ぽっかり

よく探し物をする。
一人で探せ。ついに父が音を上げた。
ある。あるから探せ。
あるものを探すことが多い僕に、作業所でも、しびれを切らしたのはt所長。
企業の採用面接を受けたら、隠して置きもしないものを何故探す。こんな事取引先や取材先でやってご覧。社会人失格だよ。
作業所が何とか拾ってくれた。資料を提げていく。こんなことしてたら途中でなくす。自然とそう気づいた作業所の職員がいた。結局何かである。
しまらんなあ。割とめげないわけでもないけれど、少々自分勝手気まま的傾向があるようでもあるのに、しっかりと誰かに受け止められた。
もう何年前もの話になるだろうか。

成績は良かった故のt銀行での重役面接。そこではねられざるを得なかった一番の事由が、ぽっかりぬけであったとは。
いつもの君で良いよ。そのままでいていい。そう慰めてくれる面接官。
君には企業人として足りない何かとは違う独特の個性がある。別れ際に彼はそう言ってくれたのではあるが、牧水の詩のようで誠に悲しいものがあった。

ありがとう

雨が降るなか、近くのt商事で買い物。
日曜大工・家庭用品を取り扱う店で、腕時計のバンドを手に入れた。
本体共に価格を積み上げてみる。すごい。得をした。
以前時計屋で取り寄せた革ベルト付きの腕時計と同等の価値を手にしたことになった。
なくしたと思っていた時計、それが戻ってきたときよく見ると、誰かがクリーニングしている。これでバンドを元に戻したら。うきうき。
お目当てのそれを提げて、店の外へ出る。
先ほどの雨がカーテン状に降り注ぐなか、自分がこの中で何をすべきか考えた。
前を通りかかった人が、「あの…。車で送りますけど」
やることとなすことがとんちんかん。この婦人何か怪しい。
車で自分からこちらにぶち当たってきておいて、それはないやろ。
「これから買い物もございますので」丁重にお断り。
近くのコンビニで大学ノート三冊。こういうものに店の住所など書いておくと、近隣の住所がすぐ書けて、便利である。
いよいよ滝のように雨水は流れ、衣服が水を吸って動けない頃。再びたまらず、先のコンビニに飛び込む。
タクシーを呼んでもらう。
ちょうど入ってきた個人タクシーの運転手さん。コーヒーで一服のところ、店側に交渉を頼む。快諾をいただき、車へ。
「おくつろぎのところ、申し訳ございません。乗せてください。雨のなかお仕事大変ですね」
「初乗り六百円です」
「ありがとうございます」
あまりのことに手帳がつかえない。
別れ際、それとなくこころを見せてくださるかの人と話していると、このブログを読んでくださっているとのこと。
「ありがとう。頑張ります」

なんちゃって

高級ボールペンを買う。
日誌やなんやかや書いていると、やっぱり良いのは書き心地。
金銭累計簿を書きながら、家計の調子具合を確認していると、もう手元にそんなに資金の余裕もないし、この一週間の回し方が鍵を握っている。
年金が下落。生活はそこそこ。書き物をごちゃごちゃ。
そのうち専用に、自分の書きを助けるような筆記具が、欲しくなった。
ある文具店で見かけたパーカー。内使いにちょうど良い。
あんなの外で使ったら…。そういう道具を使ったために、会社で人間関係を損なった例もある。
新入社員が、スーツを着慣れる頃。僕のところでも、ペンひとつ持たせるかどうかで、親がもめていた。
もう二十年。機が熟したと見て持つペンの一振りが少し性に合わず、取り替え。
道具負けしないようにしないと。
こんなボールペンいらんわい。ゼブラで十分や。そう言いつつも、父は何やら羨ましそう。
それ軸を替えて書くやつなんやろ。うん替え芯が八百円もする。
大切に使わなあかん。あゆみ舎と違うて、自宅の中でつかえ。
ああいう医事方に提出する帳面を書くのに、高級なもの使って良いのかな。
一生治らんかも知れんなあ。いや、お前は治る。
こういう時、結局嬉しいものである。
何書いているんやと口では言いながら、お前は治る。
なじっているようでも、きちんと本音で愛を示してくれている。
やはり父はこの買い物に、何かを感じたらしい。
今年は大佛次郎生誕百二十年という。お前の書く文って彼の綴り方教室みたい。
身内の人たちに言われて、僕はなんと言っていいのか戸惑った。
自分では書き続けていいのだけれど、なんかなんちゃってになってしまって。

焼き肉レク

六月二十一日水曜日すっかり忘れた頃に焼き肉レク。
あゆみ舎いろり舎合同で行われた。ホットプレート何枚出すかの勢い。
今年はホルモンなしと言うことで味付け肉。
はじめからたれ付きと言うことで焼くだけ。
焼きそばにはソースを絡めて調理。それから野菜、肉。
水が出て大変。油が飛び跳ねる。そこは焼肉店バイト経験のあるmさん、機転が利く。
スロースタートでなかなか焼き始められない割に、一番早く食べ終わり。
おにぎり三個を腹に収めて、野菜と肉をちゃんぽんにする僕。
みんなの協力あって美味しく頂く。
となりのyさんにも向かいのnさんにもいろいろ世話を掛けてしまう。少し悲しい。
でもみんな座を明るく盛り上げてくださるので、救われるような気持ちがした。

こころ

ある朝、急に有名になる人もいる。
藤井聡太四段の二十八連勝に世代交代を感じる。
加藤さんの将棋は棋譜を見ても無茶苦茶で、筋が通らない。
初心者には全く訳が分からない。ひふみん。
辞める人もいれば昇る人もいる。
ポカをすると、綺麗に筋が読み込めない。
なにぶん私は個人的に勉強しただけであるが、あれだけポカをして、まだ対局をしていられる、一二三九段のことが不思議でならなかった。
将棋の指し方で資産の積み崩しの様子が窺えるという人もある。
将棋は駒を捨てたり拾ったりして、すべて活かせるか否か。それでそのことが分かるというのだ。
それはそれで興味深い指摘に、僕はいっとき棋譜を集めに集めて回る。
解析してみると、積み上げる将棋と突き崩す将棋がある。この人の言うことは本当だった。
一方的に駒を落としていくやり方で勝つ人は、一時的に良くても何か人間的に何かが抜けているので、そうなるのではと思う。
そこは僕が言えることではない。
何かの直感でしかないから、詳しくは言えないけれど。
ただ気づきにはとどめておきたい。

初夏レクはボウリング

MKボウル上賀茂。
六月八日(木)あゆみ舎初夏レクは、医院のデイケアでも行ったことのあるそこで、大勢の一般客と混じるなか行われる。
まず入ると、僕はまっしぐらにソフトクリームをペロリ。お目当てを先に平らぐと、マイペースでレーンへ向かう。
十ポンドのボールを両手にかかえる。もうゲームは始まっていた。
客人が多いというのでレーンはよく整地され、よくピンが倒れる。
頑張って投げ入れ。ズルいとも思いながら、それでもついやってしまった。
あまりこれをやると板張りがいたむ。本当はいけないこと。
スコアを二ゲーム八十四点まで上げる。自分では善戦したが、これは参加人員のなかでどんじり。
皆との体力と知力の格の差は埋めがたく、皆で支えあっていると感じる。
 声をきいていると他に、知人の影もちらほら。体調がその日はもうひとつだったけど、元気をもらった。 

不思議

かくありたい。ありたい自分になりたいと背伸びしようとする。
人にはそういうことがあると思いますが、これ僕には苦手。
自分の価値観に会社を誘導して自分を見失う人もあるからです。
それでも大変な時だけ、期せずしているところにいる人も、いるよ。君が何時もそうなってしまうのはどうして。
大変なときにいないスタッフもいるし。社会に出た友人に直接声を掛けられ、不思議がられる。これ学校時代からの話。
いざと言う時に本当に、いない人っている。そういう人は責任観念ゼロ。高校生の頃にある先生が言っていた。
自然とそういうことになってしまうのは、巡り合わせであってしまうから。割に意識してもいけない。
けれど、見る人が見ているとは言え、そういわれてしまうことそのものが、逆に不思議だ。
自分の父はと見ると、ああいう時いないのが、何時も不自然という人が、客のなかにいるのが、何故か分からない。
父にそれを聞いてみると、「忙しいから」
責任はいざというときにいない人にかかるのではない。いる人にかかるのだ。それがこの世である。

大人の喧嘩

皮が厚い大きなあんパンを買う。
授産の女性利用者の持ち込みを見て昼食につい欲しくなる。
子供の頃の想い出にある、高級あんパン。
大きすぎてひとつしか食べられないようなそれを、ふたつ。粒あんとこしあん。
翌日あゆみ舎に持って行くつもりで、前夜に買ってみたら、例によってぺちゃんこに潰れるので、カバンに入れる事が出来ずに持ち帰る。
途中でこしあんのほうをバス停のベンチで一休みしながら食べてしまって、あと粒あんを父に渡すとどうするのかなと思うと、わくわくしてくる。
先日電気屋で見たボタンの大きくて使いやすい固定機。
父にどう弁解してやろうかと思いつつ、これも自立の道具と見て思い切って現金買い。
月末の今日あたり自宅に品物が届く。はずであるが…。
電化と、消えもの。どちらが積み上がるか。
合理性と言うことを常に考えて、人は消費を繰り返すわけではない。
それでも食費と文化費をバランスして得になるよう頭を回す。

柏餅

やっと夏が来た。授産の帰り、コンビニで柏餅を手に入れる。一個百八円
Y社のやつ。
これで今年は食いっぱぐれぬ。四月二十三日。授産のお花見は船岡山。
みんなをほって仕事帰り、お金の算段。
三日後、修学院駅近くで柏餅二個。こしあんと粒あん。
その二日後、父がそこで買ったとおぼしき柏餅を、一個お返しにくれる。
二日後、とある市場から、柏餅四個父が自分の楽しみにとってくる。
いやがるのを横目にひとつ失敬。
五月五日、母校近くで四個入りよもぎ餅一パック。すべてたいらぐ。
その日の夕飯代わりと思っていたけど、明くる日の朝食まで食べられない。
一個こちらが返されたからと言って、私がとってきた餅ひとつ取るのか。父はそういいたい言葉を、胸の内でぐっとこらえたに違いない。
あの日の柏餅二個。両方取ってしまったことを自責。
大好物とはいえ、ちとやり過ぎだった。

スタンス

ただで人に善意を与えるとあとでつけが回る。
そう思って居る人が、意外に多い。
給料取りでそういう考えを持っている人と会う。
意外と会社の上役が、何故か権力欲の固まりで、勘違いした上に、善意を与えた方を辞めさせることも多いので、素直になれなくなったりするのだという。
「何してるのよ。何様のつもりなの」久宝瑠璃子並みにうそぶいては見ても…もうそんな時代になったのか。どうなのか。
障害者が同僚の善意を、素直に受け取れない世の中になっては、世も末である。
ありがとうと言ってバスの座席を譲って頂いた人に、礼を示す。
ただで替わってもらうと大変だ。ましてや自分から「代わってもらえますか」と言って席を替わってもらうなんて。
人の善意は素直に受け取って、あとでごたごた問題にしないこと。
もう替わってあげない。そういわれたらおしまい。
気持ちよく替わってもらわないと。素直にわだかまりなくお礼を言うこと。
人の心をつなぐのに必要なのは、自分の心です。この渡世、困った時はお互い様。
頑張って生きている自分を誰かがきっと見てるよ。似た様なことをうちの妹の恩師も言っておられると聞いてびっくりした。
頑張ったら何かあるとは親に言い聞かされたけど、何処でも同じことを言うものと感じ入った次第。
だから自分は見られない様で、何時も誰かに見守られていることを、忘れてはいけない。
「何時も人が自分をどう見ているか、意識しなさい」うちの母は幼い僕に何時も言ったものです。
当てにしてはいけないけれど、努力していれば何かが起こるというのは、本当だと思う。

祈り

祈りが空を染めていく。青々と月の照らす夜。愛とは幻か。あの日見た夢のような。
あの日の生活は愛に包まれていたのに。僕は人の痛みを感じない様な鈍な子だった。
愛とは実態がない。それだけに大切に、人との温かな関係を築くために愛を注ぎなさい。それが分かる様な分別がないまま、育った様な気がする。
悩んだ末、楽しく居ることにする。
それとなく居るだけで楽しく生きることが出来る人って居るじゃない。あれどうしてなんだろ。
それなりに気を遣わなければならないけど、それって愛なんじゃないかな。
悲しい人も居るけど、人を受け入れて、置かれたところで咲いていればいい。
なんかお前の愛って違うな。そういう事って違うんじゃないか。
じゃあどういう…母親の言う愛の定義が分からないまま、延々と時を浪費した、
これが分からないと施設に落ちて、薬盛られて、暴行されても、文句は言えないよ。
そういわれても、両親からありったけの愛を注がれた割に何かが分からない。
じゃあ愛がないところに行くか、はじめからnさんのつてのところへ行きたいとだだをこねた。
愛って何や?「愛を注がれたお皿は容易に割れることはないから 今はこの幸せを大切に。両親の言うことを聞くんですよ」
 小さい時から築き上げたこの幸せが、そこで何かに変わるかも知れない。大人になったら分かるよ。
精神科の病棟に入ってみても、そこでなんか何があっても楽しそうで、たまらないと、あるスタッフに言われてしまった。
病院でも、そこはそこで病棟で楽しそう、そういうところ、意外だったよ、
知人のi さんにいわれて、こういう心の表し方が人格的に恵まれていると言えるのか、どうなのか。

気分転換に

琵琶湖大橋へドライブに出ようと言うことになってメンバー有志で「ぶらり街?歩き」
残念ながら大橋渡り時間の関係でならなかったが、時間つぶしと息抜きと思って、僕もあゆみ舎を出た。
昼からのお出かけ。
午前の作業で原稿のまとまりが悪く、煩わしくなったので、すっぽらかして外へ。
何時も街歩きと言えば、商店街をぶらりとか、神社仏閣を散策など、へんに近場が多い。
歩きが堪えてつらくなることもあるからとて、かえって出ないことが多い。
自重していたのだ。
でもこの日は違った。安らぎの里とか言う休憩所。
「ソフトクリームが売ってるよ」Οさんがささやく。心の中で「わーい」
喜んだ。ぺろりとなめるΟさんの姿を建物入り口から見ながら、「欲しい」
でも何かコーンが違う。
「はい食券をそこで買って」「そこってどこ」左側。
食券の自動販売機があって、ベンチがくるり。
ソフトクリーム三百五十円也。「こっちで受け取って。走ってあげようか」「ありがとう」杖で踏ん張るもよたよた。
ふと頭を上げると、売らんかな、そこには「ソフトクリームお渡し口」心でずっこけた。
「はい」店長らしき女性がワッフルみたいなコーンに入ったクリームを渡してくれた。
なめてみると、様子がちょっと違う。どっちか言うとアイスクリームみたいな。
「文句言わないの」とΟさん。「美味しい」
彼女の聞いてきたところでは、ジャージー乳仕立てと言う。
「練乳にも使われるあれ」車での帰り道、誰かが口を合わせた。
この大きさを確保するには、この質が限界なのかも知れない。妙にお得である。

近未来端末

PHSを扱う会社がなくなると聞いて、僕の使っている携帯会社に連絡と、歩を飛ばす。
やはり簡易型携帯端末はもう消えていた。時代の流れ。
もう今のサービスは受けられないのか。時流に乗り遅れまい。
何かひらめいた。まだ買うまいと思っていたけど。この会社のカラバゴス携帯は生き残っていた。
これお願いします。もう従来型は扱っていないというなら、せめて最新型でない別のものを。
あのアンドロイドとかああいうものは苦手なんです。
カタログを繰る手があるページでぴたりと止まる。
なんと、あの近未来端末が、そこに載っていたのだ。
あの、このタレントさんは…。桐谷美玲ちゃんです。
え、カスミちゃんじゃなくて。
自然と何かしらボケてしまって話が…トホホ。
すごいものが売られている。もう迷いはなかった。
機種変更お願いします。翌日施設職員のtさんがとても喜んでくれた。
大切に使おう。

一炊の夢

歌が好きで、だいたいの国内POPsは聴いていました。
売れ筋表の存在も知って、青春時代大いに楽しんだものでした。
一般的にその曲が当たってから売れることをヒットと言います。
ところがそれが世間一般に膾炙し、広く歌われるまでに、さらに十年、二十年の月日がかかります。
その時差をある年上の女友達から指摘されて、ヒットが必ずしも世の中全体に、広く広まること、歌われることとは別であると知って、ショックを受けます。
「タレントさんが浮かれている時に、一緒に愉しむのもいいけど、その曲が本当にカラオケなどで広まっていって、みんなで歌える様な曲になってから、一般人と一緒にワイワイ楽しんだ方が面白いよ。そういう曲が本当に残っていくんだから」
「考えてみたら、それは本当」
流行の曲を流行っている時にカラオケするのを、僕は止めてしまいました。

