またも櫻子ちゃんである。
ニューアルバムを聴いた。
OLの日常を独特の視点で切り抜いた。
焼き肉食べながらビールで乾杯。
気になる人との恋の行方は。
珠玉の10曲。
みなさまもぜひご試聴を。
パンを使った料理の中でも一番好きな物のひとつ。
ウインナーとキャベツを長いロールパンの間にはさんで出来上がり。
出来ればキャベツはカレー粉で味付けしたものが良い。
マヨネーズとケチャップのハーモニーが溜まらない。
母の作ったそれを心置きなくほお張ったあの日が懐かしい。
毎日のうたかたに紛れて
良く見えなくなっていた色々が
最近とみに良く見える
体の自由が利かなくなってから
いわゆるうたかたのほうがどこかにいってしまい
みまもってくれるひとたちのありがたさに
時に涙し
ときによろこび
ときにとまどいながらの
この二年余り
日々の営みに
じぶんのこころがよくうつしだされ
こわいぐらいである
今日、朝ご飯に食べた。
なにも用意がない時の冷凍炒飯である。
各社の商品を食べ比べてみると、やっぱり日冷が一番おいしい。
王将の物もたまには食べてみたくなるね。
それでも中華料理店のそれとは比べ物にならないから。
少し値は張るが、すき焼きを弁当屋で頼んだ。
うどん入り肉盛りのやつである。
癖になる割下のあの香りと風味。
でもたまには家の中ですき焼きうどんしたいな。
870円はバカにならない額である。
早くも冬
鍋がおいしい季節
水炊き
おでん
ちゃんこ
チゲ
どれもおいしいけど
ぼくはやっぱり
具だくさんの水炊き
〆にご飯、たまご、しょうゆをいれて
雑炊をこころいっぱいに
ああ 極楽極楽
やきそば
ソース
マヨネーズ
たまねぎ
キャベツ
ふりかけ
おしまい
悲しいことは
みな忘れたい
うれしいことは
みなおぼえていたい
なのになぜだろう
人の喜ぶことをしても
すぐに忘れ去られることが
あまりにも多すぎる
柿食えば
秋の深まり
モミジの葉
シカ一群
猿一頭も
見物に
そよ風に
沖のカモメも
平泳ぎ
筍を
掘り出す秋や
雪見草
昔のこと。
1950年から60年代にかけてロボコンという二足歩行の人型ロボットが現実にいた。
石ノ森章太郎さんがこれを漫画に描いたのがもとで人気者となったが、手塚治虫ののアンドロイド漫画とちがい、実体があったぶん、彼を知っていた僕としてはそちらの方がずっと感情移入がしやすかった。
仮面ライダーにしても外国の犯罪組織で人を作りかえるというエピソードがそのもととなっていたというからただごとではない。
石ノ森は構想力そのものは手塚に劣るとは言われる。元の事実をひやかしながら書いていたのが彼にとっては玉に傷。
ロボコンの性格も元はそういうものではないということはここできっぱりと断っておかねばならないのは言うまでもない。
巨峰が好きである。
一説にファンタに入っているとも。
干しぶどうにマーガリンがはいった某社のパンも大好物でよく手に入れる。
房に付いた可憐な一粒一粒を見ていると、
それら自体が無くてはならぬ仕事の一連一連に見えてきて
さあ明日もがんばろうと何とはなく力をもらえたりするから、不思議である。
朝食時
小皿に
こんもり盛られた
ファインの一房
さあ召し上がれ
一粒一粒
玉のように輝いたそれを
皮ごと口に含むと
果汁の清々しい香り
これぞ
秋の到来を知らせる
味覚の王者なるぞ
ははあ
参りましてございまする
今日のお昼はジャムパンとクリームパン。
それでもものたりなさそうにしていると、父がとっておきの一品を披露してくれた。
蒸したほっくほくのさつまいもである。
残念ながら中心部分にはまだ芯があったが、大きな大きなそれを加熱するのに四苦八苦している父の苦闘ぶりが目に見えるようでありがたくまた微笑ましくもあった。
些細なことだがそのなかに確かな父親の愛を感じ、心揺さぶられたエピソードである。
ごはんいっぱい
おかずぱくぱく
ごはんいっぱい
こころぱくぱく
ちからいっぱい
あたまばくばく
江戸の昔、身体障害者は穢多に分類された。
いわゆる貴種のなかでも身体障害者は今の年金にあたる扶持を与えられ、社会の中ででも大切にされていた。社会の最下層にある非人は犯罪者の身分をいい、犯罪により自ら片輪になった者もふくまれていたから、そういう人たちは同じ身体障害者でも厳密に区別され、社会からいかなる保障もうけられなかったという。
かつて私の祖母から、人づてに聞いた話としてつたえられた内容を以上ここにかきしるしておいた。
