東京には空がない
そういって嘆いたのは高村さんのところ。
空はあるんだけどどこか病的に見える。
どうですか鴨川へ散歩でも。
そう促されて見上げた空はどこまでも青く澄み渡っている。
高層ビルで区切られた額縁の空とは違いどこか健康的な京都の空のあの抜けるような雰囲気が僕は大好きだ。
最近の青空のキラキラ加減は温暖化のせいだが、それにしても光化学スモッグ注意報が出されなくなって久しい。
そういえば千恵子さんは精神の病だったとか。
空が狂暴化する前に精神科では何ともなりませんか。
苦しい時、悲しい時、うれしい時も僕の周りにはいつも見守ってくれる人がいました。
そういう人たちの中でも、特に両親は別格の存在です。
その両親の周りにはとにかく歌があふれていました。
家の中はもちろん、外出先でも、カーステレオから絶えず音楽がほとばしっています。
そんな環境で育った僕が影響を受けないはずはありません。
いつも歌で勇気づけられ、励まされ、癒されながら難局を乗り切ってきました。
歌を口ずさめば元気がわいてきます。生きる気力をもらえます。
さまざまな人生の局面でさまざまな歌に出会えた僕は幸せでした。
入れば入ったで空振り
入らなければ入らないで
妙に力が抜けてかえって
うまくいくこともある
だから
気合は難しい
星野源さんと新垣結衣さんの電撃結婚のニュース。
あのTBSドラマ共演のお二人が晴れて入籍の運びに。
新垣さんは星野さんの大ファンだとか。
あこがれの人と結ばれた感想はいかがですか。
得意なお菓子はバナナクレープと聞いています。
いっぱい焼いてあげてね。
どうぞこれからも末永くお幸せに。
「おめでとう。みくりちゃん。元気でね」
えらい人が出てきたなと思った。
そう、星野源のことである。
音楽性はさることながら、タレント性あふれる人柄と交わる人脈の豊富さはピカイチ。
アートとして音楽を観る時、彼のルーツにアメリカンポップスがあるのは一聴してわかる。
人の出来ないことをするのが男の定めであるならば、彼の路線はまさしくその王道を行くと言って過言ではないと思う。
女優新垣結衣との結婚で時の人の彼が今後どのような顔を見せてくれるか、今後とも楽しみにしている。
同じことを何回もしない
そうわかっていても
同じことを繰り返す自分に
半ば飽き飽きしています
前したことを繰り返しているようで
やっぱり違うことをしている自分に
一方で面白さを感じています
同じことはめったとないのに
同じ繰り返しをしている自分
何たる二律相反性でしょうか
恋人たちのかわす視線は熱い。
絡ませる指先に思わず力がこもる。
安全地帯の歌う「熱視線」
当時子どもながらに大人の世界を少し垣間見たような不思議な気持ちになってこの曲を聴いたものだ。
聴きやすさ。すっと耳に入ってきて心地よい曲だ。
あいみょんが歌う「マリーゴールド」はどこか青春の恋の甘酸っぱさが漂う。
この曲に付いたオフィシャルビデオがどこかけだるい雰囲気を醸し出していて実にいい。
一発で気に入ってしまった。
クドカン作詞のパロディー曲。
なんか真面目にこういうことを歌われても…。
まあ永遠の我らがアイドル小泉今日子だから許すとするか。
小泉さんまで過去の自分の立場を茶化すとは‥‥。
トホホ。
この気持ち「あまちゃん」を観た人ならだれもがわかると思うんだけど。
アーティストが作品を創り出すとき
意外な脳の働きが活性化するというが
ある作詞家に聞いた話が妙に心に残っている。
「下地となる言葉のひらめきと
そのつながりがすべて。
その意味では君のほうが
人にヒントを与えるための何かをもっているね」
そうだろうか。
「君のほうが」というのが結局ぼくへの買い被りだったとしても
ひらめきということに対する理解の仕方に
謙虚なものを感じて、感銘を受けたのを覚えている。
創り出すことのヒントは山ほどあるにしても
どういう切り口で形を編み出すかは千差万別。
先述の作詞家さん、人をその気にするのが本当にうまい。
あまえ上手なのかかばわれることが多い。
世間様には足を向けて寝られない。
障害者ながらそれ以上の働き。
あっぱれなことかもしれないがそれ相応の責任は果たしたのか。
すこぶる自信はないけれど、結局かばわれていい目を見ている。
僕の体の障害は、心以上に体を表す。
毎日生きていて何かが起こって楽しい。
「それでいいじゃないか。それが人生なんだよ」
夏が来る。かんかん照りの夏が。
夏休みもこのコロナ騒ぎでおもしろくない。
たのしかったのは民宿での海水浴。
それと名物のあの辛い辛いカレーの思い出
あの夏、頑張りに頑張りぬいた僕の足も
昨今は猛暑でくたばり気味で
今日も明日も明後日も
早く涼しくならないかなあ
体力が持たないよ
人生においては
それにはなにひとつ
無駄なものはないという
人とのかかわりは
人生そのものを豊かに彩る
人と出会い 別れる
その一度毎に
自分がどう見られているか
良く考えて
行動しなさい
この一言は
自分を映す鏡となり
絶えず自分を照らしてくれる
いかに人と出会うか
それは生き方そのものである
ひとりでいるより
みんなの輪
あっちこっちに
小銭がいっぱい
中でも貯まるのが
十円玉
小銭を掃くと
すべて散り散り
そのパワーたるや
おそるべし
生活していくには
お金がかかる
デイケアやデイサービスで
タクシーで
お昼代がいくら
運賃がいくら
自宅での水道光熱費に