猫目石

日本テレビで八十三年頃放映された「猫目石」という動画作品。
確か三人組の女義賊が猫目石という翡翠に秘められた謎を暴くため、それを追うと言う筋立てだったような、ないような、そんな女子物のアニメ。主題歌に心奪われる。
 楽曲製作者という職業に、強く惹かれる。
この曲には、二度三度の転調をはじめ七七五など詞の必要な要素がすべて詰まっている。
杏里がこの曲を大当たりさせた時、私は未だ幼年期の夢の中に居た。
単純な様で単純に聞こえない。
あの魔力は一体何だ。
不思議な感覚に囚われていった。
何回も何回も磁気録音してある其れを聴きまくった。
五年前、「オリビアを聴きながら」(尾崎亜美作詞作曲)で鮮烈とも言えぬデビューを果たした彼女が、存在感を其の主声部に託して、一気に名声を高めた。
何時かこの曲を越える曲を書くんだ。
両親には結局笑われてしまったが、あの本気度は何だったのだろう。
今考えて見ると何故か可笑しい。

花を見つめて

本当に晴れるのだろうか。
前日から空がぐずついている。
平成二十九年四月六日の花見レク。
今年は去年と同じ場所で行われたのだけれど、ところが…。
花の咲きは申し分ないほどいい。
何とも言えないのがこの日の天気であった。
薄曇りのどんよりと言うより、灰白色がかった明るめの遮光色を背に、うすら白い桃色のソメイヨシノの花が、一段の輝きを放っている。
河川敷に並ぶ桜並木を、首を傾げながら眼の中に浮かべてみた。
何か幻を見ているような感覚に襲われる。
夢か現か。
春はもう来ているというのに、何処となく寒々しい。
悲しい訳じゃないと、気持ちを強く持ってみた。
それでも、何時かまた孤独に苛まれるかも。
悪い心持ちが、ふと胸を過ぎる。
世の中、でも自分は何時も一人で生きてきた訳じゃない。
僕のささやかな日常を、良いなぁ…羨ましいと讃える友人達も居るのに、そんな事で良いのか。
物事良いように考えないと、罰が当たる。
其れでも、こんな暮らし、特に夢に溢れる幼年期、青年期の子供達には、時に無いと言って置かないと、其の子の為にはならない。
自分の状況に就いて、僕はそう思って居る。

生きるヒント

母親は僕の幼い時から、よくこう言っていました。
「人と話をする時には、相手が与えてくれるそれ以上の情報や事柄を、聞き手にに与えてあげなさい」
中学時代の、ある学習塾の英語テキストにあったある一文に、僕の目は釘付けになりました。
「言葉のキャッチボールを他人と楽しむことが、人間関係を豊かにします」
話し下手な僕は、この言葉のキャッチボールが寒々とするぐらい下手でした。
僕が悩んでいると、「とりあえず何も反論しないで人の話をよく聞きなさい」と忠告される。
「話し上手は聞き上手」
そのあと相手の言いたいことを頭の中で整理し、自分の言いたいことを、反論していると気づかさないように、自然にそれとなく伝えることが重要です。
一旦相手の言うことを自分の言葉で完全に置き換えてから、相手の立場を考えてみて、本当に言いたいことを導きだし、「君のこういうところは、正したほうがいいよ」と忠告するとなく伝えることです。
相手に自分の事を分かってもらうには、自分が相手のことを分かってあげることが大切です。

卒業

この三月、僕は長めの休暇を取った。
「ちょっと頭がしんどいので、一週間休みにしてくれないでしょうか」
あゆみ舎と授産を両方、すっぱりと休みにした。
別れの季節。それは予告もなくいきなり訪れた。
デイケアでゆっくりと過ごしていると、金曜日になって、かって訪れたミシガン号と大津館の写真二枚。
「出来てきたわよ」職員のmさんの声。
代金を払う。渡された封筒の中の一枚をみて、僕は驚きに打たれた。
mさんと食事をしているツーショット。
「こんなものもらっていいんですか」僕は何かを感じた。
「ええ、どうぞ」
「あの…」夕食をナイトケアで摂ることにした。
四月からは休まずに折り目正しくきちんとすること。授産のhさんからそのようなニュアンスの言葉を掛けてもらったばかり。
皿の中の主菜が上等のフランス料理に見えた。
「もう来てもらわなくても…だいぶ良くなってきたわよ」mさんは言った。
ナイトケアは卒業。僕は利用計画書の内容を、改めて思い出す。
週一回の受診日に二階に上がるだけでいいんだ。もうお別れ。
薬のチェックも自分で出来ていればもう完璧なのだけれど。
「週一回は来てくれないと、デイケアの登録抹消されちゃうよ」別の職員から注意を喚起される。
そういえばこの一週間、なんかスタッフが僕に甘かったなあ。

構図

カメラを持って府立植物園へいく。
自費出版の本を作るのに、先進プリント機構機能付きのカメラを構えてパチリ。
二百頁そこそこのその本を飾る表紙は椿にしたから、あれは冬の寒さが残る春先のある日。
文章を自分で書ききったからには、カットでも人に頼めば。それとも絵は不得手なら自分で写真を撮りますか。
作業所のPさんに勧められちょっとした興味半分で風景をパチリ。
二十四枚撮りは、あっという間に一杯となった。
植物を撮るばかりになってはと思ったが、改装前の温室をはじめ、今となっては貴重な風物が写っている。
カメラの操作には慣れていないにもかかわらず、手ぶれ防止機能がついている現代文明の利器は、自動的に焦点距離をあわせる。
二十代の僕の感性。父は徹底的については来てくれるが、技術について細かいことは一切言わない。
「車椅子もありますが」行く人に声掛けされる。
「本人楽しんで撮っておりますので…」父は遮るようにそう言うと、構図を確かめ始めた。

きまり

ある京都企業の話である。
有職故実をはじめ、創業期の様子や、従業員の性格、血筋の子供たちの幼時の性格、分岐した事業、企業、団体の名称、成り立ちなどを上質な和紙に毛筆で記録し、後世に残す。
ここで現代語にしないのが勘所。
江戸時代から始まった企業であるある百貨店などは、それが徹底されている。
登場する個人、団体などの個人情報保護のため擬古文調の巻物になる。
桐箱に収め大切に保管してあるそれは、一族の宝。
こういう形にしておくと、読める人が限られる上に、分かる人はすらすらと分かるけれど、分からない人にはとことん分からない。
これはすごい仕掛けだと、着想の今日性に驚いた。
こういう仕掛けは日本語の時代性によるけれど、インターネット上の文書の書き方にも、配慮すべきひとつの決まりがあることをご存じだろうか。
ブログで炎上を起こさないために、考えるべきひとつの方策がある。
固有名詞商品名などはどこのとは書かず、一部漢字を変換して使うこと。
こうすると一般名のような表記になって具合良く物事をぼかしておける。
あるとかそのなど特定性のない指示代名詞を活用して、あからさまに物事を示さず、分かる人だけに発信するよう心がけること。
一文は読みやすくすること。「短く簡潔に」
これらは文書を書く上で大切な技法である以上に、インターネットが一般に普及するごく初期に、ある応用プログラムの会社の取締役が、パソコン雑誌編集部に明かした文書公開上の作法である。皆様、是非参考までに。

即席麺をすすって

インスタント食品はどこのスーパーでも売っているけれど麺類をインスタント化するといった大技を掛けたのは、日清食品の創業者、安藤百福さん。チキンラーメンがその元祖である。初期のコマーシャルには固形のままばりばり食べるという変わった食べ方が紹介されていて、当時の宣伝文句のその心の大きさに仰天した。
一時(いっとき)、底面に黒コショウがついている商品も売られていた。コショウがついているのではスープの辛みが強くて、たまらなく食べづらかった。
カップ麺の元祖は同じく日清食品のカップヌードル。最近ではスープヌードルも売られている。後者はスープをより薄くしたもの。スープ麺はまた外来の話。外国ではだしに香草類をたっぷり浸す。そのためスープ自体はすこぶる薄い。この商品は香草を排除。日本人の口に合うようにしたもの。
日本人なら一度は口にしたであろう天ぷらそば。これに目をつけて商品化。庶民の味を一気に即席麺にしたのも、日清が最初という。

大学ノート

「物事を何でも良いから続けていなさい。小さな、とりとめのないことでもいい。それが実を結ぶかどうかを恐れないで。あきらめずにやれば、きっと成果はあとからついてくる」
何時の頃からか、雑文を書くのが好きになった僕に、母が与えてくれた大学ノート。
それを見て僕は驚く。
表書きが自由。中の升も汎用性が高い。
「このノートに何でも書くようにすると良いよ。きっと後々役に立つから」今でもその思いを僕は、胸の中に大切にしまっている。
まずこのノートの良いところは、文章、数式、グラフ、演算何でもござれ。
日誌に、日記に、金銭管理にと専門教養文化を問わず、多方面につかえて、本当に重宝なところである。
どんなものを書き付けても応用が利くのだ。
 ある企業の創立したごく初期、僕は本格的に経理が出来る人にその仕事を任せるまでの間、大学ノートにレシートを書き写して、金銭累計簿として利用した。
僕がその企業を辞めたあと、そのノートは業務日誌として続きを引き継がれたという。
僕は今も医療従事者に日誌をつけて見せている。
なくてはならぬ文具のひとつ。大切な夢の証である。

団塊ジュニア

自分のスタイルを持ち、それを押し通せる人は、意志が強く、自分というものを持っているから、素敵である。
自分しか似合わない生活様式、信念に裏打ちされた思想から来る自分なりの考え方。
服装から髪型、時間の過ごし方まで、特に女性にそういう人たちが多かった。
このような独特の型を持っているのが、人として当たり前のことだ。
僕は青春時代から、そう考えて疑わなかった。
最近頑張っても頑張っても、評価されないと自分の個性をないがしろにする人が、新卒者をはじめ、学生社会人にも多く見受けられるような気がする。
物事一つみるにしても、世の中の財貨の質を見抜くにしても、結局そういうことに長けている世代が、いわゆる団塊ジュニア。今四十歳以上五十歳までの人たちだという。
豊かとは言え、商品の質が必ずしも揃っていなかった時代に幼少期を過ごし、日本の明日をしょって立つ団塊の世代を親に持つ。そんな世代だから商品の質を見抜く力はたぐいまれだと、ある新聞が特集してもいる。
格差社会といわれる現代。現実を直視し堅実な暮らしを志向する人たちだけが、生き残る時代になった。

夢のアイスクリーム

歩く練習をするために、郊外のある通りを選んで、往復していた頃の話である。
あるファミレスで、器入りのアイスクリームを摂ることが、一番の楽しみだった。
容器代を何回も払って、どんな品より美味しく食した、あの味が懐かしく、後に何回も足しげく通ったものである。
そのアイスを食べると、一歩一歩地を踏みしめながら、目的地のそこに到達して喜びの声を上げた、昔日の想い出が、胸の奥底から蘇ってきた。
成人になってからそういうことをしていると、スタッフから「体力が落ちるよ。たまにはステーキでも摂って欲しいな」「同じ代金払うなら、ゴハンでもどう?」そう声がかかる。
注文をすべてはね飛ばして、何はともあれアイス。
歩いて歩いてその店にたどり着くと、ご褒美のアイス。
今となっては、コンビニにもアイスが置いてあるので、それほど幸せ感には浸れないようで。
幼年期、あの一杯のアイスに注ぎ込んだ、労力と時間とお値段。店の人はとても温かかった。
今は年中アイスがあふれている時代。公共施設の売店にアイスのショーケースを見つけ、冬に片付いているのをみては、悔しくて泣いていたあの頃。
そういう時季の夢のような演出。
ファミリーレストランで単品のアイスだなんて。今はもう、そんな注文も煩わしいのだろうか。それが許される場面も珍しくなってしまった。少し寂しい。

福祉の時代に

自由時間制制(フレックスタイム制)の企業の話をうらやましく聞いたのは、学生時代。
福祉の分野の利用者サービスが、それから二十年ほど経って、どういう訳か、フレックス制を思わせる形式を取り入れだしたので、驚いた。
聞くところによると、利用者の身体的負担を重視した、取り組みの一端と分かった。
他の事業所や病院の受診のための時間。それに他の用事のための時間を生活様式に合わせて、組み立てられる仕組みが、この十年間急に出来上がっていったという。
無理なく仕事に取り組むよう考えられていて、良い考えだと思っている。
「職場が時間制でね」なんて小父さん社員が漏らすと、「なんと結構なご身分ですね」
一般企業で初めの頃、一部の人たちにうらやみやねたみの目が注がれた自由時間制。
それを思わせる利用計画書が、役所に延々と提出されていく。
そう言えばケアマネなんて職業が成立するなんて、僕には考えられなかった。まだ最近の話なのだ。
時代の変化に果たして福祉は適合するか。よく見極めていたい。

どんぶり勘定

どんぶり勘定という言葉がある。
あれもこれも一緒くたにして、最終的には誰かにどっかり払ってもらう。
そういうこととしか、理解できない人間がいるらしい。
個人個人から代金を払ってもらって、あとで返してもらう。
そういう発想を、同じくどんぶり勘定といっていると、 ある友人知人から、徹底的に羨ましがられるのが、はじめは理解できなかった。
これを理解できるのは、残念ながら企業関係者のほんの一部で、外部に口を出すと、知らない人には全く分からないよ。そう注意された。
費用を出し渋って、企業内サービスだけ預かったり、費用全体を水増し請求して、がっちりかませる。
そんな企業の現実を、見聞きするにつけ、雇用者のそんな無駄使いのため、どんなに多くの企業が危難に立ってきたかを、思わざるを得なかった。
入社式でせっかく採用された社員が、そんなことで犠牲になっている現実を変えたい。
気が大きい財務整理に、僕は目を見張った。
企業間協力の真実をそこにみたような気がする、

水と食料

昔から、出かける時には、ノートとペンそれに水と食料を入れて、歩いていた。
一口ハム卵サンドとお茶を入れ、目的地まで延々と歩く。
日常はそれを繰り返すことで足を鍛えた。長時間歩けるようになった。
バスも使わず、市内の北から南二十キロ圏内を楽々と徒歩で動き回ることが出来るようになったことには、大学時代のキャンパスの広大さが関係していたことは、否めない。
小学生の頃、テスト会場で昼食をとる時には、母がスーパーまで行くついでに、クリームを挟んだ長パンを買って、一本持たしてくれた、
あとで友人全てが、「あなたの持ち物は、あの時代からずっと変わらないね。水と食料だね。」そう言い当てることが出来た。
これには我ながらびっくりしたものである。
コンビニに個別包装のサンドイッチが置いてある今日。
それを手に取りながら、かっての歩いてきた道を、また再び思うと、感慨で胸がいっぱいになる。

上手な買い方

美味しいものを食べられる幸せをかみしめて僕は生きている。
男所帯。父が食事をつくる時、これには何を入れたらいい?と聞いてくるので、答えられるものは答えることにしている。
買い物をして帰ると、ある程度のものは取りそろえられるけれど、材料の買い方とお金の配分が、うまくいかず時折買いすぎてしまう。
それが分かっているので、結局控えめに買うことになる。
作るものが決まっていても、母のように算段上手には行かない。
コンビニで買うと、一人分パックになっている。
それが高くつくので、スーパーではいくらかかるのか、最近までよく分からなかった。
重いから一人で持ち運べないなあ、職員に相談すると、「一人では運べないならばヘルパーさんを頼めばいい」等と現実的にどうかという返事が来て、困ってしまった。
一人二人の一日の食事は軽い方か軽いほど良い。でもその発想が現実に通じるものかどうか、延々と僕の頭では、見当がつきかねる。
要は慣れだと周りにいわれて、近所のスーパーへ。
納豆一パック。ヨーグルトを買うと、この足で持ち運べる量が、あまりにも少ないことに気づいた。
それはそれで食いつないでいかねばならない。数回に分けて足を運んで、何とか朝食を摂ろうとすると、もう買ってくるなと父に叱られる。
「これでは何も出来ない」と不平を言ったが、冷蔵庫を開けるとまとまりがつかないながら何やかや入っているので、結局何も言えない。
本当に気をつけないと、無駄遣いのようになるよ。家計を圧迫するよ。と注意される。
大変なことになった。一人勝手にものを買うと、買ったものの割に、本当にひもじい食事になってしまうのが見えてきて、家庭運営をする自信が少し揺らいだ。
大層に考えると心配が止まらない。それを押さえ込むのに、ずいぶん苦心したけれど、今は、コンビニでとる出来合いのものが、もっとも適しているように思えてきた。
スーパーにいるお客さんの買い方をみていると、それはそれで上手な買い方とは何か。それを考えてみたくなる。

くら寿司へ行く

十月十三日(木)くら寿司西陣店にてレク。
食事をみんなで楽しんだ。
僕にとっても初体験。
行きつけの寿司店と違い、注文は回転台から皿を取るか、タッチパネル式の選択画面から、各テーブルに注文品が届くかの、どちらか。
僕は少し気兼ねしながら、まとめて注文品をテーブルまで送ってもらう。
まずラーメン。次にタコ、イカ、エビ、イクラ。あとはあゆみ舎の職員さんと利用者のSさんに、マグロ、チーズケーキを注文してもらう。
タッチパネル操作に慣れていない僕は、職員のhさんに頼りっぱなしで、気が引けたけれど、次々に注文品を揃えられる文明の利器に、ある種時代の移ろいを感じてしまった。
ラーメンは寿司店らしく、かつおだしの和風仕込み。
メニューを確認せずとも、誰しも分かるネタばかりを頼む。これは僕の一種の作戦。
ゆっくりと食事をしたが、周りの人とペースを合わすことが出来ないまま、若干早く終わってしまった。
飲み物もコーヒー、コーラ、ジュースなど色々あったようだが、僕は俗に言う「上がり」を頂くと、千円少々で注文を集計。
僕の隣にいた利用者さんは、一点豪華主義。同じネタばかりで皿を積んでいく。
僕のついたテーブルだけでなんと三十四皿の寿司を注文したことに。
みんなで「びっくらポン」で遊ぶ。一人が大当たりを出し、カプセルを開けると、なかには絆創膏。
舎利コーラなるものや、舎利カレーなるものがあるそうな。
事後的に、ある利用者さんと僕のケアマネさんに聞いたところ、ミルクセーキのような飲み口のコーラと、舎利の揚げ玉が入ったカレーだという。
間違ってチョコケーキが送られてきたりと、少し店側の手違いもあったが、それもご愛敬。
あゆみ舎に帰ってからは、それぞれがそれぞれの実費負担分を精算し、無事、さしたる混乱もなくレクは終了した。
僕としては、上手く注文をまとめられて、大満足。皆それぞれに回転寿司を満喫した一日になったようだ。