貸金業で、元本を返したくない人が利子だけちょっとずつかえそうとすると、利子が100%もついてくる。借金を消費者金融に頼むと、とんでもない金利が付くことになっても、返すにかえせんその金はあとあと身を滅ぼす障りとなる。追い込まれてからでは遅いから、先に元本だけでも返してあげることが重要になる。ぼくは生みの産土のある所から、その話をきいておどろいた。借金する人は皆、ウルフルズのある曲ではないけれど、それぞれの事情から離れられない友達に頭を下げてかりまわるのかもしれないけれど、債権を持つ方からしてみればとんだあぶく銭でも大した金なのである。
回線の重みに耐えかねてベッドで張り付いていると、父親の責める声がして気持ちが追い込まれてしまう。からだがいうことをきかない。いよいよ幻覚が厳しくなって目を回していると父は僕の頭から水をかける。思うように動けないわが身が空しく、浜田省吾の歌ではないが、悲しみがさざ波のように押し寄せてくる。凍りついたような時間ののちに、心の中に雪が降ってくるのだ。
年金をおろす。
使う。
ポイントがたまる。
線形を読む。
貯金する。
ポイントを経釣る。
このくりかえしで
金融取引思いのまま。
うまくつかって
たのしくすごそう。
芸能界という荒波の中、一族切っての頑張り屋さんのあなたが、精一杯頑張っている姿に、こちらも大いに励まされています。どうか体には十分気をつけて、さらなる活躍を期待しています。父さんは末のあなたがかわいくて仕方ありません。
親の背を見て子は育つ。
子どもたちは放っておいても大きく育った。
僕の大変だった時代を追体験して育った世代の子が今親となって孫を育ててくれている。
歩けるように一生懸命だった僕に連れ合いは文句も言えずに良く頑張って子どもたちを育ててくれた。
感謝でいっぱいである。
つきあった女性の数だけ子を作り、今や子供たちの数だけでも何十人の域に達するといわれているが、その多くが素直に育ってくれた。
ありがたく感じながらも、ひとつ気になることがある。
ふがいない僕の背は今彼らの目にどう映っているのだろうか。
だって
今日の昼食は
お好み焼き
食後のおやつは
水ようかん
餡入り最中
お盆の入りに
いかにもありそうな
フルコース
大原櫻子の5thアルバムを聴く。
まさか。期待をいい方に裏切ってくれる仕上がり。
こういうアイドルに入れ込む自分に半ばあきれながらも何度も何度も聴きこんだ。
彼女は相当の努力家である。あっぱれというほかはない。
江戸時代から続く寺子屋のネットワークを同志舎という。
その第一の存在が啓明塾というところでそこを出れば昌平坂学問所までいっきにたどりつくところであったといわれる。啓明塾の始まりはわが母親の血筋であったことから、僕は生まれながらにして東京大学に最も近い位置にいた子であった。啓明塾は今でいう某学習塾のもとになっている。青春時代、二度も東京に出て勉学を深めることができたのもこういう血の優位性にも素因があったのではないか。
タレントや歌手の親はまたタレントだと勘違いされたりするというが、ぼくはよほどタレント的な生活をしてきたのか、時に知り合いが多くなって、タレント仲間でよく遊んだ。
多くはテレビ番組のロケハンに一緒に連れ込まれたのだが、みんなあの時のことでいっぱいになったりしたのが今でびっくりしている。
先日、マックフルーリーなるものをはじめて賞味した。
アイスとフルーツの絶妙な絡み合い。
とてもおいしかった。
ポテトをあてに。
どうやらくせになりそうである。
コーヒーゼリーをいただく。
スタバのそれはほんのり苦い大人の味。
乳糖をかけて一口またひとくちと食べ進むうちに
かなわなかった昔の恋など思い出したりして。
結構なお味で
豚のひれ肉は目に効く
そういうわけで
今日のお昼
口にするのはとんかつ
このパワー
あなどれませんぞ
何もたさない
なにも引かない
予定は未定
日曜日
そんな魔の一日が
今更のように怖い
大原櫻子の2021年コンサートのライブ音源を聴く。
居ながらにして観衆の熱気が伝わるいいライブであったが、少し値段の割にお得感が少ない感じがした。売れてきたから無難にまとめた結果かもと邪推してしまった。
命の水
水分カラカラ
塩分摂り過ぎ
水ようかん
きりりと冷やして
天下の夏
めったに遅刻しない僕が遅刻したという時はだいたい理由がありましたけど最近てんかん間のような話で休むことも増えました。
沢山もらえることもないと何ぼお父さんでもやめときなさいといわはるので、最近は行くにも行けない日も多く、リハビリまで同じ手でサボられたとお父さんが困惑しています。
何とか調子のいい日には選挙まで行っていたのにあんたの一票なんて知れたものなのに何で行くと言われ、今度は何年かぶりに折角行ったのにとこちらが困惑してしまいました。
演技していると言われてしまいます。
精神の病は複雑怪奇。
最近のお気に入り。
始まりはキットカットから。
ビターな大人の味。
5枚も食べればお腹いっぱい。