診断書代に
ジュースやコーヒー代に
父は言う
お前の言うのはまだ序の口
「自分ですべてをまかなうと
いったいいくらかかるのだろう」
一方通行で何を考えているかわからない。
そんな反抗期の心を秋元さんはずいぶん肯定的にとらえています。
大人がアイドルの存在を通じて伝えたいことは、思春期のいわゆるぎこちなさの背後にある夢や希望ではないでしょうか。
歌うは本田美奈子。あんなかわい子ちゃんにそっと言い寄られたらどんな男の子もノックアウト間違いなしでしょう。
作曲の筒美さんは若い感性を持った才能を何よりも大切にしました。
どこか気になるこういう曲の再評価は今後ますます活発になると思います。
本年3月31日をもって私の通う医院が閉鎖され、事業承継の形で新しく開院された。
主治医と別れるにあたって、彼の好きな曲を演奏することになり、選ばれたのがKANのこの曲である。お別れを意識しなくていいし何よりも明るい。この明るさは後任の先生にも気に入ってもらえたらしく、皆一も二もなく賛成に回ったという。私の主治医はこの曲を歌うとき大いに照れてしまうため、「愛は勝つ」とは歌わず「バカは勝つ」と歌うのだと言っていた。ここまで純真な歌世界を持つ曲を歌うにはある程度ばかにならないと難しいという意味なのではないだろうか。私はこの曲自体好きだから、そこまでラジカルな感想は持たないけれど。
もうすぐ夏がやってきます。
小麦色に焼けた肌が健康的。
そういわれたのは昔の話です。
今は温暖化が進み、紫外線や熱中症が気になる時代になりました。
あの四十年ほどまえの暑くてもどこかあったかでいまほど過酷ではない夏。
それを舞台にした恋物語は多々あれど、石川優子とチャゲのこの曲は当時の夏のイメージを代表する一曲と言えるでしょう。
ひと夏過ぎて雪に埋まってまでもこの曲を熱唱する二人の姿が、今も脳裏に焼き付いて離れません。
ファンからのラブレターに書かれた一連の詞。
それにそのまま曲をつけて歌ってしまった吉岡さんの心中やいかに…。
初めは「そのまま歌われてもどうも…」と言っていたその人もこの曲の仕上がりに満足してついにOKを出したという。
いわくつきの一曲。いきものがかりの詞には、こういうファンとの共同作業も含まれているが、すべて詩作には何らかのモデルがあるのではないだろうか。その意味で彼らの作品も例外ではないような気がする。
花は散り、街はすっかり初夏の装い。
さて今回取り上げるのは、石嶺聡子「花」
すべての人の心を花でいっぱいにしたいという思いで、紡ぎだされたというこの曲は、
人類平和の願いがギュッと詰まった名曲。
夏川りみ、加納昌吉とチャンブルーの歌唱もどうぞ聴き逃しなく。
彼女にある日言われたきつい一言。
忘れられない。
長渕剛のこの曲を聴くと、その都度甦る。
「こんなに好きにさせといて、勝手に好きになったはないでしょう。」
これを最後に彼女とのお別れもむごいが、その時はさすがにびっくりして、弁解する言葉も見つからなかったのを、鮮明に覚えている。
彼女にもこの歌の歌詞を引用するだけの素養があったのは、さすがと言わなければならない。
「勝手に付きまとっといて」そう言葉にした不覚をその時僕は心から恥じたのである。
言わずと知れたBBクイーンズの大ヒット曲。
アニメ『ちびまるこちゃん』テーマとして人口に膾炙したこの曲。
わりに初期のちびまるこのオープニングに流れた時に、バックにしたアニメの設定が、この曲のすべてを物語っていたような気がする。
この世のすべてをお祭り騒ぎのように茶化していて、それでいてどこか他人事とは思えない歌詞とメロディーである。
詐欺には気をつけましょうね、皆さん。
1996年に猿岩石が歌ってヒットを飛ばした曲。
曲調が独特で、一度聴いただけであの藤井兄弟のソングライティングとわかる。
青空にぽっかりと浮かんだ白い雲は風に吹かれながら当てもない旅に出てゆく。
何気なく歩を進めながら、心は遠く空の彼方へ。
そんな気分へ誘われるような一曲。
「トラブルメイカー」
人は僕をそう呼びました。
見た目も目立ちますが
この体で女の子とも良く遊びましたし
やくざとみられることも多々やってきました
人はいざとなれば百万力を発揮することもある
他方それも本当です
ぼんくらな僕はとかく世間からはみ出しすぎるきらいがあります
ああどれもこれも
僕に噂されることは悲しいぐらいホントの話です
疑う余地がないだけに救いようがない
そんな僕をどうか神様助けてください
AKB48が贈る最大のヒット曲のひとつ。
総踊りのために警察まで総動員。
大型の交通規制まで引いてPV撮影した。
この様を現出するまでの現場の苦労たるやいかばかりか。
警察庁では責任者が一人辞めたとかやめなかったとか。
AKBのみなさん、ほんとにこれしてよかったの?
常に笑顔で
明るく
元気に
今日も一日
いってらっしゃい
学生時代の放送サークルで出会ったsという先輩。
今は某放送局で働いている彼女はインターネットのホームページの書式にも詳しかった。
僕が後にあゆみ舎のホームページに文を書くことになってから、まさしく彼女の教えを思い出すきっかけとなった彼女の担当するラジオ番組は世界と日本をつなぐ国際放送の番組。
一枚の原稿用紙(放送原稿にしてゲラ二枚)が分量としてちょうど良いとのお話。
だらだら書かずにすっきりまとめてハイおしまい。
あなたの夢は何ですか?