夢のクスリ

クスリを飲むことが、当たり前。
持病がある人は、世の中多いのだろうか。
夢の新薬が発明されれば、多くの患者が助かる。
飲み口さわやか。頭すっきり。気分上々。
良薬は口に苦し。そんなことわざもあったけど、最近のクスリはどれも飲みやすい。
甘いまるで幼児向きかと思われるような内用薬もある。
水で飲むのが一般的だけれど、だいたい僕はお茶を使う。
ある種の降圧剤と、グレープフルーツは相性が良くないといわれているのに、最近僕が飲んだクスリは、グレープフルーツ味がついている。
いかにも今風といえば言えないこともない。
劇薬指定を受けているようなクスリだけに、ちょっと怖いような気もした。
頭痛薬や風邪薬は、一時使用するだけで、常に飲むことはないけれど、持病のクスリは、毎日決められた分だけ服用することが求められる。
各製薬会社も、使用するに馴染みやすい形状を、追求しているように思う。
飲みやすいクスリがよいクスリだとは、必ずしも言えないにしても。

欲の割り振り

もう一度人生をやり直せたなら、何をしよう。
健常者に生まれ直して、夢は文筆家。そんな馬鹿な。
人は一生をやり直すことは出来ない。
障害を持つからこその精神力は、何ものにも代え難い財産である。
引きこもりの人が五十四万人もいる現実に、誉める言葉しか浮かばなかった父。
「良かったな。お前は外に出て、人と関係を結べるじゃないか」
あゆみ舎に出勤し、文章も浮かばないまま、手持ちぶさたにお茶をしていたとき、里の駅大原までドライブする話に、風の回りでなるとは思いもせずに、近くのスーパーで買い物をした。
息抜きで外に出てみるか。そんな軽い気持ちで車に乗った。
自分の買い物も済まして、さぁ帰り、という時、何処かドライブしようか、気候も良いし、とそういうことになった。
大原へ。秋風に吹かれてネクターを飲んでいると、人生こんなもんだと、悩むことが小さな小さなことに思えてきた。
ソフトクリームを食べていた昨年。
出かけるごとに小遣いを用意しなくなってみると、一缶のネクターが、ちょうど良い落とし前と思えてくるから、不思議である。
前日に喫茶店に入っていた自分。
それこそもったいないホットケーキとも言えるそのセットを、大人げない振る舞いと諫めることは、過ぎ去ったこと故もう出来ない。
こういう欲の割り振り方が、小さな時分から下手くそなのかどうなのか。ため息をつく。
ここぞという時に贅沢できない自分は、行きつけの喫茶店だけに、どれだけお金をはたいてきただろう。考えてみれば悲しい話である。
行くところ行くところで金を大きくはたけない代わり、喫茶店のコーヒーにどれだけつぎ込んだか。
ああもったいない。デイケアの大人にはそう言われたけれど、僕はまだ子供っぽいお金の使い方しかできないのかも知れない。
欲の配分を上手くこなせてこそ、本当の大人。
僕のお金の使いようは、何処か寒いことにしかならない。自重しなければ。

コスト計算

ここに五百ミリリットルのペットボトルがあるとする。
この飲み物を百五十ミリリットルずつグラスに注いで、お客様にお出しすると考える。
このときの価値は一杯二百円とする。
少し口にしにくいながら、ぶっちゃけた話をここでしてしまうと、元のペットボトル飲料は自販機で買っているとする。
百五十円で買っていたら、一杯につき原価は、ざっくり考えて五十円くらい。
差し引き利益は一杯につき百五十円。総利益は四百五十円。
百五十円の原価が、六百円まで価値を膨張させることになる。
ペットボトルのお茶をお客様に出す。たったそれだけのことだけれど、グラスに注ぐという一手間と、接客にかかる人件費に、一杯あたり百五十円が費消されるのだ。
「この世のサービスとは、このようなものだよ」高校生の時、商売に詳しい友人にそう聞いて、腰を抜かしたことがある。
外で飲むお茶一杯一杯に価値がつくところが、この考え方の肝心要なところである。
ペットボトルのお茶を先様に出すとはなんと無礼な。そう考える人は、一本の茶筒から何杯のお茶を入れられるか、考えてみると良い。
上撰茶なら、茶団子とセットで、千二百円くらいでお客に出す店もあるけれど、原価が三百円ぐらいとしたら、利益は九百円。
茶筒一本で入れられるお茶が何杯になるか、計算できないとしても、一本千二百円の茶筒が、一セットの売り上げで回収できることになる。
あとの膨れ上がった価値から、原価を引いた分が、サービス料として消えてゆくのである。
こういう考え方を常々するように心がけていると、「外食で一膳飯屋に入り、定食を頼むと、千五百円。原価五百円」などという、だいたいのコスト感覚が身についてくるから、面白い。
施設内で頂く給食についても同様に計算してみると、五百円は得をしている気になってくるから不思議である。
この世のサービスのからくりを見抜く眼力を備えておくと、天下を回る金の仕組みを大雑把にとらえることも難しくないだろう。
ただこのコスト計算、あまり気にしすぎても、せこい。ほどほどに心得ておくのがいい。

杖を持つ

杖をついて歩くようにして半年が経つ。長く歩行を続けられるようにと、親戚中から勧められたのが、その切っ掛けだった。
最近やっと自分の歩行補助具と、身体にしっくり馴染むようになったけれど、最初は大変だった。
行く先々でよく忘れて、置きっぱなしにしてくるのである。
銀行のATMの近くの台の上に掛けたまま、放っておくのも一つのパターンだった。
杖は転ばぬ先というように、そのものずばり、用意よく持つという意味合いも含まれているのだが、ともかく自分の身体が動かなくなりそうで、嫌だった。
嫌だとついつい自分の持ち物として認めたくない気持ちが先に立つ。いわゆる悪循環。
何回も何回も、途中で置き忘れ、取りに行き、また忘れ。
あるがままにしておくのも一つの手だと、今では思うようになった。
あるがまま、なすがままに杖を持つ自分を肯定することが、大切なのだ。
そのとき、そのときの自分の状態を受け入れ、認めてしまうこと。健常者でも初老ともなれば、身体のあちこち、若いときと同じようにはいかなくなるのだから。一生懸命努力して、杖なしで歩行できるようになった自分が、体力の盛りを過ぎて、また元の状態に戻るとしても、仕方ないのかも知れない。
自分をあるがままに受け入れ、他人とも素直に向き合うことが出来ると、人間関係も好転する。努力している自分を、さりげなく受け止めて、そのことに酔いすぎないことが必要と思う。
バスのなかでも、席を譲って頂くことが増えた。もうそんな歳になってしまったのか。
いや、杖を持っているだけで、そんなにも人の見る目が違うのだ。これは自分でもショッキングだったけれど、あの時伯母の言ったことは本当だった。
改めてこの事態を受け止めるには、まだまだ抵抗が大きすぎる自分が居る。杖を持つことで新たに自分を落ち着かせねばならないとは。この世の人々の厚意の大きさに感謝しつつ一方で戸惑いを隠せない私である。

カラオケレク二〇一六

八月三十日(火)あゆみ舎カラオケレクは、左京区今出川百万遍のカラオケJにて行われ、スタッフメンバー総勢九名が、二部屋に分かれて、それぞれ順番に曲を熱唱した。
中森明菜、スマップ、桑田佳祐、泉谷しげる、玉置浩二、荻野目洋子など。同じカラオケレクでも、デイケアのメンツとは、ひと味もふた味も違う選曲になる。
育ってきた環境が、人それぞれ違うのだから、選ぶ曲も全く変わってくるのは当然。
それを期待するから、毎回カラオケレクには、新鮮な楽しみがある。
Oさんのレベッカに、oさんのスピッツ。僕はスピードや柴田淳を取り上げた。
人によって醸し出す味はさまざま。
別班の内容は分からないが、皆なんだか大人の雰囲気。年代が分かった。
飲み放題のメロンソーダに、ソフトクリームをトッピングして二杯。好きなメニューを満喫した。
おなかも心も一杯になったカラオケレクだった。次回も行けたら行きたい。楽しみである。

栄光のゴールへと

盆休み。
人との出会いと別れを、これほどまで偲ばせる伝統行事を、私は知らない。
死者と生者の交わり。
もう戻ってこない時間。
現世で生きる私たちが、人との出会いのなかで、支え合いながら存在していることに、思いを馳せる瞬間。
亡くなった人の時間の続きを生きる私たち。
死者がいたから生者がいる。その意味は、限りなく深い。
この世はあの世と合わせ鏡。
現在を生きる私たちは、死者と共に過去を思い、生き続けることによって未来を創る。
また存在をあの世に移した私たちは、子や孫、つながりのある全ての人に思われることによって、未来へと生き続けるのだ。
人は人を思い、強くつながり、関わり合うことで、一生を紡ぎ出す。
同じ年代に出会った私たちの生は、互いに絡み合いながら、一つの場を創り出す。
居合わせる私たちは時代を紡ぎながら、その生を全うするまで、この世で関わり合うのだ。
盆休み。
死者を思うたび、この世への誓いを新たにする。
多くの人たちが五山の送り火に託した思いは、毎年行事が引き継がれるなかで、見事に一つの形として昇華するのだ。
絡まり合ったそれぞれの人生の重みを思うとき、この世に生きる私たちは、一刻一瞬も無駄にするまいと努力すべきと思う。
家族の、親族の絆は時代と共に薄れゆくかも知れない。
しかし未来永劫につづいてゆくのが、人間同士の縁から生まれゆく絆である。
これが薄れゆく事は、一般的にはあり得ないだろう。
作業所で、あゆみ舎で、デイケアでも、私は多くの人たちとの縁に恵まれて、これまで歩いてきた。
出会いと別れをここまで多くの人たちの間で経験して、私という人間の環境、生存状況は、導き出されたのだ。
これからも人との絆を大切に、与えられた生を全うするつもりでいる。
運命は人と人との関わり抜きでは考えられない。
黄金色の絆を携えて、作業所やデイケアでの暮らしを充実させよう。
今年はオリンピックイヤー。
自分の人生のレースで、良い色のメダルが取れるように、私も全身全霊を以て一生を戦い抜く所存である。
自分の身の周りの物事を充分に生かし抜いて、さあ栄光のゴールへと。
しっかりと前に進もう。

ひとりぼっちのワッフルケーキ

誕生日を迎え、僕も四十四歳になる。
自分へのプレゼントは買わないが、ワッフルケーキでお祝いした。
二百三十円。ささやかなものである。
身の程を知ると言うが、夏に強い強いと思っていた僕も、今年の暑さにはすっかり参ってしまい、食欲をなくしてしまう。
夏の暑さに身体がついていかないというのは、久しくなかっただけに、これも体力の限界かと悲しく思った。
父と二人で食べようと思って買ったワッフル。
結局カバンの中に入れて持ち運ぶうちに、ぐちゃぐちゃに潰れてしまい、クリームが手につくのを気にしながら、一人で全部頂く羽目に。
ハッピーバースデートゥーミー。
他に誰もおめでとうを言ってくれる人がいない誕生日。
それも歳を重ねるごとに虚しくなる。
一人で摂るワッフルケーキは、食べるほどに寂しさを倍加させた。
こんなに寒い誕生日は、初めてである。

ぼんくら生活

八月。夏も盛り。
医院では、デイケア祭や、合同作品展の話題が出てきて、もう秋冬の催しの準備かと、月日の流れの速さを感じる。
僕はといえば…。
禁酒を決意しようにも、身体が習慣から抜け切れない。
悪い事と思いつつ、土日のたび、朝から発泡酒を開ける。
父から「良い身分だね」と悪態をつかれながらも、そんなぼんくらな生活から足を洗えずにいる。
あまり昼間から寝付いていると、これで本当に生活が成り立つのかと、周りから思われそうだ。
が、不思議に自然自然と暮らしの資は入ってくるので、今のところさしたる心配事はない。
何をするにも、ぱっとしない僕は、「ぼんくら、ぼんくら」となじられるだけなじられている。
平日の昼は作業所やデイケアにいる。
光熱費はその分浮いているのだが、何せ楽に暮らそうとばかり考えているので、親に叱られてばかりいるのだ。
普通に健常者と働くという、茨の道を放棄した僕。
作業所に在籍する限り、あまり高い責任が自分にかかる事はない。甘い暮らしぶりである。
その分いただける工賃は少ない。
これだけが難点と言えなくもないが、それをのぞけば快適な生活である。
何をするにも至らぬ点ばかりの僕が、このように果報でいられるのは、ひとえに父の内助の功による。
けなされてもけなされても、うっとうしいと思わないのは、肉親と同居している有り難さを、身にしみて感じているからに、他ならないからだ。
そこまで深く頭を巡らせると、このぼんくら生活も、幸せの一つの形。
ありがたいことである。
貧しさを売りにしていると、僕の文章をけなす向きもあろう。
でも本当の貧しさを、僕は知らないまま、やりたい事だけを選んで、ここまで仕事をしてきた。
だからこそ仕事に対する本気度が、他の人とはだいぶ違うと思う。
気の持ち方によって豊かさの尺度は異なる。
それで苦しく思った事は一度もない。
やりたい事をやりたいようにして、暮らしている人の収入というのは、そのようなものではないだろうか。
やりたくない事を、不承不承やっている人とは、心の張り合いが違う。
お金は入らなくても、仕事そのものに夢を持てれば、それに勝る幸せはないと思う。

福来たる

久しぶりに茶碗蒸しを作る事になり、試みにプリンを調理した。
ゆでる卵液を噴きこぼさないように注意しながら、ホットプレートに付いている深鍋に張った水の温度を調節して、調理してみる。
昔取った杵柄で、それぐらいの事は出来た。
ヘルパーさんに材料を伝えてみる。
会議の最中、作業所の職員hさんにも助け舟を出してもらいながら、介護事業所に買い物を頼む。
蒸し物は初めての挑戦だけに、一波乱起きないか、心配ではある。
下調べは充分。後は本番を待つばかり。
レンジで蒸し物が出来る時代。
何も専用の道具がないのに、無理があるとは思いつつ。あえて蒸し物の王道茶碗蒸しとは。
少し後悔したけれど、そこはケセラセラである。
何も中に入れないのでは、作る値打ちがない。そこで水菜、蒲鉾、鶏肉など入れる事にした。締めて材料費は千円。
銀杏も椎茸も、百合根も見事はねられた。高価なのと季節が合わないのとで、却下されてしまったのである。
銀杏を入れると、椎茸を入れると、本当に美味しい茶碗蒸しが作れるのに。
予算と手に入るものとの落差が、こんなところにも。悲しくなる。
同時にかつての食卓を思い出し、懐古の情がよみがえる。
具に何が入っていたか考えてみると、二千円ぐらいはかかっていそう。恵まれていた。
半平や三つ葉、鰆の食感。それらを五感一杯に思い出して、作るときの参考にしようとイメージするも、材料が集まらない現実。
何時も折り合いをつけるのに、残念な思いをしている。
上手く作れれば上等であろうのに、何処か低い点しかつけられない自分が居る。
美食家、グルメも羨む食生活。
あの日に釣り合わない生活だなとは、今しみじみ感じている。
作業所の工賃も、たかだか知れている。年金に頼っている生活も、ゆとりあるものとは言えない。
だから暮らしの質を上げるためには、お金の使い方 ただ一つを工夫するしかない。
買い物上手、お料理上手に福来たる。

会議

大きな夢を追う事は、元々難しい性分ながら、健常者と同じように学校生活を送れた事を一生の財産として、小さな目標を立てて生きてきた。
親から自立するには、今の暮らしに小さな何かを積み重ねて、生活の資とするしかない。
そのための会議がデイケアのある医院で開かれる。
今の自分に何が必要かが、何となく分かってきた。それを反映させる会議にしたい。
一人で生きてゆくために今の作業所でのどんなサービスが必要か、ショートステイの意味は。今の仕事をよりよく続けてゆくための、施設側の意向も出るだろう。
父は「自分に何の目標もない人に、何の向上もないはずだから、今回の会議にも出ない」と言っている。
小さな目標というのは、今の作業環境を保つための、いわば守りの姿勢でしかない。
周りを動かすのは、結局自分を変革しようとする力なのだろうか。僕は悩ましい立場にいる。自分は本当にこれでいいのだろうか。
作業にも恵まれて満足している。今の目標は、あゆみ舎に限って言えば、いわゆる文章作成の作業をこのまま続けてゆく事である。
ささやかな幸せを本当にささやかなまま享受している僕に、果たして新しい目標はあるのか。
「お前は何時も格好をつけすぎる」父は言う。「自分にやる気がないのなら、親からの自立は難しいぞ」
何らかの問題点が提起されたときに、それを良い方に導いていく自分の意思が最も重要になるのだろう。
各作業所でのモニタリングも含め、役所がどう見ているのかも気になるところだ。
当日までに気になる論点を整理しておくように。
デイケアのkさんに言われて、なんだか自分の能のなさが恥ずかしくなった。
自分のためにそれだけ多くの方々が動いてくださる。感謝しないと。
目標は小さくても、徐々に積み上げてくる実績が大切になってくる。どこまで共感される人生を送れるか、そこが試されている。