日本の多くの職場では制服を着ることを求められる。
じつは小さい時からの制服嫌いが高じて身分や立場から自由な働き方ができるところを探し求めてあゆみ舎に落ち着いた次第。
こういう僕の性癖であるからして小さい時に在籍した某劇団でも僕の名はつとに有名になってしまった。
何せ扮装がきかないのである。
石ノ森章太郎の最高傑作。
未来の自分のやりたい放題を止めるべく、過去の自分が戦いを挑む。
そういう物語である。
初心忘るべからず。
過去の正義が未来の悪を退治するという独特の図式に石ノ森の独創的な物事の観点を見せる作品である。
人は絶えず自分との戦いに明け暮れなければならない存在なのかもしれない。
外で買うホカ弁はのり弁が350円程度。
あゆみ舎でのお昼はそれを下回る破格の値がつく。
デイサービスの弁当600円也。
自動販売機で週2回遊んで800円也。
飲み食いと水道光熱費合わせていくらか。
通帳の残高は弁当代と密接にからまってくる。
ガッチャンガラガラ…自販機から缶入り飲料が出てくるあの物音が聞きたいゆえにコインを投入して遊ぶ…ああ、もったいない。
最近は
生協からの
お弁当
味付け
薄目が
健康的
このところ暇さえあれば出かけることが増えた。
春風の中散歩していたり、デイケアで弁当を食べていたりすると不意に幸せが訪れるような気がする。家の中に一人でいると気が滅入って滅入って仕方がない。
デイケアやデイサービスで手にするサービスの数々、作業所でパソコンの前で過ごす一瞬一瞬に感謝しながら、体をいたわりながら過ごすこの生活が今の僕のすべてである。
空揚げとチキン南蛮を心行くまで食しながらの日常に未練を残すわけにはいかない。
お金の無駄はしても時間の無駄はしたくない。
オリンピックのメダルの中に入っている500円玉はスポーツ選手がそれでもって人生のやり直しをできるようにとの主催者側の思いが込められている。大抵の選手はそのまま持っているメダルだが、中にはお手付きにしてしまうものもある。
ソフトクリームを自由に食べたさに製造機を買ってしまいとんでもない無駄をしてしまった人もある。彼女は王林などのパワーフルーツも食べすぎる傾向があったという。
みずから選手生命を短くしてしまうようなお金の使い方をしてしまった彼女の名は伏せさせていただくが、たかが500円されど500円なのである。
マクドナルドを喫茶店代わりに使う。
今でこそ注文はすべてセルフだが、かって僕は席まで店員さんにお運びしてもらうのが常であった。
コーヒーにポテトちょうだい。
LのポテトひとつにMの飲み物をふたつ注文すると、二人連れのある客は仲良くポテトを半分ずつ取り合ってつまみ始めた。
喫煙も当時はできていた。男二人で語らいながらポテトをパクパク。
早く大人になりたいなとその姿を見ながらぼくはあこがれたものだった。
緑黄色社会のニューアルバム「actor」を聴く。
14曲入り。タイアップも数多く、ほとんどはどこかで耳にしたことのある作品である。
歌うことは演技することにどこか似ている。
曲ごとに表情を変えるボーカルの演技力の確かさに、リョクシャカの大いなる未来を見たような気がした。
劇場版「クレヨンしんちゃん」の主題歌。
歌うは緑黄色社会。
アニメの主題歌をいわゆる普通のバンドが歌っている。
こういう形態をとるのが当たり前になったのはいつのころからだったろう。
アニメの内容がくどいからか、こちらは至ってさわやかに決めている。
ポテトチップスというとカルビーが有名でわざわざポテチ用のじゃがいもまで開発しているので有名になったが、油が多くてカロリーが高いのが玉に傷。
カウチポテトまでやってみてもすぐ体重にはねかえるのであまりおすすめしたくない。
小袋はコンビニで売っているし、食べきりにはちょうどいいサイズ。
たまに食べるとおいしい。それぐらいである。
自分で路上ライブして売り込んでいったなんてすごい。
努力の人である。
初めの話を知ってしまったら手売りで一枚一枚売っていたCDの価値も何百倍にもはねあががっているだろう。
僕の手元には路上集ⅰというアルバムがある。
渋谷の天使といわれた彼女の当時をしのぶに最適の一枚である。
キットカットというチョコレート菓子がある。
合格祈願のお守りとして使おうとしたのは、たぶん僕が最初ではないか。
試験会場で胸ポケットに入っている小袋につい試験官の目に留まった。
お菓子の持ち込みとして注意された。
「これですか。お守りとして持っているんです。きっと勝つぞ」
それとなく答えてお咎めを免れる。
結果はサクラサク。全力で持てる力を出し切った成果であったが、そのキットカットの小袋の処分には少しく困り果ててしまったのを鮮明に覚えている。