明日を夢見るすべての人へ伝えたいことがあります。
どんなに希っても、目標はすぐ叶えられるわけではありませんが、近づくための努力をあきらめないでいてほしいのです。
岡村孝子の歌にも、その願いが込められたものがあります。
そう「夢をあきらめないで」
さあ皆さん、未来への夢を輝かせるため、それぞれ努力を重ねましょう。
自分らしく光を放つために。
この体で世間を歩いていると、心無い人のそしりよりは、良くしてくださる方のご厚意の方が、この世の中ずっと勝っているのに、今更ながら気づいて、はっとする。
小さなときから妹に「お兄ちゃんばっかり」とうっとしがられていたのだが、この世で力を合わせて、それこそいろんな人と事業を起こしたり、発明品を多くの人のもとで作り出したりした半生があってこその今だと感じている。
身内だけではなく多くの部外者に功績を認めてもらえても今、そういう頭が無くなるというハンデまで抱えてどこか後ろめたい気分でいる。
確かにみんなで力を合わせて何かを成し遂げるというのは、人生において大切なことの一つではあるが、のちの話が何もないのではトホホではないだろうか。
今それを思うと気がせくけれども、もう僕一人ではいかんともしがたいのである。
先を急ぐより
上へ上へ
自分の実績に
自信をもって
じっくり
積み重ねていこう
この世に
なくすものなんて
なにもない
積み重ねた愛のもとに
新たな道は
必ずや開けるだろう
AKB48の代表曲のひとつ。
フライ・ナゲットではありません。
彼女が誘っているように見える瞬間。
心をこちらからさらってしまおうか。
彼は真剣に悩んで欲望と対峙するのだが…
結末を作者としては提示していない。
あえて聴く人ひとりひとりの胸の内にまかせているところが愉しい。
広末涼子のこの曲。
じつは竹内まりやの作だと知ってびっくりした。
このレベルの曲はどこか小沢健二の曲とも似通っているので、どこかで錯覚を起こしてしまっていたのだ。
ひやかし屋さんにお囃子されているような、少しぶっ飛んだ歌詞とキャッチーなメロディーはどこか青春の甘酸っぱい思い出を呼び起こす。
かつての女友達に相合傘でひやかされているようで、気恥ずかしく思えてくるのだ。
なぜか竹内まりやの作とは思えないのだけれど、その辺がみそかもしれない。
学生時代、時代の傾向は上り調子。次の世相を読むのが楽しみだった。
本当の話が教科書にどんどん載っていたからいい時代だったのだろう。
テレビもラジオも面白い番組がたくさんあった。
経済が低成長に移るにつれ、時代にひっ迫感が加わる。
何かにつけマスコミの提供するものに元気がなくなった。
パソコンのない環境になってからいらぬ情報に惑わされなくていいんだけれど、あゆみ舎でのこういう時間が貴重になった。
時代の次のトレンドがあの日に比べて徹底的に読みにくい今、雑誌や新聞の役割が相対的に上がっていくように感じている。
これまでいろいろなことをしてきました。
人に良いことをしたつもりでも、独りよがりな性格から、あまりうけいれられずにいます。
岡本眞夜の「ANIVERSARY」を聴くと、記念日にはお祝いをしましょうと歌っていますが、僕には仕事がうまくいった時の見返りらしいものも受けたことがないので一口に記念日と言っても誕生日くらいしか浮かびようがありません。
一つの願望としても恋人たちへのメッセージとしても記念日という観点はあまり印象が残らないし、この曲はそれなりのヒットしか残していませんが、それでも僕はこの曲が嫌いではありません。
ただあと一ひねり欲しいなと思います。松任谷由実の同名曲の方が人口に膾炙しているのは、その証左と言えるでしょう。
人の生には
終わりがあり
別れる時が
きっと来る
また今度
また明日ね
この挨拶の言葉
いつまでも言えるわけではないにしても
美しい日本の言葉
いついつまでも心に響く
大切にしたいと心から
そうおもっています
八十年代を代表する女の子四人組バンド。
後発のさまざまなガールズロックバンドに絶大なる影響を与えた。
草分けとしての彼らの演奏は稚拙で、作品としても完成度が低いが、女の子のやる気に一気に火をつけたその功績は大きい。
世界で一番暑い夏、ジュリアン、ダイアモンド、M…
世界中がきれいにキラキラ輝いていた日々だった。
聴いていると懐かしいあの中学生時代がよみがえってくる。
財布の軽さ
小銭の数
札の枚数
コーヒーの濃さ
ミルクの量
角砂糖の数
すべてがすべて
いま・いま・いま
今の割合が
ちょうどいい
ぼくには青春時代数多くの友人・知人に恵まれた豊かな思い出が残っている。
某アイドルグループの初期のメンバーと友達になれたのもそんな思い出の中の一つである。
ショービジネスの最先端を観に、その友人に付き添われて劇場へお邪魔。
隊形の見事なフォーメーションから札束の捌き方までさすが堂に入った話で感激したのを昨日のことのように覚えている。
大学の工学部でシステム工学を研究していたぼくが経済学部に転部・転科するそもそものきっかけとなった出来事がこれである。
ショービジネスというものはどんなものか教えられた気がして世の中の見方そのものが変わった。
工学もいいが札を数えている方がずっとこの身にあった身の処しかたができると感じるようになった。
銭はすべての人が等しく扱う回り物なのである。
かたちあるものはこわれやすい。
かたちないものを求めて果てない旅に出た。
かたちあるものもないものもその源はおなじだった。
