐かしい。
シングライクトーキングの初期の名作「humanity」を聴く。
「爽やかな朝。お目覚めはいかがでしょうか」
そういうのりですけど…。
みんなで聴きたい名曲の数々。
人生の大海にこぎ出した旅。
その果てに彼らがみたものとは?
「すべてこの社会の断面は人間性に帰着すると思うんですよ」
リーダーの佐藤竹善の当時の言葉である。
覚えておくための機能としてのリマインダー。
これをかけておくと時間が来ると教えてくれて便利である。
みていないとわからないのはどこもいっしょ。
めざましののりでかけてみても、分からない時は徹底して分からない。
youtubeで大原櫻子のプレミア映像の公開があって待機していたのだが肝心な時間になってもなんの反応もない。
見逃してしまった。がっかり。
七つの瀬と書いて「ななせ」と読む。
女の子の名前のうちでもっとも憧れが強いものの一つだった。
有縁無縁の物事にできるだけ多く恵まれますようにと縁起を担いで名付ける、元々は貴種の子の名前である。
相川七瀬のデビューアルバム「Red」を聴く。
懐かしい。
我が強そうな歌声は不良少女の香り。
しびれそうだ。
光と影。
物事には必ずその二面が存在し、渾然一体となって我が身に迫る。
純粋にその詞世界を堪能したい。
きっと壊れそうなものが持つ一種の危うさを包み込む何かを感じて、聴き終えた時、独特の感無量さを感じることうけあい。
存在感ではピカイチであった彼女。
いまなにをしているだろうか。
井上陽水のデビューアルバム「断絶」からの一曲。
老いた両親を観察し、ほとばしり出る思いを口にする。
人生が二度あれば彼らはやり残したあれもこれも叶えたかも知れない、いやもっともっとかなえて欲しいと、彼は切に願いながらこの曲を書いたに違いない。
音楽ストリーミングサービスが花盛りである。
市場は今年に入って前年比六倍とのびに伸びている。
我が携帯から聞こえてくる楽曲アルバムの数たるやものすごい。
最近になってまた懐かしいアーティストが仲間入りした。
玉置成実さんの「greeting」を聴く。
デビューアルバムであるこの作品は当初売れが今ひとつと思われていたらしく、ジャケ写もおとしめのようであまりよくない。
当時僕はガンダムシリーズの主題歌を聴いて彼女を好きになった。
多少言い方が幼稚くさいけれど、この作品ののりは後にアニメ界を席巻していった一つのムーブメントとして記憶に残ることとなるのだ。
サリュの「メルクマール」を聴く。
「to U」というある種のキャンペーンソングが目当てであったが、思っていた以上の収穫であった。どこかヒーリングミュージックに似た風合いの作品であったけれど、こういうのは今の音楽の流行の主流から離れている。
報われない努力を自分の音楽の好みのせいにして延々と活動を続けるか、ある程度周りの状況と妥協して早めに活動そのものを取りやめるか。
彼らも難しい舵取りを迫られているのではないか。
今現在の音楽のエッセンスを早めに取り入れていった某バンドのこともふと胸を過ぎったことである。
コナンくんの映画が無料配信されていたので、今日は朝から楽しんだ。
謎解きの楽しさと事件の展開の意外性が両輪にあってこその探偵アニメ映画だが、最近は必ずしもヒットしているとは言えなさそうな感じである。
毛利探偵のお調子者でかっこわるいところ。
蘭ちゃんは蘭ちゃんでいかにも選ばれたヒロインらしいところ。
コナンくんの探偵七つ道具の奇想天外なところ。
新一くんを小さくした犯罪組織が事件の背後にいそうなところ。
負の力を正に使っているうちはかの背景設定もうまいが、回を重ねるにつれどうしても気になることがある。
コナンくんは何処までも新一くんであるという主人公の自己同一性はどうなるのだろうという不安(?)である。
コナンくんのシリーズはいつもこの最後の砦の不安の上に成り立っていると言っていい。
携帯を忘れた日
曲を聴けなくなって
手慰みに
ありきたりのことしか
書けなくて困った
アルバムに入った
選りすぐりの曲達
それらをダウンロードして
もちはこんでは
あゆみ舎やデイで
聴きたしなむことが
日常の中に
かくも深く根を下ろしてみると
あの手のひらサイズの機器が
ひょんなことから
大きな大きな存在に
見えてくるから不思議である
今日日
携帯電話は
電話という枠を超えて
日常のさまざまなシーンで
なくてはならない存在
これからもうまく
つきあっていきたいものである
電子書籍や音楽ソフト、映画を置くための場所がもうない。
限られた内部ストレージの中でやりくりするには今まで買ったソフトを如何に活用するかにかかってくる。
一応自分の欲しいソフトはすべて買いそろえたあと。
せっかく買ったソフトがシンクコストにならないように、大事に使っていくのが筋だろう。
いくら内部ストレージを倍にした機種を買ったところで、いずれはぱんぱんになるのは分かりきっている話なので、今のところは静観することにしている。
電話料金をできるだけ低く抑えるためにできることから手を打てる時期がやってきたのかな。そうおもっている。
電子の棚の大きさも限られているのは、現実世界における木製の棚と同じだったのだ。
ベスト盤「Single is Best」を聴く。
大好きな彼との恋に自らの成長を誓った曲「素敵なルネッサンス」
現代の女関白宣言との呼び声も高かった「部屋とYシャツと私」
ほか「太陽のストライキ」など全11曲。
一発屋の感もぬぐえなかった彼女が、一枚ベストを出すほどの実力を持っていたなんて…。
こんなことを言えば本人やファンに怒られるだろうか。
玉置浩二「CAFE JAPAN」
思い入れが深いアルバムである。
架空の喫茶での物語。
人生はその人ひとりひとりが持つ特別メニュー。(「SPECIAL」)
オープニングの怪しい雰囲気に、引き込まれるように作品世界の中に入ると、そこに待っていたのは…。
いやあ、すばらしい作品でした。
皆さんもこのギャップ、充分に体感してみて下さい。
小田和正の作品。
いつもそばにいて、見守ってくれるパートナーに向けて、思いを綴った曲。
「離れていてもそばにいるから、ひとりにならないで」
リトグリも見事これを歌いこなしているが、オリジナルの小田節も落ち着いたいい味を出している。
確かなことは、いつも人の心の中にあると、僕は思う。
奴らは何処に行ったのだろう?