初めて出会う人なのにそんなことを一切感じさせない人がいる。
まるで以前どこかで会ったような感覚でいっぱいになることさえある。
人の縁とはそういったものかもしれない。
それでは縁がなかったということで。
そういって別れることになるところではかえって僕のガードが高い。
どこか自分のペースに他人を引き込んでしまうところがあって、僕の良く末を心配してくれた人が、そっとついてきてくれるということも影響しているのかもしれない。
コロナ禍のなか、花見は自粛しても団子はおいしい。
ということで今年もあゆみ舎では弁当レクと相成った。
今年は4月8日にとりおこなわれた。
おかずたっぷりの花見弁当。
なかには冷奴からえび天鮭の塩焼き、卵焼きまで占めて二十品目のおかずに黒ゴマをかけた白ご飯がお行儀よくおさまっている。
これだけのものをいただいてそれなりの働きをしているかというと心もとないのではあるけれども。
京風ラーメンと言えば、すべて薄味のそれを想像しがちだが、元は鳥ガラやチキンブイヨンからとった出汁がベースのこってりスープがその基本である。
醤油とブイヨンだけからお湯を足して作ったスープは家庭の出汁の基本でありそれだけでもたいへんおいしく重宝するものであるが、ちかごろは色々な味付けを施した製品がラーメン各社から売り出されているため、おうちでつくることはほぼなくなった。
さらに京都は日本有数のラーメン激戦区であり、様々に専門店が工夫を凝らしそれぞれ独特の味付けでしのぎを削っている。
まさにこの地はラーメン天国。今日も至福の一杯を美味しくいただきます。
おとうさん、どうもありがとう。
僕の通った高校は高等商業の血を引いている。
実習で会社を立てお金の使い方から何から何まで先輩方の指導を受けた。
そこには生きた経済の縮図があった。
あゆみ舎からその会社で会食した時の話である。
僕がハマグリの味噌汁が好きなことを知っていて特別にしつらえたのか他のメンバーにはないそれが出てきて大慌て。
トイレを借ろうとしても他のお客様とへんに区別されて入れてくれなかった。
身内意識丸出しの店の対応にこちらは実に要領を得なかった。
僕が幼少から様々な出会いがあった中に東大門への推薦の元となった昌平坂とのそれがあった。
僕はそこで工学と医学をものにした。
小学校を出てすぐの話で今でいう理Ⅲへの道が開かれたのである。
一般教養は当時理学部を目指していたものの常として必須の科目が並んだ。
これは後日談になるがここまで恵まれた環境に居ながら京都のある大学に行けば経済学の本物を修められるという話を予科門の他の学生から聞いて、転学した。
東大の経済学部ではあくまでも政策上における仮定としての経済学しか教授してくれないうえに、理Ⅲとの進路違い故に不利な立場に立たされるので、地元での中学へ入学しなおして編入先の付属高校の受験を目指すことにした。
学問の基礎を京都でみっちり固め、高校に合格した時は涙が出た。
すべては大好きな経済学部入学の為である。
本物の学問が持つアカデミックな雰囲気に惹かれて勉強にも熱が入る。
それでも自由な校風にかまけていたように見えたのだろうか。
大学のある教授から檄が飛んだ。
「もう一度東京で勉強しなおして来い」
僕の心はあの懐かしい医学部に帰った。
播書調所から東大へ。医師株を手にしたときにはもう26歳にもなっていた。
僕と東大との浅からぬ縁を思うとき、漫画ドラゴン桜のあのセリフもあながち架空のものではないと今は心から感じるのである。
いまになって映像資産がたんまりある。
SMAPのその後の話である。
YOUTUBEがひとりでに財産をこしらえてしまうのだからたまらないだろう。
あとあと自分たちの残した足跡がこんな形で世に出るとは、かれらにだって想像もつかなかったに違いない。
彼らの努力が良い形で実を結んで今がある。
苦労して築いた地位と名声を大切に歩んできた彼らなりの充実感がこれらの映像資産に現れているようで興味深い。
緑黄色社会の「キャラクター」という曲を聴く。
なかなかキャッチーなメロディーでガンガン攻めたててくる。
これを機会にとYOUTUBEで検索して他の曲も聴き比べ。
音楽性を探っていくうちに誰かと血がつながっていることに気付いた。
「トコちゃんがんばって」
SMAPの「トライアングル」
今の状況を反映して検索数で上位に位置していると聞いてあらためて聴いてみた。
命の価値は皆同じ。なのに人はなぜ殺しあうのだろう。
ウクライナでの戦争を見て考えてみる。
1974年ごろ盆の時期に、ハロウィーンのキャンペーンを張ったのがミスタードーナツ。
いまでこそハロウィーンは日本の歳時記の中に定着してきたが、その当時は何のことだろうかと知らない人がほとんどであったと覚えている。