こころのありかたがこの世ではすべてである。
なにかをうみだす力を大切にするひとはものやひとやこころをむだにしない。
柴咲コウの「かたち あるもの」を聴く。
こころあるところに価値が生まれる。
価値の確かなところにひとのこころがある。
聴きながらそんなことをかんがえたことだった。
最近のアイドルグループは元気がない。
筆頭を走って人気をけん引してきた彼らも、メンバーチェンジの上の路線変更。
今聞いていると昭和歌謡の雰囲気たっぷりの歌謡曲を歌っていて、かつての毒気がすっかり抜けてしまったのが気がかりだ。
反体制派が文化的側面を支えてきたこれまでの動きをけん制している形で世相がせちがらくなってきた。
日本に何かが始まろうとしているのかもしれない。
ひょんなことから組の跡目争いに巻き込まれた女子高生の活躍を描く。
映画主演・主題歌は薬師丸ひろ子。
作詞来生えつこ、作曲来生たかおのこの曲は、やけにきざなつくりではあるが、詞に万人を納得させるような何かを残して、意外と歌いやすい。もしかしたら奇想天外に見えるこの映画の内容を暗にひやかしていたのかもしれないが、現に美化しているだけにとどまらない何かを感じたのは、僕の独りよがりだろうか。
この曲、来生たかおは別に「夢の途中」として歌っている。
良かったらそちらも是非。
今何をしたい
今何をすべきか
それを考えた方が
何を悩むにしても
一番の近道
来し方行く末に
頭抱えるなかれ
今が一番大切
僕はそう思います
柏原芳恵の歌唱をYOUTUBEで聴く。
春はお別れの季節。
二度と会えなくなるあの人へ二度と言えないあの一言。
こんなことは誰もが経験すると思うのですが…
これをあえて表現したところに作詞者の非凡な才能を見るのです。
あゆみ舎でもこの春職員とのお別れがありました。
衰えたなぁ
このまま寝付いても
どうしようもないかも
それでも才能か
銭数えだけは
なぜか達者ですねん
あしからず
山紫水明の地、京都
この地に生まれたもので、地方に出たものは二度とこの地を踏めないという。
東京に出るにしてもその裏には厳しい影の裁きが必要となるのだ。
この地に生を受けて49年余り。
千年の都の地に住まいしてみると、先進と伝統をうまく調和させたこの街の個性が痛いほどよくわかる。
僕に下された影の裁き、それは一生この街にとどまるようというもの。
人材の流出をせき止めつつ、いかに転入組を活用するかにも昔からの知恵が生きているらしい。
今も多くがベールに包まれたこの街の秘密の一端がそこにある。
あきらめないで
未来はいつも手の中に
夢が背中を押してくれるよ
明治安田住友生命の当時のCMソング。
勇気と希望を忘れないでいれば明日が見える。
杏里らしい感覚が随所にちりばめられた名作。
中村あゆみのサードシングル。
恋、仕事、栄誉、地位。
自分にはすべて両立できた因果ではない。
皆人は人生の一時期夢を描く。
その翼が折れて羽ばたけなくなっても、どこかで折り合いをつけなければならない。
人は皆翼の折れたエンジェル。
僕にはこの作詞のけりのつけ方が溜まらないのだ。
筒井康隆原作、原田知世主演の映画主題歌。
未来人がこの世界に紛れ込んだために一人の少女の記憶が攪乱されてしまったら…。
時空を自在に操る彼のためにできることはただ一つ。
奮闘する彼女は大学の薬学部に進み…。
なんやら意味ありげなエピローグ。
時の輪廻が再び彼らを結びつけることはあるのか。
この歌は松任谷由実の作品であり、のちにいきものがかりもこれをカバーしている。
履歴書というものを要求する企業は多い。
ところがぼくには企業にはいるとき、そういうものを書いた記憶がほとんどない。
書き方のみならず、その時代どこで何していたかいちいち覚えていない僕である。
最近学生時代の友人に会うと、あの時代には某所でこういうことをしていたんだよと情報をもたらしてはくれるのだが、いちいちこちらとしては覚えていないし、ある種忘れるために精神科に入り精神攪乱を受けた身には、不必要な情報だったりするのだ。
ぼくは最終学歴以外の一切の記憶をうしなった。
そこに行くとこの世でほしいものすべてが手に入る。
富も栄誉も名声も思うがまま。
そんな売り文句に少年少女たちはその島を目指したが、島には恐ろしい秘密が隠されていた…。
1984年角川映画の主題歌。歌うは原田知世。
僕はこの作品をシナリオで読んで戦慄を覚えた。
今YOUTUBEで紹介映像を観ると愛と感動のファンタジーなどと活字が躍るがその実中華向きなのでホラー的な色彩は隠しているのかもしれない。
精神科向きには視聴をお勧めできませんが、僕には大きな影響を与えた作品なので、ここに触れさせていただくことにしました。
中島みゆき「大吟醸」から。
とあるニュース番組のエンディングテーマとして使われた。
下界でどんな不安、不穏な動きが待ち受けようとも、世の中の動きから目をそらしてはいけない。
神様は必ず最後の最後にはこの人類を救ってくださる。
人の心は変わりやすいが、変わりゆく人という生き物をもっと好きになりなさい。
彼女はそう指摘する。
人の世のマイナス面をこれまで数多く歌ってきた彼女だからこその物事のとらえ方がこの作品には如実に表れていると言ってよいだろう。
幼い時観た夢、今一度思い出してみませんか?
竹仲絵里「ペルソナ」からの一曲。
当時有線から流れてくる曲としては最長のヒットを記録。
恋人の冷たい所作に別れを自覚した彼女。
ねえ、みんなどこにいってしまったの?