精神の病にかかって

最近具合がどうもよろしくない。
三週間、頭が切れやすい状態が続いている。
僕の場合、頭がはっきりしているときは、テンションが低く、テンションが上がると、幻聴幻覚に過敏に反応してしまう事が多い。
いわゆる切れた状態の時は、挙動がおかしくなってしまうので、.周りにもすぐそれと分かる。
薬をもらって週一回、定期的に診察を受ける事にしていても、病気の波は何時やってくるか、今の僕には、予見がすこぶる難しい。
薬を飲み忘れていなくても、神経的に参っていれば、すぐ病気がぶり返す。
よく眠れていますか。そんな悩みではないので、そんな問いで解決するわけでもない。
薬を飲んでいて良かった事は。そう思って探してみると、思い当たる。
今日は頭が幻聴に振り回されて、ノックアウトだ。そう思えるような日が、減った事だ。
何とか今日を乗り切ろう。そういう感じで一日一日、積み上げてゆく状況なので、気分の波はあっても、ここまで頑張ってこれた。
これは自分でも、大きな変化だと思っている。引きこもりから、作業所に通えるまでに回復した。状況は、むしろ良くなっているのに、これで不平を言えば、罰が当たる。
今なら、これまで生きてきた道のりを、素直に語れそうだ。
振り返ってみると、僕には、その意識しているいないにかかわらず、ちゃんと自分の事を評価し、助けてくれる人がいる。
前世で、たぶんいい事をしてきたのでしょう。主治医はそう言ってくださった。
自分としては、前世の事より、現世でいい事をしたい。すなわち、自分のしたい事や、他人の助けになる事を、どれだけやってきたか、結局それに尽きると思っている。
統合失調症になっても、自分を見失わないように、負けない心で立ち向かっていきたい。
障害者に、合理的配慮を加えてもらえるよう、法律が整えられた。
先人の誰も、思いもしなかったし、なしえなかった高みに、人類の叡知は達しようとしている。先人たちの努力を無にしないよう、これからもたゆまず歩き続けてゆこう。そう思うのだ。

ある雪の日に

雪の音
君の大好きな 雪が降ったよ
君は今頃 何処かで 笑ってる
昔は 君のため 祈った
今は 誰が降らせてるだろう
舞い降りてくる 雪の粒は
君と過ごした 日々のかけら
アスファルトに 消えてしまう
僕たちの記憶


柴田淳の「雪の音」という曲の一節。
恋人と過ごした日々を、雪を通じて回想した作品である。
デイケアで昨日、のど自慢大会が開かれ、僕はこの曲を、みんなの前で披露した。
夏の時季に、一刻の涼を、提供したかったからだ。
京都で言えば、宝ヶ池の運動公園に、敷かれているアスファルト。
いわゆる歩行用に、特別にしつらえられたものだという。
昔日、雪で固まって、こちこちに凍り付いたアスファルトの上を、歩行訓練した当時を、思い出させてくれる。
僕にとっては、特別な一曲である。
彼女は、こういう特別な道路の舗装形態がある事を知っていて、歌詞に取り込んだのだろうか。
普通、アスファルトなんて、さっと出てくる言葉じゃない。
やはり、彼女の非凡なところと、言っていいのではなかろうか。

ふれあいコンサート

五月二十二日(日)ロームシアター京都にて「ヒューマンふれあいコンサート」が行われた。
出演は野田淳子さんと李広宏さんのふたり。それにあおい苑の仲間たちのミュージックベルの演奏会との三部構成。
僕は、一昨年、昨年につづき、近年は三回続いて足を運んでいる。
スタッフの人たちに、車いすで座席まで運んでもらうわ、帰りは帰りで手引きの上、また車いすを押してもらうわで、大変な思いをしている。
障害があると、その意味を深く考えざるを得ない出来事にも遭遇するものである。
金子みすゞの詞に曲をつけて、歌ってみたり、中国語で日本の唱歌を歌ってみたりと、二人の活動は、どこかの点で類似している。
世界へと、差別なき心が、人々に広がっていきますように。
経糸の会のこのささやかな活動が、広く人々のなかへ受け入れられ、障害のある人もない人も、共に手を携えて生きていけますように。多くの人の、そんな願いが、込められたコンサートだった。

映画評

五月十五日(日)ハートフル・シネマ第二十回は、北野武監督の「龍三と七人の子分たち」
やくざを引退し、じじいとなり家族の厄介者として扱われていた龍三。
オレオレ詐欺に引っかかってしまうが、危ないところを昔の義兄弟に助けられる。
どうもその詐欺には、暴走族上がりの輩が関わっているらしいとつかんだ彼は、一度は詐欺の手口を真似てみるものの、どうも虫が好かない。
昔気質のやくざである彼は、昔の仲間を呼び集めて、その詐欺集団のやることなすこと全て、つぶしにかかる。
やがて対立抗争に発展した騒ぎは、龍三の家族をも巻き込んで、大きなものとなり……。
やくざはもう流行らない。昔日のよき時代は、もう来る事もないのだろうか。
北野監督は、自ら暴対の刑事を好演している。
近頃は義理も人情もありゃしない。いやいや、僕はそう思いませんけど。
クスッと笑えて、果てには考えさせられる何かがある、そんな映画である。

タンパク不足

四月に入って、毎年恒例の健康診断をしてもらう。
血液検査をすると、このところ決まって言われることがある。
タンパク質の不足で、大抵の人が足っているへ○○ロビンの量が足りない。
肉や魚をしっかり食べるように。
父にその旨打ち明けると、何時もちゃんと、食べるものは食べさせているのに、そんなはずはないという。
主菜が足りないのだろう。
豆腐、納豆、ビフテキ、鶏モモ…。
ご飯の類はたっぷり頂く。けれど肝心のおかずが足りないのだ。
それでも健康上は、問題ないと思います。
一方で僕の主治医は、そう言って太鼓判を押してくださる。
野菜を中心に摂る。そんな我が家の食生活が行き過ぎたのか。
このような状況は、それでも生活習慣病のリスクは低い。
それで、多くの中年男子からみれば幸せなのだと思っている。
昼ご飯はおにぎり、朝食は野菜の煮付け、夜は食パン二枚。これが僕の典型的な三食である。
炭水化物を減らさなければ、糖尿病の危険性が高まる。
インシュリンが間に合わない。
それが一般的な事実である。
たぶん目の病にはかかりやすいだろう。
糖分を多く摂ると、感光度が上がって、見えやすくはなるのだけれど、行き過ぎると緑内障になって、目に良くない。
胆○がやられている僕には、普段から、糖尿のリスクが小さいとは言え、糖尿病性緑内障の危険は、絶えず心に感じて、暮らした方がいい。
今日は作業所の給料日。ローソンのオールドファッションドーナツ百十円を一個ぺろり。
良くないことをしたとは思いつつ。あゆみ舎の作業室でコーヒーを頂きながら、恵まれた自分の食を思う。
カボチャの次はウイスキー。その後は何を書こう。
ドーナツか。いや、秋刀魚も好きだし、茄子はどうかな。
迷ってしまった。
食についてのエッセイを書いていると、心当たることがある。
読んで楽しめるし、不満を漏らす人は、ほぼいないと言うことだ。
君のエッセイには、食べ物がよく出てくるね。
デイケアのRさんの指摘も、むべなるかななのである。

飲む

先月、少し臨時収入を得たので、角ハイボールを買って愉しんだ。
三百五十ミリリットルの缶を空にする間、国産ウイスキーのコクとキレを、充分に味わいながら、竹鶴政孝という人の生きた道について思いを巡らせる。
サントリーは近所ですぐ手に入るが、ニッカはそんなに置いていない。
やはり地元山崎の地は、大きな存在である。
竹鶴は後年になっても、壽屋にブレンディングの秘訣を、惜しげもなく教えたりしたという。
ニッカの黒がコンビニでたまたま売られていた。
飲んでみると確かに角瓶の味そっくり。
国産のウイスキーを飲み慣れていると、スコッチのあの癖のある香りには、耐えられない。
収入が高かった作業所二年目の冬、最後の一杯にふさわしい一本を、地元の酒店で買い求めた。
売値八千円の最高級ウイスキーである。
残ったものは、ボトルごと父親に買い取ってもらう。
自分の部屋で、この最後の一杯を、口の中で転がしてみる。
この時をもって、一つの時代が、僕のなかで終わりを告げたのかも知れない。
もう永久に、ウイスキーを買うまい。そう心に誓って八年。
正月くらいはウイスキーをと思ったものか、父が買ってきたハイボール。
あの味が恋しくなってしまったものか、つい飲ってしまった。後悔。
発泡酒は飲んでも、ウイスキーを自分から手に入れることは、止した方がいい。
そうは分かっていてもついつい。意志が弱い。
酒と言えばウイスキーと言うほど、僕はこの類が大好物。
父がお客さんからもらってきたローヤル、ダルマ、角。全て飲み尽くした。
響のボトルのきらびやかなことといったら…。
最近は、どういう風の吹き回しか、コーヒーを飲む機会が増えた。
あゆみ舎でのそれは、コーヒー豆をドリップして造る本格派。
一日に三杯ほど愉しんでいる。
こう、徹底的な喫茶の習慣が身についてみると、この際禁酒して、コーヒー三昧にすごそうかという考えが、頭の中をよぎる。
コメダコーヒーが京都に上陸。デイケアの仲間と飲みに行く。
いい感じに、砂糖抜きのカフェオレが出てきた由。さすがである。
コーヒーを店でゆっくりとすする。こんな愉しみもいいものだ。
ついこの前の土曜日の話である。

カボチャの食べ方

「カボチャの煮付け」
材料は絹さやとカボチャ、タマネギ、人参、ジャガイモです。よろしく。
ヘルパーさんに次回の献立と食材を伝え、千円以内で買ってきてもらう手はずだった。
ところが…。「カボチャの甘辛煮」と勘違いされたのみならず、それによりカボチャと絹さやしか買ってきてもらえなかった。
僕は何時も野菜中心に献立を組み立てる。
カボチャの煮付けとはいうものの、なかにはタマネギも高野豆腐も、絹さやもジャガイモも、鶏肉も、榎茸も入る。
具だくさんの煮物になるのだ。
味付けも煮汁を生かして醤油か味噌を鰹だしと合わせて使う。
ヘルパーさんは絹さやとカボチャしか買ってこなかったことを、僕の伝言の仕方が誤っていたことのせいにして、「聞いていません」の一点張りである。
仕方がないので家にあった人参とタマネギを、出してきて使う。
カボチャを小さめに切り、乱切りにした人参、ぶつ切りにしたタマネギと一緒に煮込み、鰹だしと味噌を入れて仕上げる。
「美味しくできましたね。他の利用者さんにも教えてあげます」
ヘルパーさんはそう言ったけれど、前も同じことを言っていたのになぁ…。
こちらはすこぶる不満顔である。
「美味しい」
父にもそう誉められて、まんざらでもなかったものの、僕を担当しているヘルパーさんは、煮込みに使ったあと、出た水分を全部捨ててしまうほどにセンスがなかったのである。
出たうまみは全部つかえ。
これは僕が料理する上で、真っ先に母から教わった、秘訣のようなものであった。
肉を入れるときも、だしを取るためであれば、少しでもかまわない。
煮物作りは、いつでも手軽に出来て、出来るだけ手数が省けるのがいいね。僕は事あるごとにこの手を使う。
自家製の美味なカボチャの頂き方としては、これ以上のものはない。
これから旬になるこの野菜を使って、一工夫も悪くなかろう。

2016花見レク

三月三十一日(木)。
今年は晴れた。あとは花を待つのみ。
あゆみ舎いろり舎合同花見レクは、川端の桜並木を見るという趣向で行われた。
花は二分咲き。
時期を早く設定しすぎて、桜木を背にみんなでお弁当を広げるのみに終始してしまう。
今年は惜しい花見となった。
食後は○葉堂の豆餅を頂く。
その後は皆自由行動。帰路に着く人、あゆみ舎へ戻る人、様々。
レク終了後、皆でコーヒーを楽しむ。お疲れ様でした。
春は出会いと別れが交差する季節。
mさんとkさんがあゆみ舎に異動されて、新しい体制が敷かれる。
そんな職員異動のごたごたのなか、慣れたところで花見をすることに落ち着いたそうで。
河川敷の移動を補助して頂いたり、職員の皆様に協力頂いてのトイレ休憩など、これまでにも増して慣れない行動のため、気を遣ってしまった僕。
意のままにならぬ我が身が、たどたどしく。

体調管理と服薬

服薬をちゃんと続けていますか?
精神科の患者の多くは、自分のことを正常であると考えている。
まともな私にこんなことをする、医者の方が間違っていると、思いがちである。
飲みたくない薬を飲むには、合理的な嘘が必要である。
そこで僕は考えた。薬を飲んでおいて、飲んでいないと嘘をつけば、先生は薬を増やしてくれるに違いない。
堂々と患者だと大手を振って街を歩くことが出来れば、自分が薬をこんなにも必要としていると、外にもアピールできて、当たり前に薬を服用できるようになるだろう。
作戦は見事に当たり、最初一錠一種だった僕の服薬量は七錠四種にまで増えた。
それにまだ不穏時のための水薬と毎朝飲む水薬が加わる。
飲んでおいて飲んでいないと嘘をつくことで、自分の症状の悪化も、それとなく主張できる。
患者としてはよそ者と思っていた、僕の精神科通院歴は、十七年目に入っている。今ではデイケアや外来は、僕に必要な一部になった。
ほら吹きついでに薬を増やしてもらった僕。かえって嘘も方便であったと、ふてぶてしくも今は考えている。
立場が立場なら今頃は、人に薬の飲み方を、指導することになっていたかも知れない。
かつて僕は某大学の医局に奉職しないかと、知人に請われ、試験を受けて合格するも、適格性がなく、欠職したという経歴まである。
指導を受けなくても、薬ぐらいは自律的に利用できるのだけれど…。
今は医院のデイケアで、看護師さんに薬をきちんと服用できているか、チェックを受ける日々。身の回りをちゃんと整えられているか帳面につける日常を送っている。
薬を続けてゆくことで自分の体調を管理し、必ずや良い方向へ導けるであろう自信が、僕にはある。
だから僕は自分を悲観的な見方でとらえていない。
病気の方も一進一退であって、割と状態は安定しているので、あゆみ舎での作業を、一定の水準でやっていけると思っている。作業所の方では、仕事の基準が厳しいことも、体調管理の向上に繋がっているのかも知れない。

スーパー銭湯レク

お風呂に行く。
銭湯は数あれど、スーパー銭湯というものに行くのは、初めてである。
あゆみ舎で銭湯レクが企画され、参加してみた。
ここは壬生「花の湯」天然温泉なのかどうか。
ジェットバス、泡風呂、露天風呂などいろいろな湯船が用意されていて楽しい。
大理石に足を取られないよう細心の注意を払わねばならなかった。
スタッフのyさんと利用者のSさんと共に、泡風呂へ。かなり湯はぬるい。
途中で上がると湯冷めしそうだったが、何とか上がって身体を洗う。
幻覚が来て苦しかった。
ジェット水流を腰に当てて、気持ちよいひとときを過ごせた。
入浴後も、更衣が大変。眼鏡を忘れたり、yさんには手数を掛けた。
ああいうところのロッカーの鍵の保管もちんぷんかんぷん。記憶がすぐになくなってしまう。この病気のつらいところである。
人は一人では生きていけないと、つくづく思う。
更衣のあとも食券の購入でどぎまぎ。スタッフのnさんの機転で、大切なところを全て代行してもらうことに。
チャーシュー麺八百九十円也。デザートは利用者のOさんに買いに行ってもらったソフトクリーム。三百五十円也。あとSさんと同じジュースを買ってもらって、結局二千円ものお金がなくなって、工賃の残りは二百円しかない。
これは後日ゆうちょ銀行で四千円口座に送り込むことによって精算した。
使ってしまった現金はもう戻ってはこないけれど、こうやってなるだけ手元に貯金できる額を持っておくと、後々までも安心である。
靴を預かってもらうのに百円。これはあとで返金される分だけれど、yさんに立て替えてもらう。
あれもこれも一人では何も出来ない僕のために、皆さん進んで動き回ってくださって、感謝の一言に尽きる。
また行きたかったら提案してくださいねとはyさんの一言だが、両手に余る幸せを僕にプレゼントしてくださったスタッフ、メンバーの皆様、ありがとうございます。
あれこれと至らぬ僕ですが、これからもずっと末永く仲良くしてやってくださいませ。