タレントさんも一部が知っていたぐらいだろう。
アメリカンドーナツは開明派のもたらしたあこがれだったのである。
景品のお化けがデザインされた小皿がしぶとくも最近まで僕の家の食器棚に残されていた。
世界のドーナツが各種集う場所となったただいまのミスタードーナツ。
定番商品のオールドファッションは僕の一番のお気に入りである。
いつものことを
いつもどおりに
かわらずつづけること
単純そうに見えて
これが意外に難しい
今日も明日も明後日も
変わらぬ営みの中に
真実の愛を感じる
いつもよろこんでいなさいとは
聖書の中の一節である
良く頑張ったね
あなたのその一言を待つ
今日はあれができたよ
だんだん動けるようになってきているのかな
そんな日はうれしくて
あなたに特大のありがとうをささげたくなります
誰かがいつも見ていてくれる幸せ
いつも一歩先の踏ん張りを理解してくれるあなたへ
お父さんありがとう
言わずと知れた竹内まりやの名曲。
彼と別れて傷心の彼女を励ます私。
言葉の選び、物の良い方が抜群上手い。
入らぬことは言わないで、そのくせ必要なことは的確に伝えている。
さすが彼女の才は素晴らしい。
心から敬意を示したい。
体の不自由さと
こころの不自由さは
なかなか互いに
相容れるものとはならない
だからこそ
なかなかにしてやるせない
寂聴さんが昨日身罷られた。
世間一般で普通に利用されている銀行の商法について話をしようとしたときのことである。あんなところから融資を受けてはなりません。
答えて彼女はそうのたまった。
銀行はあくどい。あんなところと関わるとあの世まで借金取りがやってきてくるしむことになりますよ。
僕が口座取引の怖さを思い知ったのはつい最近。
彼女からの注意をもっとまともに聞いていればよかった。
雨降りのあと
七色のきれいな虹
架かるのは見ることがあるが
自分から架けに行くことを志向したものだけが
虹の向こうで夢を叶えてゆくことを許されるのだろう
AAA「虹」を聴いていると
その過程で湧き起こる悔しさなど様々な感情を歌いこんだ
秀作であると思う
夢は結局夢のままであってはならない
現実に叶えてこそ意味がある
数多くの楽曲作品がそのように歌っている。
デイサービス帰りの車内
明日の晴天を約束するように
西側の空が真っ赤に染まると
なんだか急に元気になる
夢が現実になってくれそうな
そんな期待に
頭の中があふれかえり
おのずと雄弁になる
今日の君は
やたらテンションが高いね
まわりにはそういわれたけれど
夕焼け空を心から喜ぶ
そんな単純な気持ちを
ぼくは小さなときから忘れずにいる
かなり前になりますが
タレントのスター性について
考えさせられたことがあります。
きっかけは
ある一流芸能人の印象について
さすがに残る人はここが違うけど
こういうの生まれつきの性格と違うかな
そういう結論に達したものです。
君にもありそうだよ
そういわれてまんざらでもなかった
そんな思い出を
僕は大切に胸にしまっています
あのAAAが解散した。
最近の芸能界は元気がない。
小粒なスターがシーンを席巻している。
ひと儲けするともう一生食べてゆけるお金が手に入るからかもしれない。
彼らと出会ってから僕も少しだけ芸能界の人たちに対する見方が変わった。
ともかく恵まれているので、昔のように身売り同然で出ていく子は少ない。
職業選択の上で考えられるひとつの候補として芸を磨いているにすぎないのだ。
そう思うともう少し彼らも薹が立ってきたといえるのかもしれない。
人生のやり直しにはまたとない機会に、彼らにはもう一旗揚げて頑張ってほしい。
卵をよく食べる。
目玉焼き、卵焼きや出汁巻きはてはクッキー、ケーキにいたるまで毎日の食に欠かせない食材の一つ。
粉もんやアイスクリームにも入っている。
茹で卵はラーメンやおでんの具にも大活躍。
個人的には卵をたっぷり使って黄色くなったホットケーキなど僕のお気に入りである。
ああ、今夜あたり茶碗蒸しが食べたいな。
こと福祉の世界では千円札が大活躍する。
デイケアや作業所では高額紙幣からの両替が効かない。
青札ならどんな時でも硬貨との取り換えが簡単にできる。
問題になってくるのがお札の入手先である。
うちでは商売の釣りに必要になるので、千円札との取り換えがめったに効かない。
銀行で両替する手もあるがいちいち頼むのが面倒だ。
それでも机の引き出しからいつの間にか大量の青札が顔を出し、驚くことがたまにある。
必死でためているからかしらん。
10月15日(金)レクで京都市動物園へ行った。
大型のもので動物園によくいがちなおなじみの動物以外は、金網と逆光に阻まれてよくわからなかった。