目の前の現実がすべて幻となった時、人は怖気づくかもしれません。
しかし小さな歩みを止めてしまうわけにはいかないのです。
この曲にはその意味で大きな救いがありました。
皆の胸を打ったのはその一点に尽きると思います。
聴いたことがない方にも、一般常識としてぜひ聴いておいていただきたい。
この曲はそんな隠れた名曲の一つであります。
人間、死ぬ時は一人なんやで。父は言う。
寂しいなあ。だいいちいつも僕はみんなに囲まれていたいタイプ。。
小さい時から僕は自分からいろんな人に会いに行った。
大都会の孤独などと言われて久しく、それ自体陳腐な表現と化してしまっているけれど、孤独というものは実は人の性格が作り出す何かであるような気がする。
素直な人ほど孤独になりにくい。何かにつけてひねている人ほど、疎外されやすい。
岡本眞夜さんの歌声に癒されながら、この世に一人生を受けた意味を考えさせられたことだった。
明日はどこから来るのでしょう
あとはどうとでもなると仕事もできない回線のはなしになると、明日が充実しません。
そこでいつも明日は何とかなるという話しにしておいても仕事ができましたとしておいて一生懸命仕事していると忘れるようにして一生懸命に明日はきっといい日になると考えないと、だれのためのパレードが続くのかという歌にしたくて書いたのが、この歌だとおもいます。人は皆人の為に生きているのにそれをどう考えているのかという話しになると、この話は終わってしまうでしょう。
充実しなければこんなことも言っていられなくなるのでさきにこんな歌の話にして置きます。
ありがとう
あなたの為の時間を
私に使ってくれるあなたに
人は一人で生きることはできません
私の為の時間を誰かに費やすことの美しさ
僕はそこに限りない神様の愛を感じるのです
皆様新年あけましておめでとうございます。
2021年もどうか皆様にとって良い一年でありますように。
さて新年一発目のこのコーナー。
炎と書いてほむらと読ませる。
とりあげますのはLiSAのこの曲です。
夢に向かって進む途中で、私達は多くの人と出会います。
胸に炎を高く掲げて、高い志と希望をもって前進しましょう。
分かってくれる仲間がきっといます。
この精神性の高いメッセージソングを大ヒットアニメの中で、彼女は高らかに歌い上げました。
そう鬼滅の刃という皆様おなじみのあのアニメ、実はアニメ自体はバッタもの。
歌で本編の感動を引出そうとしたのかもしれません。
小さい時に聞いた歌のインパクトは絶大なものがあります。
この歌の真の価値はその時は分からないかもしれません。
でものちに子供たちに何かを残すと、僕は信じて疑いません。
円広志が作曲した彼のデビュー曲。
お笑いタレントのような彼の行状とは打って変わったような彼の独特の感性がこの曲の詞には明らかに表れている。
何もかも忘れて夢の中へ飛んでいきたい。
この曲を聴いて同じ事務所のタレントがお囃子。
仲の良さが前面に現れていて共感を持ったのを覚えている
明日は何かある
希望・夢・努力をもって
思いやりをもって
人と対していれば
必ず行いは報われる
忘れないでいて
また明日晴れるかな
また明日晴れるかな
毎日何千、何万もの曲が浪費されてゆく歌謡界。
その多くが詞先と曲先に分かれている。
詞が先にできる詞先、秋元康さんの作品にはこのパターンが圧倒的に多いといわれているが、本当だろうか。
今日は彼の手がけた作品群の中から、AKB48の歌った「きみはメロディー」をとりあげる。
ぼくの好きなバージョンは卒業生集団の出すtypeAのバージョンで何回も携帯から繰り返し聴いたものだ。
「きみ」との恋愛を懐かしい大好きな曲にたとえた印象的な歌詞に、クラシックギターの旋律を思わせる繊細ながらもキャッチ-なメロディー
ぼくが東京に遊びに行った時、環境が悪いと皆に止められていた渋谷センター街まで無理していきチーマーの女の子が一心に踊りの練習をするところを観て、衝撃を受けた思い出がある。
若者文化にアンテナを張り巡らして詞をかいている秋本さんならではの視点がそこに感じられて興味深いものがある。
総売上初年度数億とも言われた美少女アニメも最初は先行き不透明で番組予算もほんの少々。
売れなきゃ14話で打ちきりという厳しい条件下で始まったそうな。
企画は男性スタッフだが原作や制作スタッフは全員が女性陣。
「乙女のポリシー」「ムーンライト伝説」は企画段階でイメージを形にするため制作依頼された楽曲と言われ、ぎりぎりの土壇場でひらめいたものと言われている。
関連商品ミュージカルなど二次三次使用権合わせて数兆円市場というアニメ界空前の大ヒットをもたらしたこの作品への支持はいまだ根強いものがあるといわれる。
時代のヒットメイカー筒美京平の曲をもう一つ。
小沢健二が作詞して歌った「強い気持ち・強い愛」
医院のデイケアのみんカラの時間に紹介された。
1994年のクリスマス頃の作と伝えられる。
街に魔法をかける時代の気分を良く表す秀作。
恋に一番大事なもの、皆さんにとってそれは何だと思いますか?
今のこの気持ちを一番につなぎ止めること、それがほんとだと作詞の小沢さんは歌います。
だからこそこの曲の真実性に多くの人が共感したのではないでしょうか。
じっくり聴いてみればみるほどこの曲の良さはよく見えてきます。
どうでしょう。みなさんもぜひ。
TOKIOの歌の中でも異彩を放つこの曲。
JR各社の「discover JAPAN」キャンペーンに使われた。
作詞はなかにし礼、作曲は筒美京平。
どおりでサビのインパクトは強烈。
旅はある種の冒険である。
若者よ大志をもて。書を捨てて旅に出よう。
時には勇気を奮い起こして闘う勇者であれ。
その独創性と創造力。
作詞作曲のお二方に心からの敬意を表したい。
ジャニーズが生んだ5人組スーパーグループ。
嵐が本年度を以て活動を休止する。
デビュー曲の鮮烈さは今でも語りぐさだ。
振り付きで踊りながら歌ってみると、独特の気の雪崩が感じられて、迫力のすごさに感じ入るばかり。
次の世代の男性アイドルグループ達がなかなか存在感を示せないまま。
ジャニーズは次にどういう戦略を示すのだろう。
好きな人を待ち伏せ。
いつか振り向いてくれるまで待つ。
そんな女心を歌った曲。
石川ひとみの声価を一気に世に知らしめた。
皆さんは彼氏、または彼女と喫茶店でデートしたことがありますか。
成婚後に行くところと言われるところで最初に会うのは邪道と思われるでしょうか。
だからこそこの曲の主人公は待つのかも知れません。
いつか彼を振り向かせてみせると信じて。
かなしみ
学生時代
長髪
政治活動
卒業
就職
恋
永遠
別れ
ドラマ
いっぱい
と
こんな感じかな
携帯を持たないことにしました。
今一番プラスになっていることは何か?