小さな幸せ

ゆうちょ銀行を利用しているので、郵便局には良く行く。
すみませんねぇ。またも金利が下がっちゃって。申し訳ないです。
いやいや仕方ないですねぇ。
マイナス金利を日銀が導入してしまって、またも矛先は預金者に向く。
消費者軽視の世の中。犠牲になるのは、何時も社会的弱者である。
銀行が貸し出しのために十分なお金を回せるように、日銀は金利(公定歩合)をマイナスに誘導し、円安株高の効果を狙ったものとは言われているが、その思惑は最初から見事に外れてしまっている。
日本経済の閉塞感を見ると、消費税上げどころの話ではないことは、明らかだ。
企業業績が下がり、給料のペースアップが、低水準にとどまれば、家計への経済波及効果も期待できないだろう。
今の経済政策は、持たざるものに全ての不利益を押しつけようとするものだ。
外食産業は、この不景気で苦しんでいる。
我が家でも、家の中で調理を済ました方が安くつくので、もうあまり外でランチを摂ろうとはならない。
ただ人付き合いの上では、外で皆で食べに行ったり、お風呂に入ったりすることもないとは言えない。
その分皆の金回りがいいのかなとは思うけれど、だいたいこの世は不景気である。
年金生活者向けの政策にしても、三万円ぐらいのばらまきにそのとき限りしたぐらいでは、生活の向上には繋がらないという人もいる。
当事者にしてみれば、それでもないよりはいいのだ。
たまの楽しみに散財しに行くのも作業所やデイケアの皆の楽しみの一つ。予算に一ヶ月三千円計上した小遣いのなかから、工面して参加することにしている。
小さな小さな経済活動のうちで、なけなしの収入を得ている私。
そんな私が普段気をつけていることは、生前母が掛けてくれた一言である。
デイケアのお弁当に仕出しを頼んで、今まで働いてきてお金を充分持っている年配者と、同じお昼を食べるのはやめた方がいいよ。
それはそうだと身につまされた僕は、百円ショップで買うパン二個の昼食を、デイケアでの習慣とした。
それにしても、小さな小さな楽しみに、投入できる費用のあるうちは、まだしも幸せと言えるのかも知れない。

金銭感覚について

病というのは厄介なものだが、うまくつきあえば、これ以上有意義な友もない。
一病息災どころか、この年齢になれば、あっちもこっちもガタがくる。
通院日は作業所に行けない分、毎月の工賃の受取額は、当然減る。
割に合わないという気持ちよりも、それでも人に助けてもらえて嬉しい。
五つも病院を掛け持ちしていると、気がつけば毎月の受診日がくるのが、あっという間である。医療費の加算額は、相当のものだろうと思われる。
これで自己負担額が発生すれば、当然家計は赤字である。
うまく病をやり過ごす方法があれば、それはそれで人に教えてもらいたいのも、本音ではある。
七万円の生活費で毎月回してゆくにも、ある程度覚悟が必要だ。
年金生活の身でも、金策をうまくすれば切り抜けられる自信がある。
一ヶ月三万円貯金できれば、一般家庭ではまずまずと言われている。それが出来ない悩みはあるが、とりあえず自分の置かれた立場をうまく肯定的に利用してゆくしか、良い方法はないと思っている。
作業所に通勤するにも、デイケアに通所するにしても、共に通勤、通学に当たるため、ヘルパーさんについてもらうことは出来ない。それが国からの通達であると言う。
全ての費用を市から支給される今の暮らしを、かえって普通というのも気が引けるものだ。
生活費のうち月三万円ほど父に預かってもらい、食費をまかなってもらっている。
支払うものを支払う場所に収めると、ぎりぎりの生活。
それが分かっていても、出来ないのがあなただと、デイケアの看護師さんに言われた。手厳しい意見である。
父によっても、一人一日の食費を千円以内に収めないと、家計のやりくりは難しいという。
積み立ての額を取り崩すのも早い代わりに、いったん根気よく続ければ、生活の質が急に細ることもなかろう。これは自分の勝手な思い込みであろうか。
あったらあるだけ使ってしまうと言うと、大抵の人はそんなにルーズなことで本当に大丈夫なのかと、びっくりしてしまうようなのだ。我ながら大変な失言をしたものである。

時代を映して

十年前まで、何やかやと書斎で調べ物をしては、勉強をしていた。
昔から参考書や辞典に囲まれた生活をしていた。
気になることがあると、書物を広げ調べる。その手間を厭うことはなかった。
僕は恵まれていたのである。
暮らし向きもまあまあだったが、一つ悩みがあった。
社会にうまくなじめず、ニートのような生活。憧れていた学究生活も、大学院には、君は向かないよと言う、ゼミの先生の一言で、あきらめてしまった。
新しい暮らしでは、何とか自分でお金を稼がねばならない。
やむなく、進路として僕が、何とかわずかに望みをつないだのは、障害者として作業所に通い、工賃をもらうことだった。
朝から出勤して、夕方帰ってくる。そんな生活を過ごすうち、母親から意外な声がかかった。
日本の紙資源は限られているのだから、今すぐ必要な一般向きの単行本や文庫本の類をのぞいて、学習用の参考書その他辞典類は処分してもいいのでは。
新しい本が要り用になれば、その都度新しく買いそろえれば、それでいい。
これ以上、先細りのお調べ生活をして、どうなるわけでもなかろう。
何も得られるものがないとは言われなかったが、確かにこのままの生活では、かえって頭を使いすぎて、心に悪い影響が出ないとは、到底言えなかろう。
そこで僕は、この言葉に従った。本棚のなかにあった書物を、一斉処分した。一部は知り合いの高校生に引き取ってもらった。
大学生のときつかったノート、テキストの類も全て捨ててしまった。
でも今文章を書くようになって思う。如何にそれらの書物が大切なものだったか、かつての自分の知をはぐくんだものだけに、身にしみるのだ。
それが古いものとは言え、今更新しいものと等価交換できない。
それを考えればもったいないことをしたと思う。
一生ものであったとしても、何時までもそれに執着することはない。そういう考え方が、一方にあるとは分かっていても、本棚一杯の知の宝庫が、散逸してしまって寂しい。
今の僕の持ち物は、新しく買った一般書の束が、もう棚を大方埋め尽くす勢いである。それらは今という時代をそれなりに映していると、今はそれを肯定的にとらえている。
失われたものを嘆くより、今、今この一瞬に出来ることを、考えてみたい。

振り返ると…今

デイケアに向かう経路と、作業所に通勤する経路は、途中まで重なっている。
北警察署付近にある、医院のデイケアは、僕にとって唯一、ぼーっとできる場所。
作業所は千本通り沿いにあり、窓からは比叡山を一望できる。
この十年ほど、バスを使わない日はないと言うほどである。
小さい頃は、乗ることになるなんて、これっぽっちも思ったことはなかった。
むしろ、その存在をも無視して、歩いてきた。
歩く練習に、一歩ずつ、その目的地に着くことこそ、是だと信じて疑わなかった。
時の流れは恐ろしい。作業所に通うバスに乗り遅れ、時間に間に合わず、よく歩いていた初めの頃を、今懐かしく思い出す。
ある日なんかは、半日中歩いて、作業所にたどり着き、仕事にかかれたのが、昼過ぎだったこともある。
そのときそのときの思いつきで、交通手段を替えて通勤して、あとで保健所の担当者さんやケースワーカーさんに、その旨を打ち明けたところ、驚かれたこともあった。
会社でバイトをしたという経験が乏しかったので、僕には社会生活を正しく理解することが、出来なかった時期もあったに違いない。
作業所内で、始業前にみたらし団子やアイスクリームを食べ、それが元で時間に遅れて補導されたことも、一度や二度ではない。
コンビニのバイトに、知人の紹介で入ったときも、上司との関係や、同僚との意思疎通に問題を抱え、仕事を与えられても、方法がよく分からないまま、首になってしまった。
学校時代は、当たり障りなく過ごせていたのに、社会に出たとたん、こうあるべきという規範に出くわして、しどろもどろになった。
社会的不適応や気分障害という症状も、診断書的には当てはまるのだろうけれど、普通に生きるってどういうことなんだろう。
今、僕は精神科という医療枠と、身体障害を持っているという、自分の立場のなかで、二つの事業所に通うことで、自分らしく生きていようとしている。
しかしそもそも自分らしくって何だろう。
自分の特性を生かした仕事を求められ、自分が縛られることなく、ありのままを認められること。今通っている事業所一つ一つの、個性と自分がどこまでも向き合い、持ち場を投げ出さず、全うすること。
これが最も大切な、自分らしいライフスタイルの、根底にあるものだと思っている。

書くこと 創ること

病気になって、自分の価値が如何に小さく、ちっぽけなことか、邪念に左右されてきたかを。かえって識ることになった。
引きこもりで、人に会いたくなかった一時期。
お風呂も入らず、人に見られるということも、頭になかった。
社会に出て、独り立ちするとどうなるのか。不安ばかりが先に立った。
人と対等に接することが出来ず、どこか自分の対人関係が、いびつであると感じることが、多かった。
かつて、幼児であった頃から、自分の才能を認めてもらえる人々の前で、どこか素直になれない自分がいた。
書けるのなら、うちの会社で、社内報用の文を書いてもいいよ、そう言ってくれる人も、いるにはいた。
だが、そういう需要にかなう文章を、書く自信が僕にはなく、かえってプレッシャーとなって、責任が、重くのしかかった。
あゆみ舎は、障害者のための施設である。
ホームページで、文章を公開する上で、言っておかねばならないことがある。
僕には、自分の才能に、絶対的な自信があるわけではない。
それでも、書き続けることにする。
何かを書こうとすることは、何も書かないでいるよりは、遙かにいい結果をもたらすことを、僕は、経験則的によく知っているからだ。
他の人に、書いたものなどを誉めて頂いたりすると、下手の横好き。
ずるずると今まで、作業イコール書くこと。ものを創り出す喜びを、このような形で識り、それを押し通せたのも、施設にて、自己実現の場を与えられてこそ。
引きこもりと、自己能力の開花は、見事反比例の関係にあることが、自分には分かってきた。

地球号はどこへ

冬が、なかなかやってこない。
秋の涼しげな日は、何日か続いたけれど、今年は冬が遅い。
何とはなしに、寒くなったり、また日射しがぶり返したりしている。
今年は暖冬。雪は降るのか、降らないのか。
かえって、雨の日は少なく、雪の日が多くなるという、そんな予想もある。
木曜日、金曜日は日中、冷えます故、厚着でお過ごしください。そう天気予報では、注意を促している。
比較的、過ごしやすい冬といえば、言えないこともなかろう。
秋のままで、春がやってくるのでは。ふとそんな感覚にとらわれそうになる。
今夜は冷えますなぁ。そんな挨拶も、もう聞かれなくなるのではと、僕は真面目にも心配している。
フランスのパリで開かれた、COP21では、パリ協定が結ばれ、各国ごとの達成目標を示されることとなった。
が、それでも温室効果ガスの削減量は、全体で二パーセント減にとどまるという。
地球はどんどん温暖化している。春夏秋秋。
夏が四十度越えの猛暑のあとは、暖冬、冷夏。
エルニーニョ現象の明くる年は、ラニーニャ現象が起こり、不順な天候が続く。そう気象予報士が指摘していた。
地球の自転、公転運動の鈍りもあって、地軸は不安定になっているという話もある。
農作物の作柄も、心配だ。
干ばつが、地球環境の変化により、起こりやすくなれば、地球上の文明、各民族間の衝突の温床となりかねない。
直接の原因はどうあれ、戦争の要因として無視できないという。
宇宙船地球号は、これからどんな歴史を、刻んでゆくのだろう。
イスラム教とキリスト教のぶつかり合い。各地で進む、兵員の増強は、また新たな悲劇を産もうとしている。
食べ物が、巷間あふれるこの日本も、食糧自給率は、四〇パーセントを切っている。
子供たちのなかに、貧困が広がっているのは、生活保護世帯の増加と、決して無関係ではない。
豊かさのなかで、失われたもの。それを考えるとき、地球の未来と人との、新しい関係も見えてくるような気がする。
我が国も、また例外ではない。

年賀状を書く

今年、二〇一五年も、あと二週間で終末を迎えようとしている。
今年も年賀状をと思い、この土曜日に、はがきにしたためた。
あけましておめでとうございます。来年も…あれ?あっ!二枚足りない。
はじめは、整肢園時代の恩師、友人関係だけに、細々と出していたのだが、自立支援法上の施設二つに、ケアマネの人にも世話になったからには、年始のご挨拶を、徒やおろそかには出来ぬ。
七枚が九枚に増えてしまった。手書きの僕は、少しあたふた。
まあいいや。あとで、郵便局で二枚、追加して買おう。
来年の、年賀状の図柄は、ひっそり右端に、猿の姿がプリントされているので、そこに字を書いてはいけない。勢い横書きになった。
旧年中はいろいろと大変(一緒か)お世話になりました。
本年もどうぞよろしくお願いします。裏面に住所。
今年も暮れが押し迫り、年賀状は十枚に迫る。面倒くさいな。
交友関係が、あまりにも少ない僕が、こういうことを、決して言ってはならないのだろう。
けれども、手書きの賀状一枚一枚を、心を込めて書いている僕とは言え、一方でその作業自体、堅苦しすぎて嫌になっていたりする。
パソコンで出力しようか。それにしても枚数が少なすぎる。
最近、妹も、企業からの広告デザインの仕事で忙しいので、印刷してもらえる暇がない。
メールであけおめ。便利だろうが、一枚一枚はがきを手にする情緒に欠ける。
お正月くらい、書いた人の顔、差出人の想い出を、脳裏に浮かべながら、賀状を読むのがいい。
とすれば、面倒くさいなどと言っているのは、無神経に過ぎはしないか。
明日は月曜。残り一枚の年賀はがきを求めに、地元の郵便局へ行こう。
ヘルパーさん、ケアマネさん、各施設の皆様に、心を到すため、今年もボールペンの手書きの年賀状を記す。
今日あたり、足下が寒々して、手が震えているが、これもひとつ、手書きのいいところ。
やっと冬がやってきたなぁ。

さようならのあとに

水木しげるさんに、生前お目にかかったことがある。
網膜剥離のための手術で、京大病院に入院していた、十七歳の夏。
同じく目の手術で入院されていた、水木さんが偶然訪ねてこられた。
水木さんに対する小文を書いていた僕に、先生から思わぬ引き合わせがあったらしい。
古いことで、文章の内容までは忘れてしまったけれど、決して氏をけなしたものではない。
どちらかというと、氏には、面映ゆかったかも知れない。
かつての漫画界では、一般に口はぼったくて言えなかった、賛辞の様なものを、僕は書いた。
その原稿を僕は、水木さんに渡した。
今それか残っていれば、その想い出についても色々と書けたかも知れない。
けれど、それを氏は快く受け取ってくれた。
大福が欲しいな。彼は、僕の枕元にあった、豆餅を見た。
それは豆餅だから、大福とは違う。しばらく、大福と豆餅の違いについて、彼は力説した。
妖怪の好きなのは大福。大切な捧げ物だから。
出たー妖怪!さすが妖怪研究の第一人者である。
いずれ、半生を描いた本でも、出してくださいよ。
水木さんには失礼かも知れない。内心そう思いながらも、僕は、そんなお願いまでした。
明らかに人生の大先輩である、そんな水木さんに、漫画以外に、何か生きた証を残して欲しい。僕はそう考えたのだ。
サインは要らないのか。氏は遠慮がちに、そう僕に問うた。
そこでサインをしてもらうのが、大抵のファンのしてもらうこと。
僕はやせ我慢をしたわけではなかった。氏に会えたことだけで、胸がいっぱいになっていた。
それから十五年、氏の半生は、ゲゲゲの女房と言うドラマになって、NHKで放送され、何度目かの水木ブームが起こった。
悪魔くんではないけど、僕にはこれから起こることの予知をする能力があって、そこから逃れたくて、仕方ないのですよ。はずかしながら、水木さんを前に、僕はこういう話をしたおぼえがある。
今に至る病歴の一端を見るようだけど、人間はどこかで異世界と繋がっていると、そう感じている。

小浜釣りレク

十一月二十六日(木)、小浜へ釣りに行く。
あゆみ舎の秋のレクリエーションの一環として、Hさん、Wさんと共に、峠を越えて、八瀬から朽木村そして小浜へと車を走らせる。
スタッフはyさんとkさんが一緒である。
釣りのことに詳しいkさんは、ウエノ診療所の人材である。
今回はリース契約なのだろう。共に車に同乗してくださるばかりか、運転席を預かって頂く。
地元のおいしい食堂の話や、釣果の扱い方の話まで出て、こちらは、どんなレクになるのだろうかと、嫌が応にも期待が高まる。
鰺が良く釣れるらしい。と言うことは大漁だと背開きにして、しこたま食べられるぞ。
しかし、予想はきわめて控えめ。たぶん小魚が何匹かかかるくらいだろう、と言う結論である。
もうまもなく師走になろうかというこの時季。冬期の小浜はともかく寒かろう。
重装備で乗り込んだ割に、現地はそうでもなかった。
山道を何度も乗り越え、車に乗り慣れた僕でも、気分が悪くなった。
トラベルミンを買ってもらった頃には、小浜の岸壁は、もう間近であった。
この海辺がいったい小浜のどこに当たるのか。地理に詳しくない僕には、さっぱり見当が付かなかった。
せっかく来たのだから、釣りの真似事だけでも。
道中降り出した雨が、あっという間にやんで、やがて日が当たり始めた。
晴れ男である僕と、雨にたたられることの多いkさんの意地の見せ合い。
釣り日和を連れてきたのは、明らかに僕の方だ。
自分がサボっていなければ、有意義な時を、仲間と過ごしてさえいれば、雨にたたられることは、絶対にないのが、僕のこれまでであったし、願わくはこれからも、そうであって欲しい。
Wさんが、サビキ釣りの竿を上げ下げさせて、沖アミを、水中に撒いている。
さっぱりや。何も手応えがないわ。
そう彼はしびれを切らすと、竿を僕の方へと譲った。
何のことやら分からぬまま、竿を上に下にと操る僕の腕に、独特の手応えが来た。
ググッ。引き上げた竿の先。
針には、二匹の小魚が、銀色に輝いている。
ビギナーズラック。
Wさんの粘りがあってこそ、そこに鰺と柊がやってきて、食いついたのである。
浮き釣り、ルアー釣りの方には、何もかかってこなかったことを思うと、その日の注目株、おいしいところを全てかっさらっていったようで、僕は面映ゆかった。