当日は絶好の散策日和。車いすをあゆみ舎職員の二人に押してもらいながら秋の風を存分に感じた一日となった。
同行に協力して下さったメンバー、スタッフの皆様、ありがとうございました。
良い気分転換になりました。
急に季節は廻った。
羽毛布団に身を横たう。
枯れ葉の季節も間もなく。
涼しくなって風邪をひきそうだ。
父が部屋に電気ストーブを入れた。
僕は今コルセット中。
かじかんで体が動かしにくい。
ホント12月には回復していたいな。
思えば
引き返せない一本道を
遠く歩いて
ここまでよくも
やってきたものだ
人生は
山あり谷あり
凸凹ありぬかるみありの
大変な行程も含む
それでも
笑いあり涙ありの
息もつかせぬ
一本の映画に似て
ぼくには
限りなくいとおしい
人はいったい
どこから来て
どこへいくのだろう
興味は何処までも尽きない
どうやって書くことを思いつくのですか?とか文章の書き方を教えてくださいとかその手の質問を受けた時、僕が勧めているのはともかく書いてみるということです。
文章としてまとまらなくても大いに結構です。
構成などは繰り返しそれらを文字化していく中で後付けしながら練っていけばいいのです。まず400字詰め原稿用紙3枚に好きに書き散らかしてみましょう。
書いたことの内でこれとこれが文脈が近いとか遠いということが出てくると思います。
そうなった時は迷わずに最初から書き直してみましょう。
これを何回も繰り返していくと、書きたいことの骨格が見えてきます。
この書きたいことの骨格がいわゆるアイデアと言われるものです。
アイデアが固まってきたら、改めて段落をつけて書き直します。
どうですか?初め書きだした原稿より長いものになってくると思います。
この時点で原稿用紙五枚にはなってくるでしょう。そうなれば大成功です。
書き直しを繰り返すことでおのずから推敲することにつながります。
ここで言っておきますが、一から書き直すことを恐れてはいけません。
さあ、間違いを恐れず皆さんも自分の内なる思いつきをどんどん形にしていきましょう。
きっと魅力に取りつかれてしまうでしょう。
芸能の世界ではあたるか当たらないかがすべてと言われる。
当たると大きいが外れるとさっぱり。
そんなヒットのあり方を0と1の間とたとえたAKB48のベスト。
二枚組CDの一枚目が特にぼくのお気に入り。もっともAKBがAKBらしかった時代のミリオンヒットが並ぶ。
二枚目はいかにも秋元さん。
おニャン子以来のアイドルの正統ともいえる曲のオンパレード。
当てるということのむずかしさを思わず考えさせられる作品である。
物々交換でより高い価値を手に入れるにはどうしたらいいだろう。
そんなことを考えたことはありませんか。
高付加価値を持つものと交換するのが良くて,持っておくにしても売りさばくにしてもその方がより高い価値を生むと思います。
民話でもわらしべ長者という話があるように見かけは二束三文のように見えるものでも取り替え方によっては大金持ちへとあなたをいざなうことができる、そういうものもあるのです。専門的にいうと経済学の中の価値論というのが、そういう話へとつながる講義にあたります。
僕は小さい時からわらしべ長者に憧れました。
なんということもないちっぽけなものでも大きな利を生むこともある。
これは何処までもホントの話なのです。
この空は果て無い
この世をもれなく包む
いつかのように
もう一度立ち上がれたら
やりたいことを
意のままにたのしく
天はすべてを見ている
CDの買い入れ
まっさらのそれらを
再生機に
うれしさ百倍
勇気千倍
ああ今日も
生きていてよかった
明日は明日の風が吹く。
どんな風向きにも対処できるように
日頃から心の柔軟性を保とう。
逆風、順風
強風、嵐
いつも喜んでいなさい
聖書の言葉にもあるように。
エアコンをこの7月に新調した。
同時にCDシステムも新しく購入。
27度の冷気の中で聴く音楽は何処までも耳に心地よく響く。
暑さ知らずで迎える9月。
涼しい環境に慣れ過ぎた体をいざ外気にさらそうとするときの生体反応のことが少しく心配になる。
一日中使いっぱなしを父に注意されながらも熱中症にかかりやすい僕の体。
充分にいたわっているつもりでも冷房病というのもあるからなあ。
幕間からサインを出す。
手信号だ。
全出演者がかたずをのんで見守る前で
僕のサインがスタッフタレント全名を仕切る。
そんな大役を仰せつかったことが
僕にはある。
人生の幕間に出される手信号は
重要な転機転機で
人生そのものを仕切る神様からのサイン
見事に決まった時の自信と
外れたかもしれない時の悔悟は
人生劇場を鮮やかに彩るのだ
トリプルエーの9thアルバム。
イントロに使われた第九のメロディー。