所蔵のテープを延々と聴きながら趣味に没頭していると
ふと過去の幸せな記憶を思い出します。
この時間よいつまでもと思っていたあの頃
デイケアに通って早二十年
身体も気力も萎えそうになりながら
父のお小言に耐えている毎日です。
同じことを
繰り返しながら
しかも同じ瞬間は
二度と戻ってきません
日常の繰り返しは
それこそ幸せの裏返し
繰り返しがなくなれば
それこそ平穏に
暮らせないかも知れない
そう思うと
何気ない繰り返しである
この日常が
限りなく大切に
おもえてくるのです
明日の思い出
今日の辛さに
ふと
行き詰まったら
時の振り子を
止めてごらん
何も出来ないまま、時が過ぎていきます
今日も明日もこんな調子だと本当に何も出来なくなるよ
あの時言われたとおりになると悲しいと思います。
家でもこのところ何も出来ない日が続いておっかないとは思いますのに。
ふとおもいついてやった体操
立ったり座ったりすることだけでも良い体操に
なると思いました
確かに身体の動きが良くなっていいのです
何も動かないまま今日も過ぎていくのが恐ろしくて、来る日も来る日も
体操をともがき苦しむ日々です
NHKの伝説的人形劇。
放送から四十年。
主題歌がいまだに耳に残っている。
歌うは石川ひとみ。
ということで彼女のデビュー四〇周年記念アルバムをひもとくと、あったあったフルコーラス!
夢と冒険の物語。
軽快なリズムが耳に心地よい。
いつか懐かしい本編を思う存分堪能してみたい。
とりかえしがつかない
なんとかするために
どうてつづきをふんでいいのか
ぼくはよくあとさきかんがえず
こうどうをおこしてしまう
やってしまったことのおおきさに
がくぜんとするようなことを
こんかいもやってしまった
ファイト一発!
闘う男は美しい
身体の動きの俊敏たるや
野性の血のごとく
まわりにまで充ち満ちる精気たるや
野辺にはびこる露草のごとく
すざまじい気の流れに
見ているこっちが飲まれそうになる
そのすばらしい勇姿よ
我に力を与え給え
あらためて彼女のデビューアルバムを聴く。
中華旋律を生かした独特の存在感はやはり彼女ならではのもの。
それでもくせがありすぎてぼくは好きになれなかった。
今では作家としても脂がのってきた彼女のマストな一枚をといわれれば、ぼくならこの「月天心」を選ぶだろう。
意外な人の意外な曲を手がけていたりする一青窈は、それでもやはりぼくにとって気になる人物の一人なのである。
リトグリのアルバムの中で、もっともお気に入りのものを。
「だから、ひとりじゃない」から「jupiter」「Go My Way」まで充実の十八曲。彼らのアルバムは大ボリュームでサービス精神に溢れている、
一服の果汁のように清涼感に満ちた聴きごたえ。
皆さんのお手元にも是非。
おいしいはなし
このパスタ、おいしい
この仕事おいしい
利やうまみがたっぷり乗った状態のものや事柄を人はおいしいという。
おいしい話には裏があって、そんなにおいしい話なら先に人が食べてしまっているのも事実であろう。
世の詐欺話の大半はここまで読み切れない多くの人を標的にしている。
あいみょんの新作「おいしいパスタがあると聞いて」
物珍しさからそんなに期待しないでストリーミング。
パスタなら一杯目が一番おいしいが、音楽ソフトは聴き込むほどに味が載る。
だまされたと思って聴いているうちに良さに気づくこともあるから、ある意味たまらないのである。
言わずと知れた安全地帯の代表曲。
初期のアルバム「安全地帯Ⅱ」(1984)から。
作詞は井上陽水。
彼の同年リリースのアルバム「9.5カラット」にも所収されている。
安全地帯はかつて井上陽水のバックを務めている。
それだけに両者の作風には互いに一脈通じ合うものがある。
二つのアルバムで同曲を聞き比べてみると、それでも先輩格の陽水の歌いこなしの確かさには頭の下がる思いがする。
井上陽水と玉置浩二。
いまは風格漂う二人も当時はまだまだ若かった。
大人の恋を歌ってはいても、年齢から見れば軽かったのかも知れない。
それでも今もこの曲は名曲として歌い継がれている。
ゴールデンコンビよ永遠に。
そう願わずにはおけないのだ。
SPEEDのベストアルバム「SPEEDLAND」のなかから。
死期迫った母と最後に聴いた思い出がある。
一緒に流れ星のように落ちていきたいような感覚に襲われた。
いろいろむごいこともいったよね。ほんとうにごめんね。
空気が透き通った冬の朝。
母は静かに息を引き取った。
二月の大雪が当たり前だった、そんな時代に生まれた最後の曲。
ぼくの思考回路は至って単純である。
思っていることや考えていること、または次の行動をすぐ読まれてしまうことも多い。
嘘をつくことも、真実を曖昧にすることも苦手である。
いつも丸裸のままの心を、飾り付けることもできないまま大人になった。
子供のときから、大人の嘘がどうやって形づくられるのか、興味があった。
いろんな会社の成り立ちを知るほどにその一部を隠して嘘にしておかないといけないことに気づいたのである。
つまりA社についての本当はB社にとっての嘘なのだけれど、この場合「嘘にしておく」というのがぼくにとっての最大の難関だった。
A社にとってもB社にとっても真実はただひとつなのは変わりないし、会社の上の人たちの共通認識は紛れもなくその真実なのだけれど、下を率いるに当たって当然のごとく嘘にして置かなければならない現実が存在する。
人によって態度の使い分けをすることもできない誠に不器用な人間であるが故に、最後は自分の関わった企業すべてから遠ざけられてしまった。
あいみょん「裸の心」を聴く。
多くの社会人にとっての本音を、この歌に見たような気がして、いっとき心救われるような感じがした。
同じことを何度でもできない自分に半ばあきれてもいた。
職員が見ていないと仕事をしているように見えないから、並の人の働きのようには、給金を渡せないと言われ、がっくり来た日もあった。
単純作業ではなく、こういう文章を含む一回限りの知的生産物の権利は自分にあるが、その権利金でがっぽり、つまり一攫千金の夢もその会社の専有物となって一回で潰え去った。
多くの労働は変わり映えしない単純作業で充ち満ちているが、そこまで体力のない自分には「そういうのは他の人に任せてもいいよ」というある職場での上司の言葉は当時からぼくの一番の救いであった。
それからのぼくは一途にその言葉だけを信念として職を選んできた。
僕の適性を一番に考えてくれたその上司の一言がなかったら、ぼくを快く受け入れてくれる心の広いその人の影響がなかったら、ぼくはここまで好きなことをして歩いて行くことは難しかったのではないかと思う。
信念を持って事に当たれば、機は必ず熟し、道が開ける。
ぼくが何度でも心に念じたのはそういうことであったし、他に何の取り柄もない自分であるからこそ、この知的作業を一番に大切にしている。
「すかっとさわやか」は昔の話。
CMソングも代を重ねて今は…
最近ではリトグリの歌声が心に残る。
毎日のように飲んでいる。
デイケアでの日課。
ファンタと共に飲んでいる。
検温のあと
YOUTUBE MUSIC
音楽をストリーミングしながら一時間半。
仕出しの弁当を食べて帰る。
一週間この繰り返し。
幻覚も妄想も乗り越えて今は…
世界はあなたに笑いかけている。
きらきらにひかる
なんだこれは?