本を読むことは

書くためには、いろいろなことを知らねばならぬ。
読むことで、知っていることの引き出しを増やす。
うまいと言われる人の文章を、書き写すのも一つの手だと言われる。
僕が最初に好きになった作家は、夏目漱石だった。
作品のなかでは「こころ」が一番好きだ。
弟子のなかでも筆頭は、やはり芥川龍之介であろう。
そして太宰治に至る一つの系譜を辿って、僕の読書も進んだ。
なぜか純文学と言えば、この線形がお好みとなった。
こころ、三四郎、明暗など、人間の多面をえぐり出す、漱石の文章に心打たれ、蜘蛛の糸、トロッコ、杜子春など、まるで昔語りのような芥川に、人間の普遍性を見いだし、津軽など、私小説の要素が強い太宰の文学には、自分の書く世界を確立した、作家の強さのようなものを見たものだ。
三人三様の才能。
今の純文学の作者はと見ると、芥川賞を取った作品と言うことになるのだろうが、最近のものに目を転じても、あらすじから言って、僕の好みというアンテナに引っかかるものが少ない。
綿矢りさや川上未映子を読んでも、もちろん得るものは多かろうが、うまさという点では、どうなのだろう。
藤野可織をさっと読んだところ、「いやしい鳥」ぐらいなら読んでもいいかな。そう言う結論に達して買い求めた。
本を買うときは、どうしても自分の世界から外れるものは持ちたくない。
金原ひとみ「蛇とピアス」は、そう言えば雑誌に載っていたのを、飛ばしとばし読んでいた記憶がある。
小説を読んでみるときは、登場人物をどう創作し、どう動かしていくのかと、何時もはらはらしている。
自分の世界にその作品が合っていれば、何時までも持っていたい性分である。
エッセイの世界にも、ストーリー性は必要だと思うし、読んでいる小説に、または読んできたそれに影響されて、自分の世界ができあがる。だからこそ、作品を何時、どう読むかは大問題。あゆみ舎での活動の資として、いい読書活動をと心している。そんな具合の今日である。

いざクラッシックを聴きに

趣味は何ですか?
そう聞かれると、以前なら、すぐ答えられるものが見つかり、即答できたものなのに…。
そろそろ自分なりの世界を確立してもいい頃だ。
秋に新たな試みを始めるのは、時節的にもいいからで。
さあ、音楽鑑賞に行くぞ。
身内的な話で、誠に恐縮ながら、なんと京都ライトハウス「新船岡寮」建設資金を集めるための、チャリティーコンサートにいざ行かん。
僕は京都コンサートホールへ向かう。
それも時間にゆったりと余裕を持って。一時間も前に着いたので、かえって館内でたっぷりと迷ってしまった。
あらゆる芸術は一つの道に通ず。
土曜日の昼下がり、本物のクラッシックを、安価で非常に値頃感のある料金で、聴くことが出来る。
これも文章修行の足しになるだろうか。
P席とは何とも得難い席に案内されたものだ。
三千円のチケットは、ステージ後ろ側から、奏者を眺める。せっかくの楽器を、背後から見ることになり、残念だ。とはいえ、指揮者を正面から眺める快楽。音は、足下から濃厚な響きを発する。
目の見えない人たちも、このボックス席に割り振られた人が多い。
秋は、芸術の季節である。彼らがどのように演奏をとらえるのだろう。
背面からのこの席の配置。かえって見えないのがもったいないように思えたのは、僕の勝手な思い込みだろうか。
音を直接足下に感じられるから、P席に座れるのも、一つの配慮として、視覚障害を持つ人たちには、かえって乙なものと言わねばなるまい。
ただ、足が不自由な僕には階段がつらかった。
とにかく狭い。
トイレまでも遠いので、手引きを受けたことを割り引いても、大変な思いをした。
さて京響の皆さんによるドボルザークの名曲「新世界より」
聞き覚えがある曲は、二曲。たったの二曲!
なんと退屈したのか、僕の前の席にいた女性は、うつらうつらしている。
よく見えるようで見えない僕の目に映るのは、一糸乱れぬ奏者の動き。
かっこいい指揮者の指揮ぶりに心さえ奪われる思いがした。
ほんまものの演奏と違うと言われても、こんな表現がよく似合う。
若き俊英によるコンサートというのはこんなものなのか。
俊英と言われるのも今のうちだから、今のうちに頑張りなさい。
ここまで何も知らずにコンサートを見るのが悪いのだろう。
このような席にいて、知っていたのがたった二曲とは恥ずかしいことこの上ない。
これでも高尚なことしてと、父にからかわれたので、そうでもないとは言っておいたのだけど。
二階の大ホール入り口を探すのにも大変だったぐらいだから、かつて知った場所とも言いにくい。こういう話を趣味とは言いたくは、……ない。
会場には市や府の関係者がきておられた。着物を身にまとわれた市長は、いつもながらよく目立つ。まこと充実した昼下がりである。

カレーな話

ライスカレーかカレーライスか、どちらが正しい。
そんなことを、ラジオで話題にしていた。
ライスにカレーを掛けるから、カレーライス。
ライスカレーはドライカレーと区別して、使い分けたものとか。
僕も諸説聞いたことがある。
ドライカレーとカレーピラフが、同じく焼きめしの系統。
カレーにミンチを入れると、キーマカレー。
ドライカレーには干しぶどうが入っていることも多い。
全て、これらカレー料理は、日本ならではのものである。
北海道が発祥の、スープカレー。これは皆さんご存じの通り、カレースープとは、全く別物である。
関西が起源の、カレー丼。片栗粉でとろみをつけた、カレーのルーに、青ネギと揚げをぶち込んだこの一品。知らぬ人もいて、驚いた。
丼と言うからには、大盛りのご飯の上に、カレーのルーが…と言ったところで、皆さんあれっ?と言う顔をなさるのだ。
カレーと言っても、料理は様々。
昔あったカレー粉の缶。それももう今は、珍しい存在になった。
日本のカレーは、鍋料理の一つにも数えられ、ちゃんことして、関取衆にも愛されているという。びっくりである。
カレーに牛乳を入れて、ものを煮たり、カレールーにインスタント・コーヒーの粉末を入れて、隠し味にする人もいる。
カレー粉一つをとっても、肉や野菜を炒めたカレー炒めから、先述したカレー鍋に至るまで、様々な食べられ方をしている。
白身魚のフライにもよく合うし、もつ鍋スタイルにしても、美味なことこの上ない。
僕のお薦めのカレー料理を、ここで一つ。
カレー粉でいためたキャベツをマヨネーズであえて、耳を切った食パンに挟んで、サンドイッチにしたもの。
具にさらに焼き豚を挟んだ日には、もうたまらない。
大好物なのである。
カレーライスに、生卵を掛けて食べる。
ここで醤油を掛けるか、はたまたソースを掛けるかは、人によりまた考えが分かれるところである。
和、洋どちらの味付けにも合う。そんなカレーはまさしく日本の国民食。
インドが発祥と言いながら、ここまで日本人に好まれるメニューも他にないと思う。
たかがカレー、されどカレー。これほど語るに深い素材も、類を見ないであろう。

大切なことはひとつ

今日も明日も明後日も…。今日も明日も明後日も…。
同じことをして、延々と日数が経っていくことを、こんな戯れ歌にした知人がいて、僕は気になった。
しかし、見方によれば、同じ仕事を何年も続けられるほど、幸せなことはないのであって、ただ一心に好きなことをして、同じ作業の繰り返しでも、周りの人に認められる仕事をすれば、生活は成立する。
作業所の作業に詰まって、逃げ出したくなる日があっても、そこを逃げずに一踏ん張りすると、道は自ずから開かれる。
人とのつながりのなかで、自分の守備範囲を大切にして、人の仕事を助けても、その代わり、要らぬ口を出さないこと。それこそが大切なことだと思う。
この前、NHK関西土曜ほっとタイムという番組で、馬場俊英というシンガーソングライターをゲストに呼んでいた。
彼の積み上げたキャリアの重さ、ひとつのことを続けていくことの大切さ。改めて気づかされていくことが、彼の話には、あまりにも多すぎるような気がしたものだ。
人の仕事と自分の仕事に、何らかの接点があることも多い。それはそれで気を遣うこともその分増えるけれど、それも一つのやりがい。
自分の身の後始末ぐらいは、自分でつけろ。父からは、口が酸っぱくなるぐらい、そう言われている。
ただ大切なことは、どこの職場でも一つ。
ある程度資本と人を集めて、人に経営を託したならば、 口を出してはいけないと言うことだ。
後は任せる人の自由に仕事が出来るように、人事を整えて、運に乗ること。人事を尽くして天命を待つとは、そう言うことだと思う。
人の出来ないことを自分が受け持ち、人が出来ることは、なるべく「人にしてもらう」
なんと言うことか、と思う人もいるかも知れない。
「人にしてもらう」ことをないがしろにして、自分ばかりがしゃしゃり出る人間も多いなかで、このバランスは本当に大切だと思う。
会社の上役に就く同窓も多いなかで、名は体を必ずしも表さないと、僕はこの歳になって、本当に身につまされている。
僕の参加している組織の中では、責任という形で現れる何かを負わされていることが、名目上はないように見える。しかしながら、他人にやってもらう素地が大きい以上、捨てるに能わない責任の、それも直接口にすべきともならぬそれのなんと重たいことだろうか。
ざっと見て、世の中の理とはきっとそう言うものだと思う。

理想の人生

母に打ち明け話をしたある日。
今も忘れ得ぬ想い出である。
進路について悩んで、「事務仕事でもあればいいんだけど…。」
そう言ったときにストンと一言、「自分のやりたいようにやればいいのに。」
この言葉にかえって僕が混乱していると、「体のいいデスクワークなんてそうざらには転がっていないよ。自分で何か始めれば。」
自分でやることを人頼みにして、父の自営業の手伝いを始めるも、二年で心が参ってしまった。
「事務なんてお前の代わりにやりたい人なんぼでも探せるし、ずっと続けられる仕事でもないから、何か作業所にでも行って仕事を探しなさい。」
父にそう言われ、道をつけてもらった作業所。自ら道を切り開くような、僕はそんな器量を持ち合わせていない。
人から与えられた仕事をやるうちに、これを続けられたらいいなと、それこそ体のいいことを考えてしまった。
でもそれを続けることも、何かと苦しそうだから。
そういうわけで紹介されたあゆみ舎での執筆活動。これで工賃をもらえて幸せ。
「人生はどこでどう転がって、どう展開するか分からない。だから楽しい。筋書き通りの人生を願うなんて、面白くも何ともないよ。」そう妹は言って僕の心配を笑い飛ばした。
僕の人生結構受け身なタイプ。なんだかんだ言って、好きなことを出来ているから嬉しいけど、運が逆さに回れば、悲しい宿命かも知れない。
今の状況を肯定して、皆々様に感謝すること。精一杯に仕事を楽しむことに徹していれば、幸せは向こうから、また新たに運を連れてくるものと信じている。
負のスパイラルに入り込む人の運命は、たとえば石川啄木のように、一種自惚れやすい人物のそれを、手本として調べてみればよく分かる。
僕の目指す生き方は、内田百閒のそれであって、周りに明るく対して、決して驕らず、高ぶらず、天命に逆らわずにその生を全うすることである。
彼は好きな食べ物は借金しても手に入れる反面、大変な倹約家で、財産の始末がうまく、大切なときには知力と財力を惜しまない、努力家でもあったという。
その生き方に僕は一つの理想を見るのだ。

わが食生活

食欲の秋。
本日の朝食は、豚肉のもやし炒め、納豆、ヨーグルト、アボガド、米飯。
ニラともやしのしゃりしゃり感が、たまらない。
納豆とヨーグルトは、毎日欠かさず食べている。
これら発酵食品は是非組み合わせて摂るように、そう今は亡き母が申し渡したのは、もう二十何年も昔のこと。
納豆のねばねば、ヨーグルトのとろとろ。
たとえば納豆にはオクラ、カットわかめを加えて、ヨーグルトにはきな粉と黒ごまを加えて食すると身体にいい。
これは親から伝えられた味。これからも守っていきたい。
おなかにいいこと、皆さんも始めてみませんか。
今日は炒め物。チキンナゲットやポテトコロッケに刻みキャベツというのも朝食の一つのパターン。汁物を作るときも。
この汁物の万能性については過去に触れた通り。
ここで僕の好きな汁物料理の中からとっておきを一つ。
タマネギ、ジャガイモ、青ネギ、あげ、人参、カボチャを味噌と粉末だしで煮込む。それだけ。
ただカボチャを人参とジャガイモで煮っ転がしにする手もあるけれど、それよりも栄養価は高く、お勧め。
元々母が家族の健康に、人一倍気を遣ってくれたのもあって、我が家の味噌汁は、汁より具が沢山。
調味は醤油、味噌、だしの素、料理酒の四つの組み合わせで、何とかたいていの煮物は、片が付いてしまう。
なすとわかめですまし汁を作ったり、心の持ちよう一つで料理のレパートリーは無限に広がるものだ。

「ニオイふぇちぃ」

この連休は、久しぶりに本でも読んでみようか。

今年はシルバーウィーク五連休。

でも全く手つかずの難解な書物を読んで、気が疲れてしまっては困る。

それで今回は、物は試しとタレントさんの書いた身辺雑記をと思い、十年以上前に発行された、女優の竹内結子さんの本を選んでみた。

この手の本は、その時期限りの消耗品として扱われるためか、すぐに絶版になることが多い。内容自体たわいもないのである。

しかしそれ故に気の病で頭が疲れやすい僕には、ちょうどいいかもしれぬ。

そう思いながら、頭の試運転のつもりで、五日に分けてそろそろと読み進む。

いろいろなドラマや映画の撮影中に、生活のなかで彼女が体験する、あれやこれやの出来事を、素人目線で書き綴った物で、女優としての仕事の「ニオイ」を感じさせる。

語り口や文体の癖は誰にもあるものではあるが、内容によっては、その人なりの世界を醸し出す道具として良い方に作用する。その個性を生かした本作りに、好感が持てた。

ただ話があちこちに飛んだり、本筋でない話に紙幅を取られたりと、読んでいるこちらが「竹内ワールド」になじむのに苦労した感は否めない。

鶴橋で焼肉店に行った話や通販カタログを見て感じたこと、北海道と東京を行ったり来たりの話、ニューヨークまで仕事で行って、時差ぼけに陥った話など、毎回これだけのネタが良く転がっているなと、感じ入るばかり。

テレビドラマのタイトルがよく出てくるけれど、あまり観ることのない僕には、ちんぷんかんぷん。

全体的には女の子の、軽いおしゃべりに興じている感じが、よく出ている。充分に楽しめた。

彼女なりに一生懸命、毎回の連載に取り組んでいるのが、びしばしと伝わってくるのだ。この臨場感、なんと言えばいいんだろう。

この本も、他の多くのタレント本がそうであるように、元々は雑誌の連載を一冊の本にまとめたもの。

テレビやラジオの人気者は、時としてこのような形で文章を執筆する機会を与えられ、その結果、出版の機会を与えられる。何ともうらやましい。

一般的には、自費で製本することがあっても、文章の素人が、なかなか自分の書物を本屋においてもらう機会には、恵まれないのが普通である。

文章力の水準が、不特定多数にさらされる。自分の大切な胸の内をさらすような恥ずかしさ。出版とはある意味、怖いことではあると思う。

ほどほどに

あゆみ舎で作文を作業として取り入れてもらえて幸せである。
書いて工賃がもらえる。まるで作家気分である。
文筆で生計を立てている人には遠く及ばないけれど、それでも作家への憧れはすごくあった。
しかし「佐賀のがばいばあちゃん」で島田洋七さんがエピソードとして語っておられたことで、「多く収入がある人は、人付き合いのために、それに見合った支出をしなければならないので、収入の多少でそんなに人のことを羨ましがっても仕方がない」という指摘がある。
これを用いて、うちの母親はやんわりと、僕を諭してくれた。今思うとすごい金言だと思う。
でもそのときは、まだ説得力が足らないなと、それに反発する気持ちの方が強かった。
そんな僕にいよいよ、本当のことを教えてくれたのが、作家H・Mさんのエッセイ集であった。
桜を観に行った話を書けると言うときでも、似た花見のスケジュールが、一時に殺到してしまい、頼まれた原稿が飲み過ぎた頭のために、支離滅裂になってしまったり、お昼を食べてすぐに、会議などと称して食事会がある。それを前もって知らされずにいたために、食べ過ぎに陥ったり…。
よく言えば、その一つ一つの出来事が、エッセイの種になっていて、いい面があるとはいえ、ともかく書くことで生計を立てられるようになったらなったで、それはそれで、書くこと以外の人間関係で、つきあわねばならないイベントの、なんと多いことか。
それを考えると、文筆業というのも楽ではないなと、そう思うのだ。
お金も入ってきただけ、出て行くものだから、多くを稼ぐ人、生活の華やかな人を、ただ羨んだり憧れたりするものでもないんだよ。
冒頭の島田さんの原作、この際じっくりと読んでみたい。教えられることは、ただこの話だけでもないだろうから。
ささやかな工賃を、軽作業でもらう今の生活が、ただかけがえのないものに思えてきてならない。夢を見るのもほどほどに。転機は何時訪れるか分からない。
さりげない一日一日の営みが、大切なのだから。