これがこのアルバムのタイトル名の由来。
タイアップ曲がこれでもかと並ぶ。
これと15周年記念アルバムを買って僕は大満足。
ファン初心者必携の作品である。
良い作品には必ずストーリーが感じられるものです。
特に音楽CDを制作する場合、その一枚を構成する楽曲のあいだになんらかの筋立てが感じられない作品は結果としてよい売上成績を得られないといわれています。
特にアルバムの場合、脈絡やコンセプトがあいまいなままただ集められ、録音された作品では作り手の意図も感じられず、受け手としてはただ聴かされた後に不満感だけが残ってしまいます。
物を考える時も筋道が大切なように、良い作品には聴いた後にいついつまでも鮮明な一枚の絵が心の中に描かれるものです。
山本彩の歌唱をYOUTUBEで聴く。
構えるギターも格好よくて、絵になるアイドル。
一時の流行ではあっても、ギターは僕の永遠の憧れ。
彩ちゃんガンバレ。
自分のことも他人のこともよく見える。
そんな時代に僕は他人によく仕事を任せてしまった。
自分の仕事はあゆみ舎が提供してくれるとしても、自分のことを軽視し過ぎて、つきたかった社会での仕事を全部捨ててしまったことに一部後悔している。
体力と気力だけで乗り切れるほどこの社会は甘くなかった。
もっと自分に自信が持てていいのだけれど。
つくづく思う、人を使うには頭がいるんだなと。
ミートパイを一皿焼こうとしたところ、約八か月仕込みにかかることに気づいて仰天した。
お金を美味しく増やす秘訣は生地の練りこみから何から何まで資金運用にかかる一切の手腕が決め手である。
価値の交換を繰り返しながら出入りを繰り返すお金の調整はもとより、注文品の手配の時期を含む消費の管理まで徹底しないと、満期までに美味しいミートパイは出来上がってこないことに気づいて気も遠くなった。
じっくり中まで火を通すためにはさらに何か月か待たねばならないから、ありつくまでに一年はかかる計算になる。
残りは冷蔵庫でたっぷり十年冷やす。
この不思議なパイづくりの秘密は銀行によってさまざまなれど人の甲斐性の見せ所となるだろう。
さあ、皆さんもおいしいミートパイ焼いてみませんか?
歌がうまい。ドリカムもうまいけどそれ以上。
作品に波があるのは仕方ないとして、ベスト盤の方を買い求め、日がな一日聴きまくっていると、いい暇つぶしになる。
流れてくる曲も無難なものが集められていて、さすがである。
新しいオーディオシステムで、いい音を堪能しています。
このところ新しい曲の情報が乏しい中、いい買い物ができました。
頭の回転が遅くなって、次にやろうとすることもよくわからないことも多くなってきた。
クーラーもいいけどつけすぎては体の動きが悪くなる。
遠湿布で足の患部を温めつつ、動きの良くなるのを待つ
ほどに、ふと思いついてフットマッサージャーを動かすが逆効果。
悲しい。せっかくつながった運動神経が解けてうまくつながらない。頭ではわかっているとしても意識とからだがうまくまとまらない。
一大事である。
なんやかやで開幕した東京五輪。
中継はNHKが独占。
それなりに盛り上がっているが、こういう厳戒態勢ではやはりテレビの前が特等席。
あらためて思い知る国営放送の物凄さである。
創作活動に詩や歌を物したことがある。
初めは架空の世界で気楽に遊んでいたつもりだったが、途中で大変なことに気付いた。
正反対の詩世界をとらえる目が複眼的になると、じきに整合性が問題になった。
あなたはどっちの立場がいいと思うかなどと聞かれるのである。
どっちでもいいやなどというとそういう自分ない態度でこんな詩を書かれましてもと
おずおずと反論が返ってきたのである。
詩を書くときはその人の思想性が一番に問題になるものだ。
自分ない態度ではいずれしおれるのである。
この心安らかなれ
この愛よ永遠なれ
この暮らし平安なれ
この祈り栄光あれ
いきいきとしてけじめあるそんな状態がずっと続きますように
こころをつかう
こころをそだてる
こころをつくす
こころはおおきく
きはちいさく
これがわがこころなり
愛とは与うもの
愛とは奪うもの
愛とは失うもの
愛とは尽きせぬもの
愛よ
とわに栄光のもとにあれ
キリスト教をはじめとして日本の宗教には、博愛の精神を説くものも多い。
特に自由・平等・博愛の三つの精神は精神病棟内ではなくてはならない要素である。
患者の権利を平等に保障し、特に不自由になりやすい行動の制限を、博愛の精神で補うような対応が求められる。
病棟内の風通しが悪くなるような職員の配置は特に閉鎖病棟の運営に悪影響をもたらす。
京都に博愛を名に冠する病院があるのも、その辺を意識したものではないだろうか。