興味を持った
歌うはいきものがかり
恋人の胸の内
秘めたる願いを知った時
あなたはどうしますか?
にげずに向き合うことができますか?
この歌の主人公は大切な時に別れてしまった。
故にだからこそあの時のパートナーの願いが
きらきらにひかる美しいものとして今更ながら胸に迫ってくる
ぼくはすべて恋愛とはこのようなものだと思う。
だからこそ過去のすべてはきらきらと光を放つのだ。
「卒業」を聴く。大人からの支配から逃れたさに、非行に走る少年期の心。
学校の窓ガラスを壊して回ることは実際にしなくても、そうしたいような衝動を当時のぼくはこの曲を聴くことで簡単に追体験していたと言ってもよい。
カリスマと言えるような立場におかれた彼は、歌と自分の内面の間のギャップに苦しみ抜いたのちに死を選んだ。
世間の彼のイメージ、歌って欲しい歌と自分のやりたいこととの差が、彼においては顕著に表れてしまう。
彼の死の真相はいまだ謎のまま、挙げ句の果てには生存しているというものまでいたが本当だったのだろうか。
このコロナ禍で町中の盛り場へわざわざ出かけていくこともなくなった。
体力の低下は防ぎようもなく毎日ベッドで漫然と過ごしていても、映画やドラマの話題作は土日ごとに欠かさずチェックしているぼくには、それなりに忙しい日々が続いているけど、体力を取り戻したら行ってみたいところ、それは映画館である。昔のように券一枚で入り浸ることができた時代は終わってしまったけれど、今の携帯で映画館気分とは違ったあの暗闇での体験は、かけがえのない財産としてぼくの心のなかにのこっている。
軽作業でプラスチックのふたのラベルを貼る作業をしているので一度体験してみた。
コンビニ弁当のふたのラベルも同じように手作業で貼られていると思うと、限りなく愛おしい気持ちになる。
はがしたらもったいないような気分に襲われる。
ラベル貼りの作業で要るのは根気と集中力。
切れやすいぼくにはどちらかというと向かない作業だ。
いらちではたまらないのである。
決められたスペースに決められた要領でシールを貼る。
気長にゆっくりでもいいから狂いなく。
急ぐと負けである。失敗を招くことも多い。
たくさん仕上げたいぼくには、焦ってばかりでもらいが少ない。
自分の性格について改めて考えさせられてしまった。
ネットで使う一か月の価値が四万円。
曲の聴き放題、動画の見放題、ネットショッピングの代金など込み込み。
高い。これに月々の通信費一万円。
月五万円足らずという価値を垂れ流している。
もっともこれは予算の最大枠であり、実際は月三万円程度に抑えられている。
赤字は三万円程度、ということは携帯を持たなければ初めて収支が改善する。
いやはや、たかがとはいえない。
されど四万円のその価値、侮れぬ。
ついにぼくも経験してしまった。
コンビニ振り込みから品物到着までの具体的な流れ。
与えられた選択肢から商品を選び買い物かごへぽい。
代引きの荷物を受け取るまでのどきどき感は何とも形容しがたい。
だいたいの商品が外国製で質が今ひとつなので、刹那的にはいいかもしれないが、長く使うに耐え得るものではない。
たいていカモ相手の商売とわかり、今回のことはよいお勉強になった。
恋したことは
ありますか?