一時期人気があったけど、最近とんと音沙汰がない。
かの曲をリトグリのカバーで聴く。
ほれかたが悪い男の事後は往々にしてこうなるのだろうか。
情けないものだ。
ゴールデンボンバー。彼らが今どうしているかは知らないが、馬鹿にされていないことを祈るばかりだ。
わらべ作品集を聴く機会に恵まれた。
「もしも明日が」「めだかの兄妹」「昔、むかしは…」「春風の郵便屋さん」など欽ちゃんの番組で使われた懐かしい曲の数々に浸りながら、ここに収められている作品の質の高さ、すこしシニカルでクスリと笑わせる歌詞にあらためて当時の番組制作側の気概を見た気がした。
ここに収まっている作品の中で一番僕が好きなのは「ここにおいでよ」
やさしさと寂しさと哀しさが同居している切ない秀作である。
自販機のミルクティーを手にして、彼氏を待つ主人公。
恋人達の距離はいつも微妙で切ない。
デビューアルバム「いつも笑っていられるように」の植村花菜の歌声は心にしみこむように温かく響く。
そのオープニングチューンであるこの曲。
タイトル曲を名曲という人も多いけれど、僕はこの曲を、新たな才能を予感させるものとして特筆したい。
アイドルといえば今はグループアイドルが盛んだが、ひとりで活動する人の中にも著名な人がたくさんいる。
本日はその中でも古典とも言えるひとり、酒井法子を取り上げたい。
あのノリP語で有名な彼女もはや四十九才。
デビュー三十年記念のベストには懐かしい曲がいっぱい。
デビュー曲「男のコになりたい」から「鏡のドレス」「碧いウサギ」「ノリP音頭」まで三十二曲収録してある。
が、今回は「ゴールデンベスト」を聴く。
「ホンキをだして」「涙色」「HAPPY AGAIN」とこちらも涙もの。
「はぐれ刑事純情派」のようなドラマにも出ていたとおり、もとは父親方が警察関係の仕事をしていた。
ところで本人の性格だが意外としっかりタイプの反面、おちゃめなところも。
ふとした一言からうまれたというノリP語もそう。
「マンモスうれP」という言い回し、実は「たいへんうれしい」という言葉をおもわず言い違えてできたというから驚きである。
日本語の乱れを起こしたというそれが、思わぬ緊張から出たものとは、本人の弁。
事務所も変わって心機一転、活動を始めた彼女のこれからにも期待したい。
あるドリンク剤のCFで使われた一曲。
泣かないという曲の趣旨に反して大泣きしていた女の子。
そういえば大半の人が思い出すのではないだろうか。
片平里菜のテレビデビューはかくてほろ苦い。
印象的にはマイナスから始まった彼女のベストアルバムを聴く。
最高の仕打ちとはいうものの多くがデビューアルバムをはじめとしたアルバムの断片から成り立っているのは本当。
「fragment」
ここまで直線的なタイトルでいいのだろうか。
「気の合う友人同士、また集まりたいね」
いっしょにはしゃぎあったし
相談しあったりして楽しかった
好きな人出来たら連絡するね
目的地までの時間―「time to destination」
every littie thingのベストセラーアルバムの中に収められたこの曲は、学生時代の友人達との自由ですがすがしい時間を想起させて、なかなかの佳作である。
あらゆる恋愛に目的地までの時間があるとしたら、学生時代の地元でのそれは、そのおおもととも言える出発点である。
そこからみんな友人達と離れ、年を重ね、大人の恋愛をする。
さまざまな恋の局面を歌った曲を一枚にまとめ上げる。
この大変な作業を売り上げに結びつけることが出来たという幸せな作品。
それがこの一枚である。
「VINTAGE WHITE」を聴く。
「歌う声優」アーティストとして不動の地位を築いた彼女の集大成ともいうべき作品である。
「夜明けのシューティングスター」「虹色のスニーカー」は言うに及ばず「スレイヤーシリーズ」から「シャーマンキング」などさまざまな出演作にあわせた色とりどりの作品達が並ぶ。
「Give a reason」のようなイケイケどんどんの曲が多い。
もっとも「はなれていても」などのバラード曲を入れすぎるとそれはそれでアルバム全体の構成が壊れて声明みたいになるかも知れないが。
声明と書いたが、彼女に落ち着いた曲を歌わせるとお世辞にもうまいとは言えない。
歌唱に波が出てあらが見えてしまうのだ。
その点彼女はあくまでも声優の域を出ないと思う。
林原の開拓した新しい領域を二番手、三番手の声優達が翼はためかせて飛んでいるのだ。
ともかく彼女の事蹟のおさらいにはこのベスト、ちょうどいい作品である。
水樹奈々の一枚目のベストアルバム「THE MUSEUM」からの一曲。
USENの番組テーマとして流れていたこの曲で、当時彼女を初めて知った。
ボーカル全体にみなぎる元気と疾走感は、その後の彼女の旗印になった。
同シングルのカップリング曲「おんなになあれ」は森川美穂のカバー。
ともかく声優でここまで歌がうまいとあの林原めぐみもたじたじだろう。
近作「CANONBALL RUNNING」にはそんな彼女の意欲みなぎる歌声が十七曲分もぎっしり詰まっている。
いまノリにノッている人気声優の曲世界。
思い切り堪能してみたい。
高岡早紀の「ゴールデン・ベスト」を聴く。
彼女は今年で歌手歴三十二年にもなるというベテラン。
今ではジャズも歌いこなすという彼女も、三十歳代後半には、まだ幼さが残るアイドルとしての顔をぬぐい去れないまま、人間の負の側面を背負い続けてきたような気がする。
このアルバムにて聴ける歌は皆人の残酷さをどこか映していて醜い。
それでもどこかで救いを感じられるのは彼女の声質からくる何かであろう。
それがアイドルとしてのお決まりの路線であったとしても、人の情欲をここまで肯定しながら抗しようともがいている曲達も珍しいように思われる。
それにもかかわらず、それらを重苦しくなく軽々と歌いこなしているのが、この人の良さであろう。
今後とも歌い手としてますますの研鑽を積まれることを期待したい。
槇原敬之が覚醒剤で逮捕された。
彼の「もう恋なんてしない」「遠く遠く」「冬が始まるよ」を含むアルバム「君は僕の宝物」を聴いて改めて彼の才能に感じ入るが、彼は人間としての弱みもあるにもかかわらず、常にその詞世界では強がりをみせているように思われる。
人として出せない弱みはクスリの中に拡散しているのかどうか、ある種そこにも興味は尽きないが、彼の更生を心から願うばかりである。
またevery Little thingの八作目のアルバム「door」のなかにも彼をヒューチャリングしたカバー曲がみえる。
そちらもおたのしみに。
「新しい世界を照らす」というタイトルがついたリトグリの最新作。
ダンスチューンを中心としているが、ハーモニーで聴かせるという彼らの強みはこれまで通り遺憾なく発揮されている。
ただ本作はこれまでの彼らの諸作品よりやや難しい。
楽しんで聴くという意味では受け入れられやすいのか疑問である。
もしかしたら洋楽の入り口としての役割ならその存在意義は多大かもと思う。
しかしながら聴くほどに味わい深く一度針を落としたら止められない。
そんな魅力が一杯詰まったアルバムである。
大原櫻子の四枚目のフルアルバム
一曲目からテンション上がりっぱなしでどうなることかと思ったら
聴かせる
ただ覚悟しなければならないのは
作り手があれもこれもと新しい側面を詰め込みすぎて
落ち着いて聴かないとならない点だ
情熱的な櫻子ちゃんもいいが、もうちょっと冷静にならないと
その意味では聴いた人の評価も見事に二分されそうな
そんなアルバムである
google playのアルバム検索で見つけた石井竜也氏の作品。
こういう検索をかけて手に入れたアルバムは水物である事も多いが、この作品にははまってしまった。
このアルバムには手ずれが一切感じられない。
その人らしさとは作風にある種影響をもたらす一つの重要な要素ではあるが、それと手癖とはまた別の問題だと再認識させられた。
この作品で石井氏はアーティストとしての自己の存在証明に全力で取り組んだのではないか。
あまりいいたくないけれど
からかいや冷やかしで歌った曲には
いいものがすくない
深刻ぶったりいたぶったような詞を書いても
売れるものは圧倒的に少ない
いい曲の詞には必ず普遍的な何かが存在する
そこに誰かをおとしめるような振り付けやダンスを加えようと、売れる曲にはそれなりの個性があり、だれもそれを侵すことは出来ないものである
日が傾くと書いて斜陽。
物事が盛りを過ぎて衰退していく様。
これをタイトルとしたミスターチルドレンのこの作品。
聴いてみると物事の裏にある光と影まで描き分けたようで見事である。
傾いていく太陽の暖かみも包み込んだあの光。
それの中に人は静かな終末を迎えることの大きさを知るのかも知れない。
reflection ―その光り輝く乱反射をアルバムタイトルにした。
その作品群の中でも主題と言えるこの曲で彼らが言いたいことが核になって立派にこのアルバムが成り立っていると言っていい。
nakedよりdripのほうがより作品の骨組みがはっきりしていてぼくは好きだ。
生きる