さて博愛の精神をじっくり体感したい人にはあゆみ舎での生活に身をおいてみることをお勧めしたい。
職員も利用者もいきいきと輝いているここは博愛主義のまさにお手本のようなところであると言えば、ほめ過ぎだろうか。
暑くて暑くてたまらないうえに寒気と吐き気が同時に来たらもうたまらない。
水分を用意してベッドに横になる。
部屋のエアコンを26度まで設定の上、スイッチオン。
僕はあまり水を多くとるタイプではない。
今年ももう二回ほど倒れている。
梅雨明け前からこれでは先が思いやられるが、もって生まれた体力の足りなさゆえ、涙を呑んでいるのである。
自由に時間をつかえていいですね。
まるでタレントさん並みやないですか。
一時の僕はそんなことまで言われたけれど、忙しさからしまいに自由の身ではなくなっていった。
自由業というのは時間に縛られないというイメージがある半面、ある時には徹底して忙しく、仕事がなくなると本当に深刻だ。
作業所も自分のペースで仕事ができるあゆみ舎のようなところがあったので本当に助かっている。
自由というのは効くとありがたいものだが、こだわり過ぎると徹底的に不自由になるものらしい。
普通の社会人としての生活を一度は体験しておけばよかった。
リトルグリーモンスターの歌う曲で某商業施設のCMに使われた。
人生いろんなことがあって一年中楽しい。
これぞ生きていることのだいご味。
みんな生きていくうえでの宝物。
なかなか口にはしにくいこんなことが、この作品にはなんのてらいもなく歌われているからたまらない。
焼きそばをあゆみ舎でごちそうになる。
福島県の並榎町のご当地グルメ。
太麺のおうどんみたいな焼きそばをあゆみ流に味付け調理。
これはこれで味な話を美味しくいただきました。
焼きそばの手作りしたのなんてこちとらめったにいただけません。
本当にスタッフメンバーさんには貴重な場と時間を頂きました。
感謝いたします。
この世で地獄に落ちたりする人はそのときそのときのおこないのつみかさねでそうなるのであって、すべて前世からの報いである。
閻魔大王はいるかいないかということに対してははっきりと言える。
痕身を慎んでいれば自分の犯した罪を天界でも地界でもかばってもらうことはできる。
しかし僕の場合多くは自分の行いから来た報いだけに、金次第とはいかない。
心に打ち勝つための強度の精神力と人と接する時のまごころさえ忘れなければ、この世の苦しみも一部まぎれましょう。
障害者としてこれだけは忘れてはならないと思います。
荻野目洋子の代表曲。
もともとの振り付けをYOUTUBEではじめて知った。
単純そうに見えて、手と足の出方のバランスが絶妙である。
彼女をはじめ、出演者のすべてが本当に楽しそうに踊っている。
これを見て本当の振りとはどういうものであるか思い知った次第。
遊ぶように仕事する。これぞプロの極意だ。
夏の風物詩
打ち上げ花火
線香花火
庶民の楽しみ
一発たまやー
手元でぱちぱち
あなたはどっち派?
いつもの夢がいつものように続くこと
この現実がいつの間にか当たり前になること
いつか見た夢の中に自分がいること
いつも誰かに見守られていること
誰からも見捨てられないこと
神からの祝福のもとにあること
この奇跡の不思議を自覚していること
あんしんパパなる謎のユニットが歌った「はじめてのチュウ」
アニメ「キテレツ大百科」エンディングにてオンエアされた。
この曲は少し下世話で繊細なムードを漂わせた曲である。
よって少しボーカルに細工を施してあるのか、それともこういうつくりだからどうしてもエッチになってしまうのか。どちらにしても世に出た当初話題になったものである。
はじめてのチュウ。あなたは何歳の時、どういう状況で経験しましたか?
僕は今あゆみ舎にいて、文章を書いている。
ゆったりと流れる時間、せかせかとすぎる時間。
その時々により作業の効率はまちまち。
体調のこともあるので大きなことは言えないが、この時間も違った空間では質の違った流れを持っているわけで。
時空間制御装置があれば各地の時間を平均的に管理できるかもしれない。
嫌あるから分子時計のような精巧な時計も開発されたのだという説もある。
ドラえもんの世界のからくりは江戸のからくり図鑑を一応なぞったものと言われる。
タイムマシンは江戸期から本当にあったと言われています。その方が夢があって面白いでしょう。
気のせいでいろいろ体がきつい。
精神科で診てもらうようになって内科に行かなくなった。
こういう状態は何処の科で診てもらったらというような病気まで精神科に持ち込んでいて、それゆえちっとも改善が見られない。
気合で治すしかないからこういう時の最高の治療設備なんてないに等しい。
体調の変化著しい今日この頃。
やっぱり僕は病弱だと思う。