清少納言と紫式部

春は曙。やうやう白く成り行く山際、少し明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる。
春って曙よ。桃尻語訳の枕草子を読んだ後、古典の授業が大好きになりました。
「あれって結構邪道じゃないの」という人も一方にいるとは分かっていながら、橋本治さんのあの独特ののりにつられて、ぐいぐいと引き込まれたのを覚えています。
冒頭に紹介した、有名な一節にしても、「だんだん白くなってゆく山の際が、少し明るくなって、紫だった雲が細くたなびいているの。」不思議に現代語に訳してもそのまんま。
難しく考えることもなく、その勢いで、源氏物語の読解にかかったところ、この代表的な日本の古典文学二作が、教科書に取り上げられるには、あまりにもきわどいものだと、判ってしまったのです。
かなりすざまじい女同士の内ゲバもあったりして、読んでる方は楽しいけれど、厳しい宮中の人間関係のなかで、よくぞここまで書けたものだと、あとの二人の運命からも考え込んだことでした。
意外と今も昔も変わらないのは、キャリア組の人間関係かもしれませんね。

温かに生きる

多くの人が、周りの人に見守られ、互いに支え合いながら生きています。
この病気はいわゆる気の病に属するもので、気持ちの持ちようで病状がずいぶん良くなることが、分かってきました。
僕の場合、体の中から思念が抜けていく感覚と、気持ちの動転が一組となって起こる。それ故いわゆる統合失調症と診断されています。
幻覚はたまに起こりますが、幻聴はほとんどありません。
幼い頃から被害妄想が強く、人間不信など、マイナスの性格傾向が見られ、社会生活を営む上で支障を来すという、両親の判断が前提としてあったのは、間違いのない事実です。
性善説を信じることが出来ない僕は、性格的に素直になれないまま、思春期を過ごしてしまいました。
人間は皆元々悪い気持ちを起こすのではなく、周りの環境がそうさせるのだ。
そう思い、自分が周りにいる人たちと、素直に温かに対していれば、病も何時か癒えるものと、そう信じています。

楊谷寺にて

涼しい。朝晩の熱帯状態が、ここへ来てやっと和らぎました。
さすが盆明けは気象まで、秋を感じられるようになりました。
皆さんいかがお過ごしでしょう。
奥の院のあじさいで有名な楊谷観音に出向いて、お札を頂いて帰ってきました。
視覚障害がある僕の年中行事です。
境内に参ったとき、父が珍しい物を見つけてきました。
映画の広告用チラシです。
八月八日ロードショーの「日本の一番長い日」
原作はあの有名な半藤一利さんのもの。
昭和天皇や鈴木貫太郎など実在した人々の「終戦のあの日」八月十五日を巡る駆け引きが描かれる。
観てきた人もいるでしょうが、お寺で撮影して広告を撒くとは、やはり右寄りの話なんだろうなと少々政治的意図も感じます。
昼間はやはり蒸し暑さの残る本堂で、線香を立てて眼病平癒を願いながらも、頭は半分ぼんやりとして、あまりこういう状態で参ってもと、自分では結構残念に思われました。

大人の良識

サブカルというと映画やアニメ、コミック、歌謡曲からJ‐POP、ドラマまで様々な思想的文化を指すらしいが、コアなファンでなくても、その研究に生涯をかけるとなると、思想的に大変な負担となってしまうという印象がぬぐえない。
全ての音楽が思想的にどうだこうだと言ってしまうと、戦時中の検閲のようになってしまう。同じように日本というのは、サブカル全体に対しても、出す側がとかく自主規制を掛けてしまいがちだ。
このことはあるラジオ番組でコメンテーターが指摘していたが、このことにより国民の知る権利が守られている国としては低い水準の権利しか与えられていないという。
自主規制を掛けずに、自由な発言や表現をその流れるままにしておくのも、僕には一つの手のように思えるのだが、いかがなものだろう。
物がいえぬ世の中を嘆くより、配慮ない物言いがこんなにはびこるこの日本。大人としての良識ある姿勢はどこに行ったのか。

カラータイル

秋が深まると、思い出すある風景がある。
まだ北山通りが今のように整備されていなかった頃。
おしゃれな街並みが出現するずっと前。
道端にはまだ田んぼばかり広がっていた。
歩くための訓練と称しながら、夕闇の支配する寒々とした街を、てくてくと歩く。
建物という建物が存在する前の北山通りは、さしたる距離感も僕に与えてはくれなかった。
「はい、もう少し行こう。一、二」
父の声も涼風に滞りそうな晩も、孤独な戦いは続いていた。
何時かこうやって街を歩いたことが、確たる果実となって、形を与えられよう。
夢を見た。「自分が歩く練習に使ったあの街路、この街路が、かつてのこの戦いを記念して、カラータイルで舗装されんことを。」
今その舗装路を歩く自分は、かつての自分より、全ての意味で上を行っているだろうか。
かつての努力を無にしない暮らしを、志向できているか。
常に過去は未来を見つめている。
厳しい現実がある。

エッセイ集

ついにエッセイ集が完成した。
積み重ねとは、何時か形になると言うことだ。嬉しい。
これからもひたすら、心のままを作品にしていきたい。
書けども書けども頂上が見えてこないと思うのは、何時も同じ。
ただ、第一エッセイ集「ヴィンテージ」の頃と比べて、より上の物が出来た。今の文章の方がいいと、父は誉めてくれた。
頑張れば、その形の通りの実を結ぶ。
幸せな自分の状況に反映した形で、皆を元気づけるエッセイを書ける。
それを自分の特技として伸ばしてゆけたら、それに勝る喜びはない。
これを一里塚として、より深く、より広い海のような世界を、自分なりに築いていけるよう頑張りたい。
初めて作文の時間を体験して、三十五年。生涯現役で優れた文章をものしたいと何時も考えている。
あゆみ舎でのチャンスが、何時かどこかで生きますように。
エッセイ集を皆に読んでもらって、また本に対するとらえ方が変わってゆくかも知れない。

「幸せ日和」告知

本ブログ「妄想暴走日誌」シリーズ第一集が本になった。
あゆみ舎を発行元に、九十七編の珠玉の短編エッセイを集めた。
価格三百円(税込み・送料別)の文集。
タイトルは「幸せ日和」。
これまでホームページに載っていて、閲覧自由だったけれど、せっかく紙媒体になったのですから、一冊お手元にいかがですか。
あゆみ舎の販売会で、また直接メールなどでのお問い合わせも伺います。
是非よろしくお願いします。

ガンバレ青春

今年も甲子園の夏がやってきました。
球児たちの熱戦に連日、球場は沸いています。今年は九十七回大会。
高校野球が始まって、ちょうど百年。
豊中球場で、十チームが対戦した大会を第一回とすると、九十七回目。
それ以前は京都で行われていた、対校試合だったそうです。
対校試合は、太陽が丘で行われていました。
京都代表は、今年は百年目にふさわしく、京都二中の流れをくむ、鳥羽高校です。第一回大会の優勝校として、その名に恥じなき戦いを見せて欲しいと、そう願います。
昨日は、関西地方の代表が、相次いで敗れました。
智弁和歌山と三重の県立津商業の戦いは、特に残念でした。
地元滝川二高はサヨナラゲームで、かろうじて相手に競り勝ちました。サヨナラが一回戦から多い。それが今年の特徴だと、NHKのアナウンサーがラジオ中継で、感想を述べておられました。
高校野球放送を観ながら、ビールで乾杯。暑い熱い夏が、わき上がる雲と青い空と共に、今年も駆け去っていきます。
ガンバレ青春。

独特のバランス

作業所で作業して工賃をもらう今の暮らしがあるのは、これまで医院や支援センターとうまく調整できているからだと思う。
あえてその関係を壊してまで、今の暮らしを変えたいとは思わない。
一方でうまく一般就労に結びつけられる人たちもいて、とうにトモニーやあゆみ舎を卒業して、違う関係性の下で働いていける。
僕の場合、人の関係性を新たに築いていくのが不得手。でも何時かは一般就労をと父は言う。
もとより一般就労に失敗して作業所に通うことになった僕は、その体験からなかなか立ち直れずにいる。
支援学級から、まっさらな状態で一般企業へ赴く仲間とは違い、変わった世間でのかばわれ方をしている自分。それを自覚しているだけに、すごく歯がゆい気分ではある。
どこかの企業で働くと言うことの重みを、知り抜いた僕ならではの感覚が、独特の表れ方をしているのではと、そう思うこともある。
どこにも属せずに、生計を立てるなんて不可能なのだから、焦らずに行こう。そう考えてみたりもする。

「ため息」

夏の日陰。ふと秋の訪れに思いを馳せる。
柴田淳という女性アーティストの「月光浴」という曲に感銘を受けた。
月の光に男女の別れを絡めて歌った曲。
「降り注ぐ月の光よ どうか絶やさないで 涙さえ空にこぼれて 星に還る」印象的な歌い出し。涙が流れて止まらない。
月の光のさやけき晩に、行く夏を惜しみながら聴くのがいい。
彼女の「ため息」というアルバムをレンタルして聴く。表題曲を始め、「拝啓☆王子様」なるユニークな曲も。
デビューアルバム「オールトの雲」からさらに磨きがかかった。
月や星に思いを馳せた彼女の思いはここへ来てさらに深化している。
恋愛ってこんなのだったなあ。僕も蒼い時を過ぎ、はや朱夏の季節。
甘いささやきに多くの女性と僕も恋に落ちたものだ。
「子供沢山つくったらしいな」父は誰から聞いてきたのか、すごい冗談を言う。
答えは言わずとも知れているのに。
このアルバムを聴いていると、恋のすばらしさが、改めてまた思い出されてくるのである。

夏休みの想い出

夏休み。吉田拓郎の歌が有名。
某芸術大の入試に過去取り上げられたことがある。歌を色彩構成しなさいという趣向だ。
もちろん麦わら帽子など夏の風物詩がたっぷりと歌い込まれているこの曲は、課題としても心に入り込めやすい曲だという、出題側のそんな意図も感じ取れる。
ほかにTUBEのああ夏休みなどの曲もすぐに思い浮かぶ。夏の歌というとテレビでも視聴率を取りやすいのだろう。
どっさりと宿題を持たされて、休みを迎える。そんな子供時代の想い出。
最後は木工作品をうまく作れなくて、親の手も借りて一苦労。
父は父であまりうまく作りすぎると、手伝ったのがポカになるもんだから、手をうまい具合に抜いてくれた。
先生も僕の手に多少動きにくさがあるのを知っているからか、またこれもある意味そこそこ痛いところを突かずに黙認してもらえた。
一杯の宿題を七月中にほとんど終わらせるには、毎年それなりの覚悟が要った。自分で計画を立てるのは言うまでもなく、完成までの気力。
今となれば自分を誉めてやりたい。

歳を重ねる

夏本来の暑さに戻ってきた。台風が三つも日本に接近中。
日中は三十度越え。うんざり天気のあと、やっと夏らしくなってきた。
水分はペットボトル二本は何時もとっている。熱中症対策は特にしていないが、クーラーをかけて朝からいると、父にまた叱られて、電気代がいくらかかるかと言われる。
もう一年も半分が過ぎ、気がつくと七月。今年も八坂さんのお祭りシーズンとなった。
盆休みは何をしてすごそうか。
八月は僕の誕生月。また一つ歳を食う。
五十代も近づいてくるのに、まだどこか甘やかされて、だだっ子の僕が時にして顔をのぞかせる。
年相応の振る舞い。それを考えると自分ながら情けなくなる。
母は存命中、家族の一人一人の誕生日がやってくるごとに、日本鯛を一枚焼いてくれた。
心遣いに感じ入りながら、あの鯛の価値に見合った生き方を出来なかった自分を恥じてしまう。

バーベキュー

六月二十六日(金)室内バーベキュー大会があゆみ舎いろり舎合同で行われた。
いろり舎食堂では、バーベキューグリルが用意され、いい感じでお肉が焼けている。
少しみんなから離れた二人席に着いていた僕。
スタッフやSさんにお肉や焼きそばを用意してもらう。
お肉は二、三切れごとに運んでもらっていて、一度に食べられず、もの悲しかったが、これがまたいいのだろう。
ゆっくりとおなかを満たした方が、八分目くらいの食欲でやめられていい。
ホルモンも食べた。ミノ、テッチャンなど。
あまり思ったほど食欲が出ない。無茶苦茶胃に詰め込むと、あとの障りが恐ろしいのだ。
若い子は次々と肉を平らげていたが、四十過ぎた僕には、そんな元気の良いことはもう出来なかった。
皆朝ご飯を食べずにテーブルに着いていたのではという食べっぷり。
おいしい、おいしいという声が方々から聞こえ、大好評のうちに幕は下りた。

なでしこ

なでしこジャパンがイングランドを破った。決勝進出。
日本女子は男子と比べて根性がある。世の男性諸君、しっかりしたまえ。
敵に自陣のプレーを見透かされているのが男子戦の弱みである。
女子のプレーに日本中が沸いている。
イングランドは格上で今まで一度も勝ったことがないだけに吉報となろう。
ボール占有率という言葉があるのを、僕は今回初めて知った。
NHKラジオの実況で独自に使い出したのだろうか。日本の方が五割を超えた。
その時点で日本優勢を実感する。後は日本が先制点をとれば…。
ペナルティーキックで日本が先に点を取った。ここまでは日本のペース。
でも相手もただでは起きない。すぐ又ペナルティーキックで同点。もう駄目か。
あゆみ舎についたら日本勝利との知らせ。勝因は相手のオウンゴール。
日本女子は実力のほかに運も兼ね備えているらしい。恐れ入った。

水曜歌謡祭

水曜日の夜。ショートステイの初日はフジテレビ系で放送される「水曜歌謡祭」を観て過ごす。
八〇年代、九〇年代、二〇〇〇年代の代表的な歌い手さんたちが唄うそれぞれの年代のヒット曲。
中島みゆきの曲を歌った研ナオコさんや工藤静香さん。
本人たちもヒットに関わったという意味では賞賛に値するが、やっぱりすごいのは作詞作曲した中島みゆき。
織田哲郎の力量もすごい。「踊るポンポコリン」から相川七瀬さんの「夢見る少女じゃいられない」まで数々の楽曲を作り、一時代を築いた。
(「踊るポンポコリン」はB.B.クイーンズのあのはっちゃけたパフォーマンスが記憶に鮮烈である。)
曲を作り、詞を紡ぎ出す人々の凄み。
それだけで生活をしているわけでもないだろうけれど。
八〇年代から九〇年代、確かにヒット曲は豊作だったといえる。
そういえばこの番組のアシスタントはあの森高千里さん。

NHKを聴いて

日曜日のお昼は、何時もラジオ第一で、日曜バラエティーを聴いている。
歌謡ショーと演芸を二で割ったような番組構成で気に入っている。
もう年をとってしまったのだろうか。
若者向けの歌番組にはない魅力が出ている。
ふと最近思うのだが、NHKのほかの番組にしても、懐かしい曲がかかることが多くなってきた。
ディレクターの年が僕らの世代に近くなってきたからだという説もある。本当だろうか。
想い出のヒット曲がかかるたびに、今も胸がときめくのを感じるので、ますますラジオが楽しみになる。
民放のラジオで聴くのはスポーツ、特に野球の交流戦ぐらいで、これもだいたいはNHKで事足りるなら、わざわざ他の周波数にダイヤルを合わせなくてもいいぐらいになっている。
ずいぶん僕も保守的になったのか、落ち着いてきたのか。
もう若者向けの番組は聴くのもいやになってきた。

うんざり天気

日中は汗ばむほどの陽気になるでしょう。
天気予報ではもう夏日が宣言されてしまった。
夏になったかとお布団を薄いのと取り替えて、しまったと思う。
夜中はまだ冷え冷えする。初夏の気温の微妙なところ。
体調管理がうまくいかなくて弱ってしまった。
皆さん気が早すぎますね。今年はもう台風が来るとかどうとかで。
まるで初夏なのか初秋なのか。もはやこれでは異常事態である。
夏の日射しが厳しくなっていくのは、これから三ヶ月。
夏風邪に注意しなければならない時期は、割と毎年八月頃かと思うのに、今年は五月にはもう風邪を一人でこじらせている。
春から夏への移り変わりがあっという間だっただけに、今年の秋はどういう風に訪れるのだろうと、気の早いことを考えさせられてしまう。
異常な夏の暑さとばかり強調されるのに、もう早くも辟易している自分が居る。
お天気キャスターの言うことに振り回されて、うんざりしている。