この一瞬を
永遠のものに
悩みも
不安も
どこかへ飛んでいけ
人と関わる中で
自分のしていることを
どう形にしていくか
それも生きることの一つ
スーパーフライの「フレア」を聴く
自分なりのスタイルを
貫くことの難しさ
朝ドラのヒロインの生き方は
どこか潔くて共感がもてる
信楽焼に限らず
ものを創り出す作家達の
生き様はそのままの形で
作品に表れる
つまり生きることは
創り出すことそのものなのだ
自己同一性
自分は自分
その途切れのない営みに
人は永遠に
夢を見続ける
いきものがかりのこの作品
頑張る人々すべてへの
応援歌として
印象に残る
自分たちが自分たちであるための
すべてを注ぎ込んでくれた
その新しいアルバムに
ぼくは確かに彼らの気概を見た
悲しい時
嬉しい時
電話一本で
意中の誰かとつながれる
便利な世の中になって
ふと思うことがあります
本当に厳選して
人に申し述べているかどうか
自分の中にある
つたえたいことを
無意味な言葉のキャッチボールをしているようでも
それによって助かることも多いだけに
その辺は一概に言えないとは思いますが
電話を受けた人に
いいたいことを即座に伝える
そんな処世術が今こそ必要です
戦いが始まる
身体がやけに重い
左の靴が履けない
それからそれへと出来たことが
不自由になる恐ろしさに
必死に耐えたこの一週間
もうコーラは飲むまい
それでもファンタは止められない
チョコを食べながら自己嫌悪
今度体力の回復はいつ
エアバイクに乗ると
焦る気持ちを抑えつつ
今日より明日はきっとよくなるよ
そう言い聞かせる毎日
戦いの火蓋は切られたり
KOMEKOMEWARを初めて聴いたのは小四の時。
米米戦争??なんのことやら…と当惑したおぼえがある。
「意味から聴くからいけないんだよ。音から入ればよくわかるよ」と友人に言われて意味不明は意味不明のまま曲を聴くようにすると語感がなかなか面白いようだ。
不承不承ではあったが、当時の流行の最先端を走る彼らを、僕はこの曲から知ることになる。
エロチックな乗りで売っていたので突飛な感がぬぐえなかったが、こうした徹底した冷やかしの裏に秘められた彼らの本当の実力を知るのには、もとよりぼくの先入観のせいもあって遅すぎるほど長い時間がかかった。
今彼らが残した最後の私家版的ベストアルバムを聴くと聴かせる曲が圧倒的に多いことに、そしてそれによって彼らが現在の地位を盤石なものにしてきたことに改めて気づかされるのだ。
米米CLUBよ永遠なれ。
ユートピア。
何処にもない国と聞いて代表格としてすぐに思い当たるのは西方浄土。
GODIEGOの往年の大ヒット曲。聴いて思い出すのは日テレ系人気ドラマ「西遊記」
このドラマの原作は実は日本だったのをご存じだろうか。悟空といわれる人猿は日本人の原種といわれるホモ・ピテクスという古生種。三蔵法師と悟空、それに二匹の動物の化身が天竺まで妖怪から守り守られながら長い修行の旅を続ける。
主題歌「モンキーマジック」「ホーリー&ブライト」も印象深い。
特に後者はキリストの降誕神話をモチーフにしていて、簡単な詞で書かれているので、英語での朗唱を是非ともお薦めしたい。
今年の正月。ラジコのタイムフリー機能で久しぶりにCHAGEのラジオ番組を聴いた。
ラジオで情報発信できる歌い手さん達は全体から見たらほんの一握り。
長年放送枠を確保するだけでも大変なこと。
彼の場合は変にC&Aのあのごたごた劇をのりこえて一枚看板をはっているだけに、なんともいえないたくましさを感じる。
話の伝え方がまず徹底的に上手。口がうまいのが彼の圧倒的な武器となっている。
すっと入ってきて無駄話して帰って行っても許せる。
そんな魅力が彼の話には感じられる。
年を重ねることを恐れてはいけません。
生前私の母はそう戒めたものだ。
二十代には二十代なりの、三十代には三十代なりの、四十代には四十代なりの良さがあり、自分の同一性自体は変わらないのだからと。
竹内まりやの「人生の扉」という曲を今回私は知人の紹介で初めて知った。
この曲の主人公はじっくりと肯定的に人生の年輪を重ねることをこの曲を聴くすべての人に提案している。
ここまで歌われると何か心の深いところに訴えかけるような不思議な力がこの曲に備わるように感じる。もちろんそこには竹内まりや本人の年齢観が表れているとは言え、三十過ぎれば皆対等の大人なんだから、人間としての中身は誰しも同じといった我が母親の言葉も同時に想起されてなかなかの佳作と思えてくる。
人生の各ステージで人は自分という存在を演じるのかも知れない。
演じきるための人生の扉を次々に開いていって新たな自分に出会うこともあるだろう。
YOUTUBEで繰り返し聴いてみると、この含蓄のある歌詞がなおなお輝きを増してくるのである。
人はとかく自分が人にどう思われているか気にするものだ。
格好だけでもちゃんとしていれば、あと自分の事はなんとでもなる。
人は自分の思っているほど人のことを気にしていないものである。
これで自分のイメージはしっかり守れるものだけれど、病気が進むと頭が空になりへろへろの状態になるので、そうもいってられない。
この状態は耐えるしかないので、それを他人がどう見るか非常に気がかりである。
破瓜型といわれる分裂病に見られる一つの症状で、時に本人を異様な気詰まりへと誘ってしまうこの状態を、ぼくは大変悲しく思っている。
人に対する自分のイメージをそんな事で損ねたくないではないか。
あゆみ舎冬期食事レクは12月6日金曜日、メンバースタッフ17名が参加して行われた。
場所は和食さと平野神社前店。
事前に店側から提示された2つのセットメニューから各自一つ選んで予約。
かきフライ定食と天ぷら定食のどちらかである。
かたや旬の味かきをみずみずしく揚げ物に仕立てたのが売り。
かたやえび天をはじめとした天ぷらをこれでもかと詰め込んだのが売り。
後者はいかにも胃に堪えそう。なのでこれを却下。
まず各自好きなソフトドリンクで乾杯。
食べるのもったいない、もったいない。でもせっかくだからいただいちゃお。
はじめに香の物でご飯を一口二口。うんおいしい。
半分ほどいただいたところで、やっとかきフライを口の中へぽとり。
熱々のかきフライがかむほどにジューシーに溶けてゆく。
ごはんをかきこみかきこみ、次は牛ロースステーキの方へ箸をすすめる。
サヤエンドウが二つ。それに一口大に切ったステーキが三切れ。
眺むることしばし。仲間と共に食事するこの場にての幸せをおもうと、なみだが出そうだ。
ロースは少しく固め。火をよく通してある。店側の配慮が嬉しい。
味噌汁を飲んで人心地。キャベツのみじん切りを一片のレモンを搾って頂いた後、忘れ物のように残された一椀である。
現地まで車二台に分乗したが、送って頂いた所長の計らいに感謝。
ドリンクバーからクリームソーダをsくんがつくってくれて、それをいただきながら上機嫌のぼく。
それに介助してくれたスタッフのSさん,Uくん,Nくんにも心からありがとう。
皆様のおかげで有意義なひとときを持つことが出来ました。
この前君と会った時
言葉を選んで
かえって別れを口にした
ぼくの心が悲しい
夕闇に包まれて
沈みゆく街の風景に
好きというセリフを
思わず飲み込んだぼく
ストップモーション
この夜を止めてよ
この時を永遠に
記憶に焼き付けてほしい
別れた後も
ずっと君を愛しているから
今年も十二月がやってきた。
雪はまだ降らないが、北風が身にしみるこの頃。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
あゆみ舎は食事レクにお疲れ様会とお楽しみも織り込みつつみんな元気で年の瀬を迎えようと奮闘しています。
災害が多かった年だけに無事フィナーレを迎えられるといいですね。
冬の恋人達を歌った曲は多々あれど、槇原敬之のそれらは、彼の声質のことも相まって徹底的に温かい。
アンハッピーな感じがしないのである。どこかに救いがあるのが、彼の作品のひとつの特徴であろう。
世界地理の科目が苦手。
そんなぼくに父が与えたのは地球儀。
毎日三〇分は回しながら眺めておくよう仰せつかる。
後でテスト問題を出題するのだ。
主な山脈から世界の主要都市の名前、各鉱山における資源の産出量、各都市の気候の特徴から工業生産の形まで出題は多岐にわたった。
今考えてみればその多くが世界国勢図会、日本国勢図会からの創作である。種本はあったとはいえよくぞここまで調べ尽くしたものだ。
おかげで高校入試の時は最新のデータにより抜群の正答率で難関を突破することが出来た。
書き込みで一杯になった地球儀を思い出すと今でも父のあの一生懸命さが身にしみるのである。
言わずと知れた椎名林檎の大ヒット曲のひとつ「本能」
ベストアルバム「ニュートンの林檎」を聴く。
彼女の作詞には独特の世界観が存在するが、男と女の恋愛感情における官能的関係を、本能的に書き分ける彼女の豊かな感性は、このアルバムの全編を彩っている重要な要素であるとしても、どこかにアーティストとしての迷いや苦しみを感じるのはぼくだけだろうか。
頑張れ林檎!