いろんな人を
好きになりましたが
最後は結局
どの人からも
別れてしまった
ふがいない自分は
好きな気持ちに素直になれぬまま
次の展開から
ことごとく逃げてしまった
ぼくにとっての恋愛とは
はかない夢の中の
一瞬の出来事だったのかも知れない
そう思ってしまうほど
壊れやすく繊細な記憶
それが恋というものだと
ぼくはそう思うのです
このコロナ禍で、医院の近くのカラオケ店が潰れた。
外で大人数で歌を歌えなくなったらなったで、家の中の需要を見越したのかこのたびあるインスト作品が発売された。
オフィシャル髭男ディズムの「トラベラー」というアルバムをそのままインスト作品におきかえたものがリリースされた。
好評につき第二弾をと考えたのかも知れないけれど、あくまで元のアルバムがあってこその企画だと思うからこそ、これを見た時にはびっくりした。
やられたとおもった。
曲だけ改めて録音して出すとは、完璧な二番煎じ。
これほどまでに手軽な便乗商法を、僕としてはこれまで考えたことがなかった。
カラオケ代わりに歌を口ずさんでもらうことで、潜在的な需要の掘り起こしを狙っている。
爽やかな彼らの歌声まで、このことで若干濁って聞こえたのは僕の気のせいだろうか。
インターネットに文章をあげるようになってから、もうどのくらいたつだろう。
思えば当時のあゆみ舎の所長からすすめられたのが、この作業を始める切っ掛けであった。
はじめは身の回りのことをありのまま記そうともがいていた。
ありのままありのままと身構えるうちに、ありもせぬ悪口雑言まで弁解しているような口調になってしまい、妄想が暴走していくようになってくるのを押さえがたかった。
ある程度文章がわざとらしくなってくるのを自己規制しながらそれでもそれを認めなければならない皮肉な結果に、僕は全体のタイトルを妄想暴走日誌とつけることにした。
まわりの悪口をかくことになってしまっても、傷つく人は大勢いる。
特に不特定多数に向けて書く文書では、独りよがりな表現は避けなければならない。
原稿用紙に起こした文章を職員のチェック後に打ち込むことを続けた。
そのうち文章を書くのになれてきて、短い文章を詩文にできるまでに三年ほど。
原稿がたまって処理に困るくらいになってきたので、そろそろ直接ワープロ打ちをと提案され、申し出を受ける事にする。
自己規制から余り人の欠点に触れなくていい、好きな詞や歌の感想をしたためる方が、万人受けしそうだと気づいたのも、おなじころであった。
そのままギアチェンジを試みたところ、うまくいった。
好きな歌のことをいっぱい書ける。生来の歌好きにはたまらない因果となった。
ただ題名はそのままになっている。
あまり私事ははさまぬとしても、書いた時に不自然にならないように配慮したからである。
「書くこと」はおもしろいし、たのしい。
誰も見てくれないところで黙々と書いているよりはずっと書き甲斐も大きい。
いつもひとりでいるより、みんなが見てくれているという確信を持って振る舞えるところ。
それがインターネットのいいところだと思う。
中川翔子とは一体何者なのか?
ありあまるタレント性でカバー曲を軽々と歌いこなしていくその度量の広さ。
アニメからロックまでときにその出来はオリジナルをしのぐ。
なんということか。
昨今は器用貧乏がたたったのか、一頃ほど人気がないようだが、オンラインライブという新たな表現媒体にも積極的に挑戦している。
YOUTUBEを覗くと彼女の歌が如何に分野的に偏っていたかよく分かってしまうし、インターネットにおいても、彼女の発言はたびたび炎上している。
自分を保つのが如何にこの社会で難しいことか、彼女の事例を見るとよく分かる。
「しょこ、もうちょっとしっかりしようよ」
あいみょんのライブを見た。
ギターを構えたその勇姿。
見ているだけで涙が出た。
アリーナ席いっぱいのお客さん相手に
臆することなくその存在感を放つ。
独特の旋律と歌世界に
95分があっという間に過ぎ去った。
なかでも「空の青さを知る人よ」は秀逸。
恋の現実感ってかえってこういうのかも知れないと思う。
こんどがんばると
なにかがはじまる
新たな予感
はじまりは
おもわぬところから
ふと
あたまをもたげる
これまでのじぶんに
さいならして
あたらしいあしたへ
never give up
あきらめない
YOUTUBE MUSICにてサザンの曲を検索すると、出るわ出るわ。
わんさかとあるアルバムの在庫から今回は「海のoh yeah!!!!」をとりあげる。
コンセプトアルバムかと思って聴き始めたのだけれど、そして一曲目は確かに海と関係がある曲でもあったのだけれど、「私の世紀末カルテ」「東京VICTORY」「愛と欲望の日々」など名作揃いのオリジナルアルバムであることから見ても、このタイトルの方は伊達な話であったらしい(桑田さんごめんなさい)ことは事実であろう。
大奥のドラマがリメイクされ放送された時、主題歌として使われた「愛と欲望の日々」
江戸時代を現代的に描きすぎていてドラマの方は不発に終わったにもかかわらず、そこに時代の普遍性をかぎ取ったサザンのこの曲の方は人口に膾炙し爆発的にヒットしたのは記憶に新しい。
やっているほうはたまらないだろうが、観る人はリモートで絶対的に得している。
にもかかわらず、この寂しさをどう表現したらいいのだろう。
インターネット配信サービスで配信されてきたサザンのライブ。
まわりの喧噪がないぶんスタッフが盛り上げる盛り上げる。
5人とサポートメンバーの息もぴったり。
初めての試みにはじめは緊張気味だった場の雰囲気も演奏が進むにつれほどけていった。
後半は誰もが知っている曲のオンパレード。
楽しい時は瞬く間に過ぎていったが、空間を共有するもののいない寂しさは、どうすることもできなかった。
だいたい尾崎亜美という人の作品を聴いていると、自分用に作ったものより他人に提供したものの方が圧倒的によいものが多い。
松田聖子に提供した一連の作品もその例に漏れない。
今日はその中の一つ、「瑠璃色の地球」をとりあげる。
宇宙空間から見た地球。それは何処までも碧く輝いている。
海の面積が地表面積のほとんどを占めているから、それは当然のことなのだけれど、瑠璃色の光を放つ地球とは、こはいかに。
この辺作家尾崎の面目躍如。いかにも綺麗な大人の恋物語を創作するに十分な道具立て。
その上何ともロマンティックな詞世界に、歌う方も聴く方もめろめろ。
アイドル歌謡の金字塔。是非御一聴を。
北ウイング、セカンド・ラブ、十戒、禁区…
中森明菜のスーパーベストを聴く。
懐かしくも新しい。いかにもアイドルの正統である。
特に今聴いてみると当時とは別の意味でのアプローチの仕方がありそうで、なんだかうきうきしてくる。
音楽性の違いから来る何かをもう一度考えてみたいのだ。
普遍性へとつながる何かが確かに当時の歌謡には存在した。
残る人と残らない人の違いとも言うべき何かが今よりもっと純然とした形を取っていたような気がする。
作家が作家であった幸福な時代の果実をそのまま受け取れた。
そういう意味では私生活に多少の波風は立っていたとしても、彼女もまた歌い手として恵まれていたのではなかろうか。
マスクをつけて出勤
デイでも検温
手洗い
厳戒体制の中
今日も明日も明後日も
一日経ってお疲れ様
できない
しない
させない
それが
悲しみの本質