この世と神様

今日も一日皆様にとっていい一日でありますように。
何かいいことが起こりますように。
人を幸せにするとはどういうことか。考えるほどにその命題は深い。
良いことをしている人にはよいことが起こり、悪いことをすれば、それなりのことしか起こらない。
幸せになりたいと自分が思うのなら、その分人を幸せにしなさいと、幼稚園の時分人から聞いたような気がするが、小さかったので、ただ居るだけであなたは周りを幸せにしているんだよという言い方に、丸めくるまれていたように思えるのだ。
幸せにしたい誰かに巡り合うだけでも幸せと思える毎日のなか、それだけの甲斐性であるにしても、父や母が僕にそうしてくれたように、僕が家族や周りの人を幸せにしたいと願っている。
いい一日を。
居るだけで幸せになれる世の中が、これから幾日も続きますように。
神様はこの世にこそおられるのだから。

照れがあるにしても

S・Iさん、K・Tさんなど、僕が知っている人物でメディアにも出ることが多い人々との縁。こういう人もいるんだと対話して思う。「しのぎは大変だね。よくやっているね」とか「工賃無駄遣いするんじゃないわよ」とか割とプラスの言葉を掛けられたことが多い。
身体障害を持って、家への帰り道を辿っていても「大変なのによく歩いておられますね」そう父が近所の人から話を聞くことがあったらしい。
「お前が歩いている。そのことだけを見ていても救われるような気持ちになる人は居るんだな。期せずして慰めになっているのかもしれないよ」
そういう声を聞くことがあって思わず僕は言葉を呑んだ。著名な人たちがたまたま僕を見て掛けてくれた言葉を改めて思い合わせてみる。
沢山の人に見守られて、時には相手をその存在だけで勇気づけている自分。少し照れもあるが、そういうこともあると思えば、こちらにも励ましとなるだろう。

「ぼくたちの家族」

ハートフルシネマ第十七回を観に行く。
母が脳腫瘍にて入院。そのとき明るみに出る事件に男たちはどう立ち向かうのか。
兄弟の性格の違いが出ていて面白かった。父親の取り乱し方もなかなか堂に入っている。
出演は原田美枝子、妻夫木聡、長塚京三。
父の出身大学の後輩の家族が、モデルになっている。
しっかり者の長男に、楽天家の次男。家族の大黒柱でありながら、少し頼りない父親。
三人三様の性格がしっかり描かれ、家族は持ちつ持たれつなだけに、ひとつ鏨が外れると、大変なことになるものだと思った。
これはどこででも起こりうる家族の物語。
「自己破産してやり直してもらう」などと、時に鋭い刃のような言葉を父に向ける長男。特にお金に関して言えば、家族といえども他人同士なのだろうかと、考えさせられる。
この作品が突きつける問題は、もしかすると自分にも起こるかもしれないという問題だけに、他人事とは思われなかった。

京都放送局にて

あゆみ舎のぶらり街歩きでNHK京都放送局の放送会館に出かける。
花燃ゆの衣装や出演者の直筆サインが展示してあり、入って正面には8Kスーパーハイビジョンの映像で京都の四季折々の風物詩や紅白歌合戦が放映されている。
画像につぎはぎがあって少しがっかりした。
すごいなあという感覚があまりしなかったのは名古屋万博でのNHKの展示とつい比べてしまったからか。
帰りに駐車場で車止めに足を取られ転倒してしまった。額に擦り傷。
大変なので、眼科にも寄り異常がないか見てもらう。先生に「NHKに行ってきた」と言うと、「I・Aさん見なかった?」
 「さぁよくわからなかったけど…」もしかして8Kスーパーハイビジョンの案内をして、パンフを渡してくれた女性が、彼女だったのかもしれない。
幼い日京都放送局の前を通るたびに、怖くて泣きわめいていた僕である。あまり放送関係の人とは会いたくないと、今でも思っていたのだが。

平和を保つために

宗教というものが、こんなにも人々の対立の種になるとは、少しこの日本では考えにくい。
イスラム国の事件は、平和ぼけしている日本人にも、他人事では決してあり得ないことを示す形になった。
これまで宗教的対立から外にいた日本。それがこのような事態を招いたのはなぜか。
集団的自衛権を発動することを国として決定した以上、どこかの国と与することをよしとしないイスラム教各国から、きつい一発を食らうことになるのは、はじめから見えていたのではないか。
国の存立を危ぶむような事態は、自ら他国を攻撃することによってこそ引き起こされる。そのことを日本の為政者は知っておく必要があろう。
平和憲法を持ち、他国を攻撃することを全く放棄する。そういう高い理想を掲げた国だからこそ、これまで日本は他の国から狙われることがなかったのだ。その辺のところをもう一度頭に置いておく必要がありそうだ。

自由の意味

自分の気持ちに壁を作らないようにして他人と対すること。
高校時代の友人たちが僕に与えてくれたのは、人生の礎にも通じる、そんな気持ちでした。
自分の先入観が人に対する判断に如何に支障を来すものか、改めて感じて、怖くなったのを覚えています。
うちの高校には周りにフェンスがありませんでした。
出るも入るも自由。これでいいんだ。
人生における大きな意味をつかんだようで、気が軽くなるのを感じました。
人間が生活において最も大切にしなければならないことを、 僕はここで学びました。
それから二十五年。早くも四半世紀の時が流れ、自分の気持ちに正直に生きた結果、僕は今、あゆみ舎で原稿をしたためています。
自由に生きると言うことを、形としても実現するには、それはそれで大変な自己責任が伴う。それ故に力不足だった自らを内省する日々です。

それなりの人生を生きてゆく。自由は僕の手の内にありました。

旬の味とともに

桜の頃を過ぎ、新緑が目にまぶしい季節へ。
目に青葉山不如帰初鰹。今年もまた夏がやってくる。
鰹のたたきを食べて、勉学にいそしんだその昔が懐かしい。
今はもうそんな季節の味から遠ざかってしまうと思いきや、父といるとなぜかイチゴがよく口に入る。
後フルーツで新しい顔と言えばアボガド。それはそれで時は移り変わっても、そのときそのときの旬の味がある。
もうたたきを口にすることはないとはいえど、あじの開きを口に出来たり、季節外れだが秋刀魚を食べたり、それはそれで父も頑張ってくれている。
唐揚げは年中手に入るものだが、あれば夕食に便利。
カット野菜の威力のものすごさ。いつでもサラダが楽しめるように父は常備しているようだ。
失われた旬の味はそれはそれで母の思いのなかに。
僕の本音としてはイチゴより鰹が欲しいが、懸命に献立を考えてくれる父に今は口に出せずにいる。

おあいにくさま

桜が咲いたら一年生。
四月一日。図ったように桜前線は京都へ。
暖かさに引きずられるようにして、どんどん花は開く。
散るまでの速さがすごく短い。
雨にたたられ、今年のあゆみ舎いろり舎合同花見レク(動物園)は中止になった。
お目当ての行事がなくなって、今更予定の変更は出来ない。
文章をパソコンで入力するも、ネットワークを切られてしまって作業は中断。
暗い空。昼過ぎなのにまるで朝方のよう。
せっかくの桜見物の予定はこれですべてふいになった。
昼は花見弁当を頂く。残念でした。また来年。
花冷えの寒さに襲われるも、ここ数日はまた寒さがゆるんでいる。
金曜日のミーティングに僕が出ていること自体、春の椿事である。
四月八日から十日。最後の輝きを放って、花も見頃を終える。
明日はTの花見だそうで。天気予報はあいにくの雨。
最近の予報は精度がすごく上がっていて、天気もなかなかいい方に裏切ってくれない。
このままでは味気ないので、土曜日は是非晴れて欲しい。そう心から願っている。

音楽とのつきあい

スーパーフライのベスト盤をレンタル店で借りた。録音して聴いている。
知っている曲も多いが曲名までは分からない。
同じCDを何回も何回も聴いていると、だんだん良さが分かってくる。
CDは所有枚数ではない。如何によく聞き込んでいるかだ。最近になってようやくそれに気づいた。
彼らがデビューしたての頃はちょうど僕の関心が音楽の流行から遠ざかっていった時期と重なる。
詳しく知りたいとも思わないが、どこか引っかかるなぁという聴き方だった。ベスト盤を聴いてその理由が分かった。
どこか万人受けするポップなメロディーにパンチの効いたビート。歌詞はよく聴き込むほど深い。一気に引き込まれた。ずっとラジカセに入れておきたい作品である。
CD盤の扱い方そのものが、年を経るに従って変わってきたのは、ある意味必然なのだろうか。
音楽は同じ作品を何度も繰り返して楽しむもので、CDの入れ替えは最小限にとどめておく方が、音響機器も傷まずにすむ。
一人のアーティストの作品をまとめて買い込んで聴き込むよりは、好きな曲の入ったCDだけ選りすぐって聴く方が、快適なような気がしてきたのだ。
同じアーティストではどうしても作品による好き嫌いが出て、結果的に聴かないCDが出てしまう。それなら好きな曲だけ入った音源を聴く方がいい。
僕は何事にもとかく飽きっぽいのかもしれない。作品も流行に左右される。
僕が好んで聴いていたあるアーティストは、時代が必要とする普遍性を持ち得ないまま、その荒波に飲まれて消えていった。一時代を画しただけにその末路は哀れだった。
流行というものに僕も確かに踊らされていたのだ。
反省に立って、好きな曲しか聴かないように意識してみたら、気が軽くなった。僕の今までの音楽との向き合い方って、いったい何だったのだろう。
歳のせいかもと思ったが、よく考えればそればかりとも限らないようだ。

感謝を込めて

もう単行本一冊分も書いただろうか。
専業で書くことに専念してからほぼ二年半。
ブログの小文も百回を数えんとしている。
職員のhさんに肩を押され、自転車の練習のごとく始めた執筆活動のブログ化。
書いて書いて書き、一つの個性を僕なりに表現する。それが認められていくようで嬉しい。
昨今は所在を明かさないにもかかわらず、多くの人たちに読まれているようだ。
文明の利器パソコンの威力恐るべし。
実はこの作業に僕を導いてくださったのはあゆみ舎の職員さんたち。別に才能として自分から積極的に売り込んだわけではなかった。
でも誰かがそんな僕の適性を見定めてくださったのだろう。
原稿を手書きでものする。ブログ用に誰が読んでも一定に評価されるものを自ら見定めて、後その作品を入力する。
この繰り返しで百回。よくぞここまで。そういう思いで満たされている自分。
好きに書いたもので工賃を認めてもらえる有り難さ。感謝である。

そのときはそのとき

悩みは誰にだってある。口にするかしないかの差だと母はよく言っていた。
悩むことが本当に人間にとって大事なことなら、生まれたての赤ちゃんもあれやこれや悩むはずだ。
ところがそんなことはなく、直感力には優れているのに、後はおっぱいが欲しくて泣いているか、おむつを替えてもらって満足して寝ているかだ。
このことからショッキングなことが判明する。自分の悩んでいることのほとんどは本当はどうでもいいことなのだ。
なんと言うことだろう。悩みの大半が後天的なものなら、物事はそのときそのときに納めがつくものである。
下手すれば精神的症状のほとんどは後から作られたと言うことにならないだろうか。
赤ん坊の時から言葉もしゃべれず、頭を下げることも出来ないのに周りの人たちによって守られてきた自分。
今では言葉で自分の意思を伝えることも話し合って相手のことを理解することも出来る。
赤ん坊の時よりもっと自分の賛助者、支援者を見つけられるはずだ。あきらめてはいけない。
そう塚崎先生はホームページの文章で言っておられる。これを言い換えるとする。
無理に友達を作ろうとしなくても必要な環境に自分をおいておけば、人間関係は後から伴ってくると言うことが考えられないだろうか。
自分のことを意思疎通する事も大切だし、それを理解する人を集めてくるのも、こういう考え方でいることで、かえってたやすいと言うことにならないだろうか。
自分が今必要としている商売道具についても、努力さえしていれば道具は後からついてくるものだという話もある。
人生にとって自分がやりたいこと、夢中になれることを見つけよう。環境は後から整う。
母が僕に何度も諭した言葉「そのときはそのとき」。
悩んでいるだけもったいない。まずは実行あるのみ。
やってみてだめならそのとき考えればいい。
これに気づくのに三十余年かかった。

五つの力

食べ物には食べ合わせというものがあります。
人間のエネルギー(エネルゲン)生成に関わる食べ合わせや、歯を腐食から防ぐ食べ合わせなどが知られています。
なかでもみんなが知りたいと思われるような食べ合わせを一つ。食べるほどに長寿を保つ五つの食べ物。何か分かりますか。
デイケア利用のhさんによるとブロッコリー・ヨーグルト・リンゴ・トマト・納豆の五つだそうです。
人参・榎茸・ジャガイモと共にシチューにぶち込めば美味なのが、ブロッコリーで、トマトはレタスなど生野菜と共に、又煮込み料理にしても重宝しますし、ご飯のお供として切っても切れないのが納豆。
あのねばねば感がいかにも体に良さそうで僕は好きです。
リンゴはキュウリなどとポテトサラダに入れると、風味が引き立ちます。
この五つの食べ物を、気にしないうちに自然に食事に取り入れてくれていた、我が母親のものすごさ。医者も勧める最高の食べ合わせです。
一汁多菜でいろいろな食材を取り合わせ、食事に取り入れる事で、病気知らずの体を作るのに役に立つと母は生前よく教えてくれたこともあり、この話はあながち間違っていないと思われます。
皆様もお試しあれ。

アベノミクスの時代に

高校時代日本史の先生が言われた。
「次の時代を読む力を身につけなさい。君たちなら次の世の中が見えるはずだ」と。
数列の次を読む力はあっても、時代までは難しいのではないか。卒業当初はそう思っていた。
ところが自民党にしても民主党にしても、次なる国の政策を作り出す力は、なぜか小さいように思われてならないのだ。
小泉首相が目指した「何回でも再チャレンジが出来る社会」というのは、ただのお題目倒れで終わってしまい、次に来たのは格差社会。
もう引き返せない一本道を、安倍首相はどんどんと突き進もうとしている。
国民全体に国富が行き渡る社会とは、もはや呼ぶことが出来ないような仕組みを、世間一般としては受け入れることが出来ないだろう。
下流社会へどう所得を再配分していくか、これからの政治家の力量が問われよう。
景気を良くしたい政治の意図も分かるがもう少し下々への配慮が欲しい。
景気回復の後が重要だ。

節目の年に

近頃、日本国内でも海外でも不穏な事件が多い。
テロ集団に日本人が殺害されたり、いじめられた中学生が、不良グループに殺されたりしている。
そもそも世の中、殺人というものが、こうも手軽に行われていいものか。
ラジオ放送が行われるようになって今年で九十年、戦後七十年という節目になるが、国会での論戦に目を転じると、集団的自衛権を広く対外的活動全般に認めさせ、自衛隊を海外に派遣したい自民党の思うがままに物事は動いている。
憲法九条も改定されるかもしれない。
あっという間に次なる戦前が近づいてきた。中国が挑発してきたり、韓国との関係が冷え込んだりしているのも、すべてはそのせいではないだろうか。
今年の夏出される総理大臣談話を世界が注目している。
マスコミ各社各メディアがその取り扱いをどうしていくのか。節目の年に国民全体の問題として考えてゆく必要がある。
これから何十年後の未来のために。

夢は大きく

描き続けた夢。
文筆家という職に就いた人は出身高校の卒業生のなかにも数多い。
放送作家や放送タレントの類も結構いる。
ということは、僕のやろうとしてきたことも取るに足りないことかもしれない。
夢は○○というときの○○が実は重要なのだろう。
黒田有梨沙というタレントさんが、先日NHK大阪のラジオ番組に出演していた。
なんと!!お茶の水女子大の理学部物理学科卒。宇宙に行きたいという。
人の出来ないことを夢として抱く方が、実現のしがいがあるというものだ。
そう文章を生業にしている人なんて、世の中にはごまんといる。
夢のレベルが高い人は、自分を高めるための努力を惜しまないが故に、ほかからも実力があると見込まれて、思わぬ方向で才能を開花させるものらしい。
夢が小さい人は、それだけ堅実だとはいえるかもしれないけれど、実は言い逃れの幅が大きいとも、とりようによればとれるわけである。
やっぱり夢は大きい方がいい。

新幹線と経済効果

北陸新幹線が開通した。東京まで二時間で結ばれるという。
t先生の郷里金沢でも集客効果が見込めると思う。
何よりも日本が狭くなって、出張するにしても何にしても日帰りで東京までと言うことになる。旅の情緒はどうなるのだろう。
先年は東海道新幹線が開通して五十年の節目だった。景気が上向いているとはいえ、かつての経済成長下とは違い、何もかも増収増益というわけではない。
企業数も相次ぐ吸収・合併で次第に減少してきている。決まった大きさのシェアを取り合うこのご時世。
新幹線の開業により、競合企業の競争は激化すると予想される。
物流、観光などの面でより時間が短縮するため、物や人に対する単価が下がっていくのではと僕は考えているが、どうなるだろうか。
サービス業はかかる費用をある程度大きくした方が、質が一定レベルに保たれやすいというかつての状況を見ても、この経済効果をただの競争原理だけでとらえると、見通しを誤るだろう。