彼女の才能がただの気まぐれでないことを祈るばかりである。
余り好きでない言葉
申し開きの時の「だから」
ぼくの好きな「だから」はサントリー。
接続詞の中でも理由を導くこの言葉。
できればつかいたくない。
長々と理由を述べたその後で、だからこうしたいというときの「だから」はこれと対照的に大好き。
日本語って難しいですね。
スキマスイッチの同名曲。
詩人は文章が下手。
文章家は詩が下手。
この曲の主人公はさすが詩が上手。
伝えたいことを文章にするのに紙くずを並べて延々。
ぼくは詩を書き出してそれを組み立てて文章にすることも多い。
文章が詩の準備作業に役立ったのだろうか。
突き上げてくる感情を言葉に出し、曲に乗せて詠詠と歌う。
そんな作家達の創作活動の一端。
曲を書き歌うことの営みが垣間見えて興味深い一曲である。
ウィスパーボイス。
フレンチポップスの影響。
JUJUの歌声にぼくが真っ先に感じたのは、この二点である。
芸能界にハーフの人が多いことは知られているけれど、彼女はその中でもフランス系で宗教的にはイスラムの影響が色濃い家系の出である。
戒律的なかの国に生まれた彼女にとって、ライトポップスを歌うことは日本で許されたことであれ、不良行為と見なされてしかるべきことであったという。
日本は表現の自由が表向きはっきりと保証された唯一の国家なのだ。
日本で活動する芸能人達は出身国での弾圧行為をうまく避けて表現行為を行っているのだ。日本がすべての日系人に対して比較的開かれた国家であることのある意味では一つの証左が彼女の作品群にも現れていると言っていい。
今川焼きをレンジでチン。
中のあんこのほくほくした感じ。
白あんと黒あんの二個。
大判焼き、太鼓饅頭とも。
皮のもちもち感がたまらない。
このへんでは「御座候」のがいちばんおいしい。
「緑茶を入れて三時のお供に」
自分が日本に生まれた至福を感じる。
そんなひとときである。
いよいよかぼちゃのおいしい季節がやってきた。
だってもかぼちゃもない
いももかぼちゃも
土手かぼちゃ
かぼちゃには何処にでもあるという印象がつきまとう。
だからこそ庶民的な表現にかぼちゃが出現するのも異を待たないところだ。
シンデレラはかぼちゃの馬車に乗って王子様の元に向かうが、あれだって庶民の期待の裏返しと言っていい。甘言に乗ってうつつを抜かせば、あっという間に逆さ吊りにあっておしまい。
深夜十二時になって切れる魔法。
彼女はそれまでに王子の心をわしづかみにして去っていった。ガラスの靴の片方を城に残して…。
後の顛末は皆様ご存じの通り。
あの短い時間に彼女が王子様と現実にやったことが気にかかるのは、ぼくだけだろうか。
世間では手厳しいのに、一体何やったはるんです。
要するに以前、ぼくが通っていた福祉事業所では、ぼくのやっているすべての仕事について、職員にこう言われて、あざ笑われた。
仕事を取ってくるのが、利用者に対する職員の仕事やないのか。ああそれなのに…。
結局中途半端に大学を出ているために、あくまでも職員待遇。しかも工賃は月3万円。
工賃が高めなので結局全利用者ともそりが合わなくなって、日に工賃は500円止まり、週二回の条件も向こうがのめなくなって、あえなく追い出しコンパと相成った。
障害者はこう言うものだという共通認識が足らない当時のその事業所のやり口が今も不満でたまらない。
要するに職員としても利用者としても成り立つようで成り立たない境遇になってしまったすべての責任はこちらにあるとしても…。
ミスチルのHEROを聴くとあの時の思い出が蘇る。
待ちの姿勢では何も変わらないが、あの次平面で起こし得たこと起こし得たことは、そのことそのものが紛れもない真実である。
何も出来なかった自分にまわりの失望ばかりが広がっていった。その結果に過ぎないのだから。
いすゞ自動車のジェミニという車がある。
歩きの練習のお供につきあってくれた、思い出の車。
十五年あまり乗りつぶし、お別れの時にはぼくも22歳になっていた。
両親が初めて買った新車。
思い出と共に懐かしく思い出すのは、そのエンジンの馬力が車体の大きさの割に大きかった話。
山道谷道もすいすいと小回りがきいた。
そのジェミニもすっかり街で見かけなくなり、あの高質なエンジンを生み出したいすゞの技術力もどこかへ消えてしまったことを後に父から聞かされた時の衝撃は大きかった。
初代のジェミニ。
その疾駆する姿はあくまで気高く、うつくしい。
兄弟車ピアッツァより洗練された外装に、心惹かれたのはぼくだけではなかったろう。
生まれてきてくれて
ありがとう
よろこんでくれて
ありがとう
三度の糧に注がれた
余りある愛情に
ありがとう
たのしいはなしを
どうもありがとう
いつものはげましに
感謝を込めて
ありがとう
あなたに会えて
しあわせでした
愛に抱かれて
どうもありがとう
うまい。歌が格段にうまい。
19歳で早世したアイドル、岡田有希子の「ALL SONG REQUEST」
アイドル歌謡によくあるような音程のずれが彼女の歌には全くない。
作品の一つ一つが今なお輝きを放つのは、優れた作詞家、作曲家に恵まれたこともあろうし、彼らが彼女の歌声を心から必要としていたということにもよると思う。
竹内まりやさんが彼女の素質に惚れ込んで、一つの黄金期を作り上げたのは有名な話である。
今年に入って新譜が発売されたので、ぼくは改めてその価値の大きさに気づいてしまったのだけれど、今彼女が生きていれば五〇歳。
ますます円熟した大人の歌謡歌手に変貌していたかも知れない。
惜しい才能を亡くしたが、音源を通じて彼女はファンの心に何時までもその存在感を放ち続けるであろう。
これから紅葉の時期を迎え、街は一気に秋色に染まる。
第九の合唱は年末にかけての日本の風物詩。
色とりどりに縁取られる風景。
朝晩は気温が下がり、すっかりしのぎやすくなった。
そこで、これから聴きたくなるアルバムとしておすすめなのが、リトルグリーモンスターの一連の作品である。
平原綾香が歌った「ジュピター」など優れた作品に恵まれ、彼らもまた実りの秋を迎えている。
YOUTUBEでは彼らの意外な一面を見ることが出来て興味深い。
中でも諸外国からの来賓を前に、ビートルズの「ヘイジュード」を披露する姿は堂々としていて圧巻である。
楽しく、美しく、彩り豊かに。
今もっともぼくがはまっている合唱隊の一つである。
遊んで暮らして結構な生涯だね。
気ままに暮らすぼくを見て、ある日父がつぶやいた。
なんといっても父には生活のすべてがかかっている。
それでもあることが営々と出来ているぼくを見て、父はついてきてくれた。
あれが出来るうちは、というよりこう言うことは僕の遺伝的形質の一つである。
あれを人任せにしていては人としておしまい。
仕舞いにえらそうなことも他の人に言えなくなると想います。
ぼくは音楽が大好きで遊びのための費用も馬鹿にはなりません。
遊びをせむとや生まれけむ
平安時代末期に編まれた「梁塵秘抄」
その中にある四句神歌の一節です。
大人が遊んで何が悪い。
このまま遊んでいるうちはいいけどその先は…。
あまり考えたくないなぁ。
今度YOUTUBEでみつけたのは絢香さんの
「みんな空の下」大原櫻子さんの歌唱でも聴くことが出来る。
この曲の主人公のような思いを持って友人を賛美したことがぼくにもある。
まわりを悲しませないやさしさと、曇り空まで晴れにしてしまうとびきりの明るさ。
どんな逆境にもくじけない包み込むような笑顔。
そんなあなたを遠い場所から見守る私も同じ空の下を心から願っているひとりであろう。
中に秘めた強さを持つ人の心は温かい。
高い壁乗り越え大輪の花を咲かせる人の心は怖れをも跳ね返してみせる。
人々の間に深い共感をもたらす。
人はひとりではない。
みんな同じ空の下にいて力づけられているんだよ。
この曲を聴いていると本当に励まされる。
曇り空もなんとでも出来ると勇気がわいてくる歌である。
今年も夏は暑かった。
台風は次々にやってくる。
今度はどんな天気になるだろう。
そればかりが気になった夏。
史上最高気温の夏
恋も夢もすべては余談
たまらない歌である。
熱い熱い恋に落ちたあの日。
片付きようがなくなっても
すべて跳ね返るのは自分。
リトルグリーモンスターの
最新アルバムの中の一曲。
夏の終わりに余韻を残して
甘酸っぱく心に響いてくる。
それにしても彼らのハーモニーはすばらしい。
93年リリースの高橋真梨子「VERSE」のなかからユニマットのCMにもつかわれたこの曲について今回は取り上げる。
思い出はもう戻ることはない時間。だからこそ何処までも美しい。
叉会うことが出来るなら思いでごと作り替えてしまいたい。
あんなこともこんなこともあったけれど、叉一から出会い直せたら…。
仕舞いにあの出会いさえもなきことに出来たら…
ここまで思い詰めると大部分の人は不幸になってしまう。
かなり不幸な歌世界だからこそ、この曲の存在理由があるのかも知れない。
こういう曲を歌わせるとさすが彼女はピカイチである。
しぶい。その声にしびれた。
といっても演歌歌手の話ではない。
家入レオさんのハイトーンボイスにやられたのだ。
きっかけは「僕たちの未来」という曲を歌う彼女を動画で見たこと。
すっかり引き込まれたのが最初だった。
音楽の専門学校に通う学生達と一緒にパフォーマンスする彼女は傍目にも輝いて見えた。
彼女のアルバムの中でもぼくは「20」が好きでよく聴く。
ロッカバラードを歌う時の彼女は秀逸。
とくに「Silly」なんか聴いているとぞくぞくしてくる。
これからが楽しみなアーティストの一人である。
スピッツのこの曲。
NHKの朝ドラでこの前まで流れていたのでだれもがまだ記憶に新しいと思うが、めげずに歩いたその先に知らなかった世界がひろがっているから、優しいあの子にも教えたい。
こういうスタンスの曲は珍しいと思う。
アニメ製作者という新しい職業世界を確立した主人公の半生とも相まって、ドラマの主題としてまずまずの役割を果たしているのはいうまでもない事実ながら、しかしぼくが驚いたのは、この曲を含むアルバムのできばえが思った以上にいい事である。みんなが納得できる域に出来上がりを持って行くことは、プロの歌い手として当然だろうけれども、今回のアルバムに特に気合いがはいっているようなのだ。
これを機会にファンの間口を叉広げそうな雰囲気である。
ニューアルバム「見っけ」には彼らの今がぎっしり詰まっている。
聴きながら思う、見事に見つけられたのは実は私自身であったのだと。
今年の誕生日。父がバイカルのホールケーキを買ってきた。
生クリームとイチゴの載ったそれを四分の一に切ってもらう。
たまに思いついたようにそれをやらかす父の果てない愛に包まれて。
尾崎亜美の作品集「points3」を聴く。
誕生日祝いのまるで贈り物のごとく届いたそれは、観月ありさの歌った「伝説の少女」を含む全13曲。
美味しい美味しいケーキをいただきながら、人間の幸せとは何かを考える。
図ったように節目節目に現れる賜り物があって、それもこの世の七不思議。
亜美さんの美声に酔っている自分も、ある意味すごく我田引水気味ながら果報者の一人なのだろう。
こうして無事に過ごせるのも見守ってくれる人たちの限りない愛のおかげ。
皆様に感謝いたします。
このたびあゆみ舎へバナナの賜り物があった。
朱常分店様からということで八条御前のバナナ加工組合様の恒例行事である。
バナナが全国的に珍しかった戦後まもなくから六十年あまり続く歴史ある贈呈式が十月三日(木)に行われた。
二百十三福祉施設が参加した。
僕等がまだ幼かった一九七〇年代初頭、バナナといえばまだまだ高嶺の花の果物。
入院中の見舞いに一巾いただいたりすると、それに込められた相手の心遣いが嬉しく思わず涙がこぼれたりしたものである。
今では国産のバナナも多く市場に出回るようになり輸入品がすっかり頭打ちになったとはいえ、その当時のイメージからバナナのおじさんのバナナとして親しまれた半世紀あまり、朱常さんの厚意を今年もありがたく分けて頂き誠に光栄。
今年も無事に一年暮らすことが出来そうだ。
あゆみ舎一同感謝しております。
経済競争に日本が勝ち残るためには、今こそ利上げを。
消費税を上げた割に物価が下降傾向を辿る今、世界が日本の次の出方に注目している。
世界が今相次ぐ利下げ競争に明け暮れ、経済活動のうち投資を活発にしようと、躍起になっているけれど、個人の消費がスムーズに推移している今こそ、利上げに踏み切らないと、大切な政策上の好カードを切り損なうことになる。
マイナス金利政策は、何時も国民のうちの持たざるものに多大な悪影響をもたらすから、ここで利上げに踏み切ることで一時的であれ回避できないものか。
国際協調という名の下でまたとない利上げのチャンスをこれまで幾度もつぶしてきた日本。
預ければ利子が付くという元本保証付きの時代は、もはや遠くに立ち去ってしまうのだろうか。
ありきたりですが
至って普通であることを
そういう表現で表すにしても
何処にでもある日常
その一場面で
どういうふるまいをするか
それによって
次の展開が変わってくる
そのことを考えれば
ありきたりであることほど
むずかしいことはない
なぜなら
人は得てして
物事の次の展開に
目新しさを求めて
普通に過ぎていくやりとりを
ほうってしまうものだから
ありきたりな生き方
その平凡な
ひとときひとときが
何にも増して一番の宝物
ありきたりですが
ぼくはそうおもいます
機動戦士ガンダムと言えば、後に日本中に一大旋風を巻き起こした矢立肇・富野喜幸原作のロボットアニメシリーズ。
主人公がモビルスーツを操り世界征服をもくろむ敵役と宇宙戦争を制しようと奮闘する様を壮大なスケールで描いた作品として、一世を風靡した。
このガンダムシリーズでは数々の主題歌も思い出に残る。
このたびその中の選りすぐりの名曲達を集めたカバーアルバムが発売された。
歌うは森口博子。彼女自身もZガンダムの主題歌でデビューしただけあって、この作品群への思い入れは人一倍らしく、感情たっぷりに歌い上げている。
クラシックアレンジが効いて、多少抑制された大人の仕上がり。
楽曲で言えば、その中でもぼくは「嵐の中で輝いて」が好きだ。
オリジナルは米倉千尋。機動戦士ガンダム第08MS小隊 オープニング。
どんな困難の中でも、生まれ来る夢を輝かせて。
そのメッセージは意外にも心の深いところを刺激する。
楽曲に込められたメッセージ性とは何か。
アニメとは別の次元でも今一度味わうべきとぼくは考える。
19年8月20日リリースの水谷果穂「深呼吸」
彼女にはこのアルバムが初のフルアルバムである。
夢に一歩踏み出した少女の成長を歌った曲達が一杯詰まっている。
次のステージにすすむために大切なことが一杯詰まったこのアルバム。
彼女のタレントとしての意思表明として、名刺代わりにするりと聴き込める、そんな一枚に仕上がっている。
覚えていますか?小さな時からの自分だけの宝物を…。
朝が来た
新しい一日の始まり
考えてみれば
やり直しがきかない
今日の朝は
これ一度限り
昼が来て
あたりが
夕闇に包まれるまで
同じ時は
二度と訪れてくれない
一度限りの時の流れ
日々は巡り巡っても
二度とないこの瞬間を
如何にして生きよう
時は金なり
同じ事を何時までもやっているわけにはいかない
そう思いながら何度も同じ楽しみを繰り返すうちにもう三年目
詞が先に耳に入ってくるようなことも多かったが
曲の良さで聴くようになってからは
あまり細かいことにこだわらなくなった
こだわらなくなったらなったで
こういう聴き方が出来る
それがわかって
うれしかった
好みの曲をつないでどんどんと聴ける
今の環境には満足しているし
申し分がない
youtubeがつかえるようになって
あれもこれもと贅沢に曲を聴くことが
あたりまえにできるようになったからこそ
あらたにできることもある
曲紹介や感想を書き込むことはもちろん
その折々の自分の状態を反映した曲を
選んで取り上げることが
前より容易に出来ることになり
一石二鳥である
変わることと変わらないことのバランスを取りながら
将来の自分がどうあるべきか考える
何時までも一つのことを続けていく難しさを
ぼくはそこに観るのである
プラトニックな恋愛。
思いをなかなか相手に打ち明けられない。
自分の存在が彼女の心に影を落としてしまうことを恐れて。
ぼくがいなくても君は輝き続けて欲しい。
えらい否定的な言い回しながら、ぼくには分かる気がする。
いわゆる身分違いの恋というやつの行く末は、こんなけりの付け方になるのだろう。
ごてごてした感情の吐露を含む曲だが、大原櫻子は意外にすんなり聴ける曲へ昇華している。
彼女の性格が表れているようで、大好きな曲の一つである。
こんな曲意外に大原さんは大嫌いではと思うのですが、いかがでしょう。
どんなときも新鮮な気持ちで
それを迎えられる
だから
明日は何時もまっさらだ
そういう気持ちで何時も過ごしていると
少々のことでは動じなくなる
時には弱音を吐いてもいいけれど
そんなときでも絶対
明くる朝に持ち越してはいけない
悩みは引きずらないこと
打ち明けられた方も
その方が必ず
素直に物事を聞き入れてくれる
明日は皆に
平等に巡ってくる
だからこそ皆が
気持ちよく迎えられるように
心がけなければならない
ぼくはそうおもいます
夏だ。サザンだ。
この日誌で何度かそう騒ぎながら、曲を取り上げるのはこれが初めてである。
カラオケで歌うと必ず盛り上がるという曲でもないけれど、独特の存在感を放つのが、この作品だと言っていい。
発売された当時、NHKの同名番組との関連を取りざたされたとか。
ファンのみんなと一緒に歌って盛り上がる曲をという願いから、曲名が決定されたという、曰く付きの曲。
夏の恋愛をさっぱりとした曲調で歌い上げている定番のナンバーである。
人への甘え方がよく分からない。
人を好きになると、距離感の取り方にとまどう。
何処までも自己チューな自分にはっとする。
大塚愛の「甘えんぼ」を聴く。
好きな人に寄り添う甘え方が出来る人は強い。
つきあい上手は甘え上手。
自分の事を自分で出来ることも大事だけど、上手く他人の厚意をくむことも時には大切です。
恋する二人なら特にそう。
二人上手に甘え合って恋愛を成就させるのかも知れないなあ。
器用に何でもこなせる人は、そのどれもが極められたものではない故に、何でも中途半端に終わってしまってなかなか技術が自分のものに出来なくて悩む傾向がある。
これを俗に器用貧乏という。
共倒れになることも多い中、目標を一つに絞る大切さを、僕は勉学の中で学び取ったような気がする。
簡単にできる文章作法の本を初めて手にしたのは、確か小学校一年の時。ドラえもんの漫画の着いたものだったから、小学館発行の本であったろうと思うが、ぼくと原稿用紙との長い長いつきあいはそこから始まった。
器用になんでも出来る人と違い、当時のぼくはなんの取り柄もなかったが、作文という教科には、その本の力もあって、言いしれぬ魅力を感じたのを今も鮮明に覚えている。
思ったこと考えたことを形にしていく地道な作業は、はじめはしかし口にするほどたやすくなかった。
まず何から書いていいか分からないという悩みは書きたいことを徹底的に書き出すことで解消した。
構成が見えてくるまで文を書き出してはつないでゆく作業が次に待っているから、この時点で何処まで書き出すことが出来るかで、その文章の質と量が8割方決まる。
ぼくの文章作法はこの繰り返しと言っていい。
僕等は位置について
横一列でスタートを切った
つまずいてるあいつのこと見て
本当はしめしめと思っていた
スガシカオ「プログレス」の歌い出しは上のような一節から始まる。
何処にでもある人間の感情の落とし穴に着目すると、自分もたいしたことにはなっていないことに、この詞の作者は気がついたのかも知れない。
相手がこけているのに優越感を抱いた割に、自分は自分で「あの日の駄目な僕」のままで…。
ずっと探していた理想の自分はもっとかっこよかったはず。
それに一歩ずつでも近づくために努力をかさねたい。
あと「一歩ずつ前に進もう」
そんな決意表明をしてこの曲は締めくくられる。
聴いていてはっとさせられる歌である。
僕も頑張らねば。何時までもあの日の駄目な僕でいていいわけはないのだから。
暑い夏がやってきました。
甲子園大会も明日火ぶたが切られます。
日頃の鬱憤を晴らすようにいろいろな曲を聴きまくるうちに、だいぶ耳も肥えてきました。
夜月が煌々と照る時分でないと、昼間の散歩は身体に応えます故。
ということで、今回取り上げる曲は山崎まさよしのデビュー曲。
彼女と夜間のデートに出てと言う趣向で書かれたこの作品。
インパクトの強いこの曲を聴いただけで彼の独特の声質と世界観に惹かれた人も多数に上るだろう。
その存在感では、同時期に世に出たスガシカオと人気を二分したという。
【スガシカオの曲については次取り上げる】
真の悲しみ。
なんと深い題名だろう。
鉄腕アトムのシリーズで最新のものの主題歌。
女の子4人組バンドzoneが歌っている。
この曲を聴くと僕はいつも自分の中の無念な気持ちを抑えることが出来ない。
何時も障害者の中でトップを走り続けていたつもりだった。
他の人たちに夢を与えつつける存在であれと周りから期待されてもいた。
競争社会ではしかるに僕は負け組の方に入ってしまった。
僕が先を歩き続けないといけないのに。
開き直って好きなことをして生活しているが、ロストジェネレイションの走りの世代。
あまり多くを望めないかもと一方で不安も覗く。
決してこの悲しみは人ごととは思えない。
賭博の本場、ラスペガス。
人々はそこで、一夜の夢を見る。
一攫千金。
「日本でも、ああいう遊戯場が必要だ」という議論が、国会の場で戦わされていたが、あの知恵熱は今どこに行ったのだろう。
ギャンブルは悪い事。依存症のこともあるから、めったなことはいえない。
でも歌なら、自由に創造して歌い込むことが出来る。
ある意味面白い。
玉置浩二の詞に描き込まれたそれは、そんなラスペガスの一面を映して、かえって切なくなる。
「刹那の時を快楽に費やすことを、割り切ってとらえているところ」
きわめて日本的なその因果に、僕はすすんで喝采を送りたい。
7月12日(金) 左京区百万遍のカラオケjにて恒例のカラオケレク。
スタッフメンバーとも二部屋に別れ入室。
over soul(林原めぐみ)、white love(speed)、闇夜の心中立て(石川さゆり)、ワインレッドの心(安全地帯)、どんなときも(槇原敬之)、すきま風(杉良太郎)、東京砂漠(前川清)、人生いろいろ(島倉千代子)、それが大事(大事MANブラザーズバンド)、クチナシの花(渡哲也)、熱き心に(小林旭)、ハナミズキ(一青窈),shake(smap)、サボテンの花(財津和夫)、雨の物語(イルカ)、恋に落ちて(小林明子),少年時代(井上陽水)、frend(安全地帯)、365日の紙飛行機(AKB48)、世界で一つだけの花(smap)など
ソフトドリンクとスープバー自由と言うことで、各自好きな飲み物を口にして心一杯楽しみました。
次回は1月の予定。また行きたいです。
1992年に出された広瀬香美のアルバム「ハーベスト」の中の一曲。
むしろ世間的に流布したものとしては、森口博子の歌唱したそれの方が、有名かも知れない。
人生何でもやってみた者勝ち。
やらずに後悔するより、その方が何倍も神様の御利益にあずかれる。
夢や希望を叶えるためには、まず信じることが一番。
広瀬さんの前向きな言葉が、難局をきらきらと照らしだし、あかるい心持ちへとかえてくれそうである。
やりたいことをかなえたいすべての人へ送る応援ソング。
平成30年9月、平成最後の年、一人のスター歌手が表舞台から姿を消した。
彼女のオールタイムベスト「FAINALLY」を手に入れたので、収録52曲を一気に聴く。
小室ファミリーの一員として後に名をなす彼女も、沖縄から上京してデビューしたての頃はまだ才能は未知数。
それだけに人に言えない苦労を数々重ねたという。
アクターズスクールの活動には何か物足りなさを感じていたというから相当の頑張り屋さんである。
その性格は律儀で几帳面。
ここぞという時にへこたれない勝負強さも持ち合わせていただろう。
安室さんのあの服装こそ、崩れない彼女自体のスタイル。
それをかっこいいと言って真似る女子高生が続出し、「アムラー」として一種の社会現象にまでなった。
そんな周りの状況と自分の性格との隔たりから、彼女は次第にCDを出しては売れるという現象を含め、違和感を覚えるようになってゆく。
それと機を一にしてであったハウスミュージックに活路を見いだした彼女は、単身アメリカに渡り、日本への移入を志す。
このベストアルバムは彼女の魂の遍歴を映し、初期から晩期に至る曲の雰囲気が、そのまま味わえる作りとなっていて興味深い。
さまざまな思いが交わる作品となっているので、ファンならずとも是非御一聴をお勧めしたいと思う。
1972年。井上陽水の名作「氷の世界」リリース。
ミリオンセラーが数少なかった当時、このアルバムの売れ行きは驚異的な数字をはじき出し、1958年の芥川賞を取った石原慎太郎「太陽の季節」のブームに比されたという。
はじめから最後まできくのに苦痛なく、むしろあっという間だった。
肩肘張らず、頭を空っぽにして聴ける作品だ。
小椋桂とタッグを組んだ曲の数々。おなかをほどよく満たす真の高級料理のフルコースを味わっているような気分にさせてくれるそれら一曲一曲が耳に、心に、身体に本当に心地よい。
このアルバムの中で僕がもっとも好きな曲 「心もよう」について以下に一筆触れておきたい。
文は心を映すという。
電話もメールも高嶺の花だった当時のこと。
親しい人に手紙をしたためながら、心は千々に乱れて物狂おしさをどうすることも出来ず、インク瓶を前に筆をなめなめ感傷に浸っている主人公の様子が目のまえにうかぶようだ。
七月七日。昨日は七夕です。
笹飾りに短冊をつるして、願い事を星に託した人も多かろうと思います。
織り姫と彦星が一年に一度会合するというこの日。
実は正確に言うと、暦通りでは旧暦の七月七日に当たる。
つまり現在日本で使われているクレゴリオ歴では約一ヶ月遅れるのを皆さんご存じでしたか。
今年のそれは八月七日になります。
ウィキペディアによって調べると、昔は八月十六日の盂蘭盆会に至る、年中行事の一環とした一連の政の中に組み入れられていたらしいのですが。
昨日はまずまずの天気で天の川が綺麗に見えたのではないでしょうか。
よくプラネタリウムなんかで見た天体ショーは、それこそ八月の夜空。
思い出と現実のギャップは無意識の曖昧さで覆い隠されていたのでしょう。
本当を知りたくはなかったと、後から歯噛みした私でした。
あっ!ステーキの切り落としだ。
野菜も焼きそばもたっぷり。
アルミパックに小分けされた肉が各テーブルに回され、準備完了。
スタッフに焼いてもらった肉をありがたくいただく。
この日を毎年心待ち。言いしれぬ感謝と共に。
2019年6月26日、水曜日。
今日は焼肉パーティ。あゆみ舎いろり舎合同レクの日だ。
レモンティーを注いでもらって、さあ食事スタート。
午前からきゅーきゅー鳴ってたおなかに、待ってたほいと三角おむすびをぱくり。
ホットプレート九面フル稼働にて、ブレーカーがしばしば落ちた。
本題の肉にたどり着くまでの時間がすこぶる長く、この間をどうやって持たせるかがポイントである。
食事のペース配分というやつだ。
あまり間延びすると空き腹が持たないし、かといって先に副菜を詰め込みすぎても後の楽しみがなくなる。
焼きそば、野菜、おにぎり、野菜、肉、野菜、肉とつぎ込むと毎回ちょうどいい具合にペースが保てて、後の楽しみもたっぷり。
飲み物は四杯も飲んだ。お茶類が主だ。
肉はジューシーでとても旨く、たまねぎとなすがほどよくそれをひきたててくれる。
楽しい時間は早い。焼く時間がじっくりあった方が、それこそゆっくり楽しめてすごくよい結果とはなるなあと感じたことだった。
綿矢りさの「蹴りたい背中」
オタク趣味で世間知らずの蜷川に興味を持ってしまい、「私」はつきあっていながら後悔。しているらしく、もっとしっかりしてほしい。
頼りなく思う故に背中を蹴る場面が二回も出てくる。
世間に対する閉じられた興味というのも思春期特有のものという人もいるが、僕はそうとばかりだとは思わない、
引きこもり傾向にある人の青春時代が、重い沈滞感を持って描かれるから、小説全体にどこか鬱鬱した雰囲気が漂う。
現代に生きる高校生のある一面を描いた青春小説として、2004年の芥川賞を受けた本作は、どこか本家本元の芥川龍之介の一連の作品群にも似ている。
陰鬱なのでどこか曲折しているとも取られてしまいかねないけれど、青春の光と影をくっきりとあぶり出した秀作と言える。
「健全な青少年の育成のために」
警察方面ではこの言葉がよく利用される。
一方で悪に強いものは善にも強いという考え方もある人たちには本当である。
さまざまな犯罪に触れてきた関係者が興味深い言葉を口にされたのを、はっきりと覚えている。
「心我一如」という言葉がそれである。
悪い事をしてはいけませんとはいうものの自分でよいと思ってしたことが結果的に犯罪になってしまったり、その逆のケースもある。
前者の場合は元々がよかれと思ってしたことだけに、罰するに心苦しい場合もあるし、後者の場合は元々が悪い事だけに、それがひょんな事から善行に転じても一概に誉められない。
つまり善悪は二元論で計れない場合があるのも事実なのだ。
健全なという言葉も非行の裏返しであろう。
多少毒を含んだ言い方かも知れないが、そういう言い方も一つだという言質を警察関係にいた知人から取ったことがある。
こういう考え方に立ってKANの曲「健全 安全 好青年」を聴いてみるとおもしろい。この歌の詞の中の毒、あなたには分かるだろうか。
昭和最後の年、1988年。
TMネットワークの五枚目のアルバム「ヒューマンシステム」が発表された。
クリスマス仕様の箱付きDVDセットで発売されていたような記憶がある。
未来志向のシンセを使った音楽はまさに時代の最先端。
後に「小室ワールド」「小室ファミリー」を創り出した小室哲哉氏を中心に結成された音楽バンドTMNの最盛期を知るものとしては、大いに脂ののったこの時期が懐かしく、心からこのアルバムを楽しんだ。
後に鈴木亜美が歌った「BE TOGETHER」が収められているのも今作。
後にこの音楽の系譜はELT等多くの音楽バンドに影響を与えたという。
聴き終わりの余韻に浸りながらふと思った。
彼らの夢見た近未来より開かれた時の流れを、僕たちは本当にものにしているだろうかと。
皆さんはお寺の本堂で遊んだ経験をお持ちでしょうか。
お経で曲を作って木魚をたたいていて、和尚さんに不謹慎だと止められてしゅん。
そんな思い出を持つ人たちにはどこかでしてやったりなのが、あいみょんのこの曲。
歌詞はあの瀬戸内寂聴さん作だと合点が行った。
どこか現世を超越した歌をあの石川啄木の血を引くあいみょんがあの独特の歌い回しで表現されると、もう世界観からしてこちらまで大正のあの時代へ誘われるようだ。
日本の文学史はこうしてしっかりとつながってゆくのだろう。
泰淳さん、お子さんはしっかりと頑張っておられますよ。
いきものがかりのアルバム「I」の中に恋愛小説という曲が入っている。
名は体を表す。
詞、曲共に出色の出来で、あたかも一編の恋愛小説のごとく聴くものの胸に迫ってくる。
吉岡さんの絶唱。
彼らには珍しくしっとりと聴かせる曲に仕上がっていて、アルバムの中でも重要な位置を占めている。
男女の仲の親密さというものを余すところなく印象づける歌で、昨今聴いた中ではぼくの一番のお気に入りである。
このアルバムには他に笑顔や東京、風が吹いているなど後に彼らの代表作品となる曲達が 収められていて、値打ちものである。
なかなかの掘り出し物を手に入れた。
ある少女漫画の実写版。
主題歌の方を斉藤由貴の歌唱で聴く。
このドラマが流行っていた時、僕はあり得なくもない話の設定に妙にリアルさを覚えたが、実際にこの話にはモデルがいたと聞いてやっぱりなと思うと共に、大きな衝撃を覚えた。
後に僕は何回かに分けてこの放送の再放映を見たと同時に斉藤さんの所からある情報を得ることになる。
この曲がかなりの売り上げを上げて、カップケーキを飽きるほど食べられたというのだ。
いいなあ、食べたかったなそのときのカップケーキ。
後に妹さんから申し訳にと一つカップケーキをごちそうになった。
ベスト盤を買ってきてみると入っていた「白い炎」
女の子の悲恋って一体全体こんな風なものなの?
ほっと一息。コーヒータイム。
この時皆さんなら何をしますか。
さあ音楽をかけよう。少し前の僕ならそうなりましたが、その状態が常態化した今はちょっと違います。
まず運動にエアバイクに乗ることにして、そのご褒美におやつを摂るのが、今の僕の理想ですが、なかなかそううまくはいきません。
音楽を聴きながら、無理なくできる運動を、無意識にでも出来ればいいのですが。
歩くという文字は少し止まると書きます。
一歩の距離はすぐかも知れません。
でも一歩一歩踏みしめることで歩いたその距離はすこぶる遠くになっていきます。
積み重ねの大切さ。休みながらも少しずつ歩いてやっとここまでたどり着いたこと。
これを機に少しく立ち止まって自問自答してみました。
自分の他人への貢献度、創造力、企画力についての話です。
本エッセイも4ページ目。
毎回人に読まれる事を前提にした文章を書くようになってから、興味ある事を書くにも、どう伝えるかを自分なりに考えながら書くようになりました。
想像力を働かせることにより、妄想を書くコーナーという企画のふりをしながら、結局は身辺雑記が主になってしまいました。
統合失調症と言っても人によりさまざまな症例があり、妄想に当たるものを文字にしてみても不謹慎であろうと言うことで、やめています。
その分生活の中で感じたこと、好きな音楽がただいまの主なテーマになってここまで続いています。
あゆみ舎ホームページを訪れ、このコーナーを楽しみに読んで下さる皆様、これからも末永くどうかよろしくお願い申し上げます。
夢を持って仕事に取り組むこと。
いずれ何かにつながる。
そんな目標を持つことは大切。
はじめからそれが分かっていても
現実的にはなかなか難しい。
誰かを幸せにする文章
読む者を励まし、喜びを与える
そんな文章を僕は書けているだろうか。